Dowland: Lachrimæ | チーフ・エディターのブログ

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音楽配信の仕事上年間クラシック中心に毎年1,200枚ハイレゾの新譜を聴く中で気になったものを1日1枚。

La Chimera, Zachary Wilder,Eduardo Eguez (La Music) FLAC 44.1kHz/24bit

 

ルネサンス後期のイギリスの作曲家・リュート奏者であったジョン・ダウランド(1563年‐1626年)は100曲に及ぶリュートの音楽を残した。

 

その代表作がアルバムの由来『ラクリメ或いは7つの涙』。

 

これは、最初にリュート曲の『Lachrimae Pavan』(涙のパヴェーヌ)が書かれ、それに歌をつけたのが『Flow My Teas』(流れよわが涙)であり、後にダウランド自身が『ラクリメ或いは7つの涙』というヴィオール・コンソートにして1604年に出版したもの。

 

1Q84Book1で老婦人が読書をしながら聴いていたのもこの版だと思う。

 

歌曲『流れよわが涙』の内容は宗教色のない世俗曲なので、ひたすら嘆いているだけで、その詩のような歌詞がメランコリックなメロディに乗せて甘美に歌われる。

 

これは、当時の欧州では飛びぬけて有名な楽曲だったと言われているので当時の最大のヒット曲といったところだろう。500年後のSTINGにさえカバーされている。

 

古楽コンソールのLa Chimera がこのアルバムで試みているのは、1604年合奏版をそのままなぞるのではなく、「死の床にある男がその運命について回顧的に語る」ようなプログラムに再構成してある。そのため、1604年版を基にはしているが、適宜テノール歌手によるAireを持ってきている。

 

ダウランドはオックスフォード大学を卒業したものの、カトリックであった為、1543年イギリス国教会成立以来カトリックとは距離を置いていたエリザベス1世治世下では雇用されなかったと言われている。

 

そこで就職のため大陸を渡り歩くことになったが、前述のヒット曲などの活躍により、1612年に念願かなって英国王室のリュート奏者となることができた。ただ、そのときは既に齢50に達していた。

 

嘆きのダウランドと呼ばれる所以はこんなところにもあるのかもしれない。

 

憂鬱な曲で有名なダウランドだが、当時の世相に合わせ、敢えて自分自身を暗い人物だという印象を世間に対して植え付けていたようで、実際には明るい快活な人間だったと言われている。

 

そうだとしたら、実にキャラクターづくり、セルフ・プロデュースが上手だったわけで、500年後の現代においても充分に通用しそうなシンガー・ソングライターである。

2021-772

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

via Classic Music Diary
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