唯識の思想(改) | エンタメがカルシウム

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昨日、ちょうど寝る前にコレを聞いてて
 

 

 

深井龍之介さんオススメに

グラントリノが冒頭から出てきて

 

打った曲がったのですが。

 

 

クリントわたしも好きで

 

ミリオンダラーベイビーは書いてるけど

 

グラントリノは書いて無いですね

 

 

 

どっかに書いてないかな。

 

大好きで何回も見てるんだけどな

笑笑い泣き

 

椎名林檎さんが代弁者に感じていたように

 

深井龍之介さんが代弁者に見えてきた。

笑

 

 

こちらも聴いてみてください。

 

地味だけど、

需要ありそうな気がするんだけど。

 

 

 

リベラルアーツについても

語っておられますが。

 

それでも

紗倉まなへの嫌悪感が消えない。

 

今度もAbemaTVで

 

成田悠輔に地味にオプションとして

 

ついてくるんで勘弁してほしい。

笑

 

 

 

若新さんもコテンにいたけど

(福岡?の田川くんだりまで来て)

 

ワカシンさんは

 

誰かのサポートじゃ無いと

面白く無いの気のせいかな。

 

ワカシンさんも

仏教哲学してんだよね確か。

 

出家してるんだっけ。

 

 

今日は朝から、ずっとコレです。

 

偏差値40で

 

かっこぶってごめんあそばせ。

 

昇天

 

空の勘違い。

 

虚無と色即是空の空

 

空を虚無と捉えたら悪手。

 

意識と無意識

 

深層心理(フロイト)

 

阿頼耶識(唯識思想)

 

ハ識(仏教)

 

 

 

 

 

 

言葉は違うが今風に言うと

 

八織は、

 

五感と3つのエゴや意識、無意識

 

識は物体でなく液体でもなく

 

識る(しる)ということ。

 

名詞というより動詞。

 

必ず認識対象を持ち

 

認識する主体がなくなれば

識もなくなる。

 

対象がなければ識(心)もない。

 

すなわち識は

あるようでなく、ないようであるもの。

 

ここでいう唯識は心。

 

心という宇宙を

 

因数分解させたところで

浅く深く表現するものの

 

実態はあるようで無い。

 

本来は

阿頼耶識を深層心理と

呼ぶことはできない。

 

A

眼識、耳織、鼻識、舌識、身識、意識

グループと

 

B

阿頼耶識

を、あえて分別すると

 

Aを現れた心

 

Bを隠れた心

 

著書では

フロイトが用いた深層心理という言葉を借りて

 

阿頼耶識(あらやしき)を

深層心理と言い換えている。

 

『フロイト』の心の捉え方と

『唯識思考』のそれとの相違の一部分

(著書には四つあります)

 

無意識

 

『フロイトの無意識』

 

無意識の存在は、正常人の記憶違い

言葉の使い間違い

あるいは心身症の患者の言動などの観察を通して仮定されたもの。

 

『唯識思想の無意識』

 

阿頼耶識は、

ヨーガ行者がヨーガを行することによって

自ら発見したものである。

 

 

 

無意識ついては

個人的にはフロイトに1票。

 

麻原彰晃のような事例もあって

ヨーガは怪しいという思い込みは、

いまだに根強い。

 

この胡散臭さが

覆されるかどうかは気分次第。

 

ヨガって、おそらく

ちゃんとやればスタイルよくなるし

何より肌も綺麗な人が多い。

 

元芸能人がよく

インストラクターなってるが

 

 

その人たちも

 

枕営業や性被害により

本当に極限まで思い詰められ

追い込まれた人が

生きる上で必然に手に取り

やってくうちに救われて

 

芸能界を引退して

ヨガの先生になってる印象ある。

(芸能界では)

 

芸能界で

オモチャにされ

疲れ果てたが

死を選ばなかった人たち。

 

