キングオブコント2011見ました。
毎年めちゃめちゃ楽しみにしている番組で、正直M-1の後期は結構興味が薄れかかってたので、どちらかといえばこちらの方が楽しみにしている度合いは上にすらなっていた。
まぁ個人的に漫才よりコントの方が好きってのも要因なんですがね。

でまぁ本題。
結果は良かったんじゃないでしょうか。
個人的には鬼ヶ島を応援していましたが、ロバートが文句無しに面白かったので満足です。
全体としても好みによる差こそありますが、面白かったです。

総評はこれぐらいの感じでサラッと流します。
実は一番触れたいのは2700の2本目のネタ。
アレ、あぁた衝撃走ったでしょ?
ボクは基本的にシュールと言われるような笑いって嫌いじゃないし、こんなんもあってええがなとは思うのですが、何やろ心底笑えてない自分にモヤモヤする感じが残るんです。

例えば昨年のKOCのジャルジャルのオバハンオバハンって連呼するやつ。
"オバハン"の言い方を全て一回一回変えていたり、キチンとあのコントを成立させる為のディテールの細かさは解るんです。
でもスゲェなぁと関心はするのですが、心底笑えてないっつーか、何か「コレで笑えない奴はダメだ」って言われてる感じがしてヘコむんですよ。

シュールって大声出して笑うようなもんじゃないのは分かってるんですが、時折、オモロイのかすら曖昧に思えるようなものを見掛けます。
何か試されているようで(見下されてる感じもする)腹立たしく感じることすらある。
そんな時ボクは自分の心眼への信頼が揺らぐのだ。
オモロイことしてるような雰囲気だけやないか!と思うようにはするんですが…。
何にせよ弄ばれているみたいでモヤモヤするんです。

しか~し!2700のあのキリンスマッシュのネタは違った。
一見、モロにシュールなのだが、あの最後の「だけどホントは~」が存在することによって、すべての不条理は強引に回収され、たった1つだけの爆発的笑いを生む。

もうちょっと、あのネタの秀逸さについて語らせてください。
あまりにも感動したもんで。
まず、ともすれば説明過多になりがちなコントの世界で、あそこまで無駄な説明を排除し、しかもキチンとあの不条理を成立させ、尚且つ笑いに転換させたことは賛辞に値する。

よくあるんですよ、例えばデヴィッド・リンチ監督の「イレイザーヘッド」って映画なんてのはシュールな世界観がただただ垂れ流されるわけですが、あんなのはねぇ作り手のオナニーですよ。
こっちの理解力不足じゃないよアレは。
端から説明する気が無いもん、やりっ放し。
頭で考えて観るような作品じゃないって言われればそれまでだけど、そんなこと言われたって、ねぇ。
こっちは一応そのつもりで観とるわけやから、最低限の説明は要るやろ、と。

話を戻しますが、要するに説明を排除するということは必ずしも良い結果を生むわけではないってこと。
その分、どこかで何らかの方法で説明する"必要がある"(とボクは考える)。
それがこのコントの場合、ラストの「だけどホントは~」って部分だろう。
まぁそのちょっと前に「今のところレシーブが2」っていう台詞もあったが、これが存在することによって、このワケの分からん世界にも規則性があるということを提示し、そして最後の台詞でスロットのリーチが外れる感覚とダブらせて、まるでペンキをぶち撒けるが如く強引にリアリティーを色付けする。


これが出来る芸人は意外と少ないのではないだろうか。
シュールなのって、結構やりっ放しのやつばっかですよ。
そう考えるとホントに凄いよね。
だってラストまでは0点ですよ。
あの台詞が存在することによって少なくとも90点以上に点数がはね上がる。
笑うポイントはラスト1回だけ(ただし、この笑いは一部分だけでなく、この物語全てに対しての笑い)。
このがっついてない感じ、余裕やん。

これ書いてる時点では世間の評価とか全然目にしてないのですが(文章が影響されたら嫌だから敢えて見ていない)、ボク的には本当に最高でした。


あと全然関係ないけど、来年辺りバナナマン戻って来てほしいなぁ。
ほんで優勝かっさらっていっちゃってくださいよ。
加護ちゃんが手首切って自殺未遂ですかぁ…。
う~ん、何かなぁ~。
別にモー娘。ドンピシャ世代のボクが、過去の加護ちゃんの栄光を引っ張り出してきて感傷的な気持ちを吐露したいわけじゃございません。
単純にリストカットって何やねん、という話をしたいんですよ。
まぁリストカットなんかで自殺出来るんかいって問題はこの際置いときます。
実際に加護ちゃんが自殺しようとしてやったのかは知らんしね。