紗倉さんのように

セックスが三度の飯より

大好きではなかった人たち。

 

そういう印象やバイアスはあれど

 

無意識(深層心理)が

ヨーガによって

発見されたものとは思い辛い。

 

 

台湾の整体なんかは、

あえてヨガという言葉を使わず

気の流れで全身の流れを

解きほぐす人たちもいたり。

 

ケチな私が一万払って

全身やってもらったけど

 

本気でつき抜けるし気持ちいい。

 

施術者は同性でしたが

 

マッサージ

やられてるというより

 

一緒に重力に任せて解してく感覚。

 

 

この台湾式という

 

お金払ってやって習った

フィールドワークだけで

目から鱗で

リフレクソロジーサロン、

辞めたから。

 

サラリーマンだから売上の心配もなく

他人に気つかうことなく

一人で優雅に営業できてたのに。

 

客が来なくても給与は貰える問題にも

腑が落ちなかったし

 

1店舗1人が基本なので客が来れば過労。

 

そんな中で行き詰まり博打で予約した

 

力を加えない無重力のマッサージは

 

リフレクソロジーを辞めた

変数の一つでもある

 

その他もキンタマ見せられたりして

 

気持ち悪くなったからやめた。
 

 

 

>

フロイト

無意識の存在は、正常人の記憶違い

言葉の使い間違い

あるいは心身症の患者の言動などの

観察を通して仮定されたもの。

 

フロイトの無意識の概念に1票というのも

 

精神科医による洗脳で

記憶のすり替わりを起こして

親を殺した人間までもいることを

見聞として先に知ったからかもしれない。

 

知能指数が低そうな

私だから思うわけではないけど

 

記憶力って限界ありそうだし

 

ドラマフォーカスという言葉もあるくらい

 

人類の承認欲求などを含めた

エゴイムズの中には、

ヒロイン、ヒーロー症候群みたいな

 

無駄にドラマティックに

自我に熱い人も存在すると思ってるから。

 

自己顕示欲や承認欲求と同じ

 

被害者意識もその一つとして認識している。

 

ここでいう被害者意識は

プロ被害者にのみ対してだけども。

 

自己顕示欲や承認欲求

この2つによる

ビジネスでの欲求はさておき

(バズり祭り立てられたら

自分では降りれない覚悟は、

できてるんだろうから)

 

自己顕示欲や承認欲求については

覚悟のない人らの

僻み妬みから来るものの方が

個人的には気持ち悪いけど

 

被害者意識はプロこそキモイ。

 

病気でなくて

ビジネスだからキモイのか。

 

しかし

 

その境界線は識だからこそ

 

程よく曖昧。

 

当たり前だが見る人によって

違うのだろう。

 

識はけして

空間的な大きさをもつものではなく

しかも

『あるようでなく、ないようであるもの』

 

 

唯識思想については今はこの辺で。

 

小説ではないので

 

誰かの感情の言語化に心を震わす感覚とは

 

ちょっと違うのですが。

 

まっ

 

ただ引用してるだけ状態で草。

昇天

目的は

 

認知を

虚無でなく空にすることです。

 

一瞬でもイイ。

 

どうせ生きていけば

水が濁る時は来る。

 

唯識思想を読む理由は

 

『あれもこれも無いんか〜い』

と突っ込んで笑おういう。

 

今のところ

アウトプットにもならないですし

 

感情や深層心理の言語化にしかすぎないが

 

今は、まだ完読してないので

 

感情の言語化を一個だけ。

 

過去の感情の中の

わたし個人の言語化

えーん

 

唯識の思想の20ページだったか。

 

本当は

 

こういう粛々とした本は

 

音も何もない環境が望ましいのですが

 

うちは婆ちゃんが

生粋のテレビっ子で。

 

テレビを

一日中つけてないと寂しいという人。

 

テレビが

雑音でしかなくなりがちな私。

(3Sの概念が見え隠れし過ぎててウザイ。

エロを携えた成田悠輔ですらも)

 

ちゃんと見れば

面白いものもあると思う。

 

やっぱり凄いなという側面もある。

 

がしかし

 

満州流れの満州立ち上げ

政治、芸能界での韓流推しも含めて

 

マスコミには、

うんざりしてるのも

 

また一つとして事実。

 

だから婆ちゃん留守の時は無音です

 

風や車の音しか聞こえない。

 

車もたまにしか通らない。

 

でも婆ちゃん茶会から帰ってきたら

 

耳を塞がないと

 

ずっと喋りかけてきます。

 

 

今や、ただの箱な

 

テレビみてても

悪口や上澄みだけの賞賛。

 

比べて私らの遺伝子は的な話を延々。

 

科学的にも

 

どうしようもない他人への依存と僻み。

 

いつもそういうわけではないけれど

 

お互い様かもしれないけど

 

そいういう

俗物感覚からは

耳を塞ぎたい時もある。

 

こうやって本を取り

深読しようと試みている時は

 

特に、そう思える。

 

選択できることの有り難みを

噛み締めるべきですよね。

 

紗倉まなや

B面成田悠輔や

ひろゆきを

無理に

選択しないでもいい。

 

だが婆ちゃんも

結構な雑音なので

無音ではない。

 

しかし歌詞があると

読書が疎かになる。

 

だから音だけを流すことも多い。

 

焚き火や雨の音も持ってはいるが

 

婆ちゃんの声の方が

デカ過ぎて上回るので

 

自然音ですら

大音量では鼓膜が破れそう。

 

だから現在はヒイズミさんとこの

 

ピアノ、

ウッドベース、

ドラムの音を聞きながら

 

読書してるわけです。

 

YouTubeの拡張子を変更して

聞いてるだけですけど。

 

シャレ被って

 

艶〜に

レコード回したりな

音質にはこだわって無いです。

 

その中に

千本桜という曲があります。

 

1人1宇宙の中に

牢獄のように閉じ込められている人間

 

それなのに

私たちは一つの共通な

同じ世界の中に住んでいると

思い込んでいる。

 

心の中にある

木の映像(観念)があるだけであり、

 

各個人が言葉をもって、

その映像をいわば外に投げ出し

 

あたかも一本の木があるか如くに

認め合ってるに過ぎない。

 

唯識の思想より

 

極端な例

 

もしも末期癌と宣告されたら

 

たとえ

桜の咲く春の季節であっても

 

暗い灰色の世界に

一変してしまいます。

 

わたしは、この映像を

親族の宇宙により知り得ている。

 

モテモテの親族で若い時に末期癌で

 

抗がん剤でボロボロなった視力で

 

病室から桜を眺めていた。

 

儚げに見ていたという他人の話。

 

そのフレーズは私が見たわけでなく

 

祖母から聞いたのです。

 

大学病院に桜なんてあったか?そう思うけど

 

親族の器の最期を知って以来

 

涙無くして桜を見る事はなくなりました。

 

末期癌の親族の目に、

どのように映ったかも分からないのに。

 

だから

私はNHKの離島の若い医師と桜の木を植え続け育てる

 

爺さんとの因果関係による

 

花咲か爺さんからの

若い先生への最期の言葉に

 

涙を流し

 

だから私は

 

桜より梅が好きなのだろうと思ったという。

 

この20ページを読んだ時には

 

ヒイズミさんの千本桜が

タイミングよく流れていました。

 

たまたま時空があった感覚です。

 

無重力演奏だから

 

いつもおちゃらけて見えるヒイズミさんの演奏


千本桜も暗くは無いが真面目。
ヒイズミさんの桜の識なんでしょうね。

わたしが思い込んでいたであろう

 

末期癌の親族が

落ち込んだ視力から見た映像と

 

ヒイズミさんのメロディが

合わないこともなかったのが

不思議な感覚でした。