デリケートな問題に踏み込みますが、リストカットする奴ってボカァ嫌いだなぁ。
ね、まろやかな表現でしょ?
決して「リストカットするような奴の精神構造なんか意味不明じゃボケェ!」なんてことは言っておりません。
そんな心ないことを口にするような奴は家が燃えればいい。
隣家は全く損傷無く、そいつの家だけが綺麗に燃えて無くなればいい。
おまけにベイブレードで怪我でもすればいい。

そんなことはいいとして、リストカットとは何でも聞くところによると、死にたいからするわけではないんだそうです。
寧ろその逆で、生きたいからするみたいです。
手首を切った時に伴う身体的苦痛や、流れ出る生々しい血の色を見ることによって生きている実感を得られるからってのを聞いたことがあります。

この話の真偽は定かではありません。
リストカットする人達に直接話を訊いたわけじゃありませんから。
でも多分、生の実感が欲しいからってのは当たってるんじゃないでしょうか。

他人から疎外され、「ワタシってホントに世の中にとって必要な存在なの?」とか何とか言っちゃって、カミソリの刃を手首に宛てがい、ええいっままよ!ってな具合にインして、血が流れて、恍惚の表情。
何すか、コレ?
こんな痛いこと(2つの意味で)せな生きてる実感湧かんかい?
超シンプルにセックスとかオナニーとかやったらアカンの?
いや~いけるっしょ。
絶対オナニーでええわ。

まぁゲスなことを敢えて外して考えるならば、音楽聴く、カラオケ歌う、映画観る、マンガ読む、っていうような娯楽的なことでも、その気になれば結構生きてる実感得られると思うねんけどなぁ。


でね、ボクが何故リストカットする奴を嫌いかと言うと上述のようにそんな痛いことする必要ある?ってのの他にも幾つか理由があるんです。
やっぱり一番何が嫌いかって、リストカットという行為自体が誰かの模倣だからってことですね。

何で手首なの?
首なら駄目なの?
足首でも腹でも額でもええやん。
でも手首なんですよ。
何故なら、"リストカット"という概念がこの世に存在するから。
だから奴等はこぞって手首を切るねん。
生きてる実感が欲しいってことはつまり、自分が自分であるという実感が欲しいってことじゃないの?
じゃあ他人の模倣では意味が無いでしょ。
そんなこと知らんかったら、手の甲に五寸釘打ったりとか、何か人それぞれ違う方法の自傷行為が生まれるはずや。

あと、手首なら死に至らないという認識があった上で行為に及んでいるのも嫌いやな。
そんなほとんど保証されたような綱渡り感ゼロの行為で生きてる実感得られるんなら、別にわざわざそんなことせんでも脳内で片が付くようなことちゃうの?

最後に、これも結構腹立つんですけど、"デリケートな問題"って最初に書いたでしょ?
それにも表れてますが、こういう話題って何かすごく気ぃ遣うじゃないですかぁ。
理解を示さない人間の方が100-0で悪いことにされますよねぇ。
絶対おかしいって、そんなん。
変な正義感が蔓延しとるわ~。
こうなったらもうこっちも気ぃ遣わなしゃあないがな。

元来ボクなんてどちらかと言えば、リストカットする奴等と同じような経験してる部分ありますよ。
そりゃ全て同じとは思いませんよ。
いじめられまくって死にたい…みたいなことは無かったですから。
でもボクだって高校時代とかそれなりに辛かったよ~。
全員死ねっ!とか本気で思ってたからね。
でも何とかやってこれたもんなぁ。
だからこれは罵倒ではなく、寧ろそんなことしてんとパンクでも聴きなさい、そしたらリストカットせんでも済むから的なボクなりのエールと思っていただければ幸いです。


P.S.全然関係ない話なんですが、数年前にあるテレビ番組で、銀座の母とか呼ばれとる占い師のババアが加護ちゃんの手相を見るって企画をやってたんですよ。
ほんでそのババアが持ち前の不躾で失礼なキャラをいいことに、「もっとちゃんと手見せなさい」とか何とか言って、ガサツに加護ちゃんの長袖の裾を上に引っ張り上げたんですよ。
じゃあ当然リストカットの傷痕が見えますわなぁ。
そしたら全然知らんかったかのように「可哀想に~」みたいな白々しい演技おっ始めやがったんです。
それを見た時、このババアの手練れっぷりと品性下劣さに戦慄したことを思い出しました。
先日、映画「学校の怪談」のDVD-BOXを購入しまして、小学生以来、十数年振りに観返してみたのですが、もうこれが最高なんですわ。

まず何と言ってもガキ共特有のあのワチャワチャした感じね。
全体通してワチャワチャしとるんですが、意外にもそこにリアリティーがあるんですよ。
ガキ一人一人のキャラクターもはっきりしていて、こんな奴おるわ~って感じで感情移入しやすいしね。
演出として結構ガキの描写には拘ったんだろうなぁって伝わってくる。
ただ2に出てくる子で、口が聞けなくて常に笛を吹いてコミュニケーションを図るガキがいるんですが、お前は黒木香か!と思ってしまいました。

まぁそれはいいとして、他にも出演者がなかなかの好演を見せている。
野村宏伸のあの力の抜けた芝居、西田尚美の程よくパワフルな感じ、故・岸田今日子の怪演、今では有り得ない黒木瞳のチョイ役出演、何故か野田秀樹が出てるのも良かった。

あとはねぇ、物語の本筋とはあまり関係のない、ちょっと時代的な話になるんですが、幾つか好きなシーンがありまして。
まず、1に出てくるちょっとヤンチャなガキがいるんですが、コイツの母親が単車の整備工のような仕事をしてて、仕事中にタバコをスッパ~とふかしてるシーン、あとその母親の仲間のパンスケ達がノーヘルで単車をニケツしてるシーンね。
あと2でガキ同士が喧嘩になって30人近くで野菜やらジャガイモやら生卵やらを投げつけ合うシーン。
こういったシーンは今だと無理かもしれませんね。
まだボクが小学生の頃はアリだったんだなぁ~、あの頃は良かったなぁなんてノスタルジックに思ったりしました。


その他にも素晴らしいところはいっぱいありますよ。
1に関して言うと、メリーさんの正体がスイカというふざけた設定、物語の鍵を握ってるのがハニワというバカバカしさね。
あとラストの妖怪がインフェルノとかいうプレデターのバッタもんみたいなモンスターなんですが、思いっきり洋風仕立てにしとるんですよ。
和モノで他に何もおらんかったんかい、と。

んで2ではその反省もあったのか、からくり人形出してきよるんですけど、いやいや和のテイストは分かるねんけど、次は時代がちょっと古過ぎるやろ。
からくり人形て何やねん。
しかも最終的にはインフェルノみたいになってたし。
もうどないやねんの連続ですわ。

それからこれは1も2も共通してるんですが、トイレの花子さんのポジションがよく分からないという。
別に子供を驚かせたりするわけでもなく、校舎の外から全てを見守ってたりするわけですよ。
お前は何様やねん!
崩れ去っていく校舎を見守るその姿は、さながら幽遊白書の左京のようでした。


まぁでもやっぱトータル考えたら1と2が好きかなぁ。
3も全然好きなんですけど、1や2程ではない。
4に至ってはそんなに好きじゃない。
でもこれにはちゃんと訳があって、4はシリーズの中ではちょっと異色なんですよ。
主人公の兄妹がすっごいクールな役柄だし、学校の怪談の重要なファクターであるコメディ要素が全体通してほとんどない。
あとねぇ~、コレは物凄く重要なことなんですけど、4は公開が1999年、ボクが中1の時なんですね。
で、さすがに中学生になったら学校の怪談には興味失ってて、4だけは未見だったんです。
コレが原因としてでかい。

正直、全シリーズに言えることですが、大人の視聴に堪え得る代物ではございません。
そりゃそうですよ、だって子供達を対象に据えて製作されてるもの。
だからこの映画は子供の頃に観なきゃ意味がない。
子供の頃に一度観た者は、後に大人になって観た時、当時の感覚が甦ってきて無条件に興奮してしまうわけです。

だからボクらはある意味選ばれた世代だったんですね。
芸術性とか作品として優れているかどうかとか、そういった部分で勝負していない学校の怪談のような作品ってどの時代にも必要ですよね。
こういう作品を子供の頃に観た奴は生涯その作品を好きであり続けますから。
実際、ボクはコレさえあれば生きていけるとすら思ってしまいました。
ただ1ミリも怖くは無かったけどね。