BO GUMBOS
「BO & GUMBO」(1989)


女の子に自分の選んだCDをプレゼントするのは意外と難しいし、勇気がいることだ。
相手が聴いたことのないようなもので、尚且つ受け入れてもらえそうなもの。
そして何より大切なことは、そのCDを自分が死ぬ程好きであること。
これだけの条件を満たすのはなかなか難しい。
しかも自分の好みがモロに露呈し、それが相手に受け入れられなかった時のことを考えただけで、もうメチャクチャ恥ずかしい気持ちが湧き上がってくる。


ボクが初めて女の子に、自分が選んでプレゼントしたCDは、ここで紹介するボ・ガンボスの『BO & GUMBO』だ。
渡した相手は、当時付き合っていた彼女。
ボクが18歳にして初めて手に入れた"彼女"という世の中で一番カワイイ未知の生き物だ。

フリッパーズはあざと過ぎるかぁ、スピッツは俺が渡さんでも聴くやろうしなぁ、拓郎は男臭過ぎるなぁ、ピーズはキツイかなぁ、有頂天はシュール過ぎるしぃ、フィッシュマンズはボーカルが苦手な可能性あるしぃ、などと腐ったオカマのように考えに考えた。
今は無きアメ村のタワレコにて、2時間近く悩んだ末に結局コレに決めた。

女の子でも受け入れやすいような、何とも言えんカワイさのあるバンドだったし、何よりもボクは当時このアルバムを死ぬ程聴いていた。
よく彼女と遊んで、バイバーイつって別れた帰り道に、自転車をゆっくり漕いで「トンネルぬけて」をMDウォークマンで聴きながら口ずさんでいたのが決め手となった。


"風が騒ぐ夜は 家へ帰りたくないよ 君をたたきおこしに行くよ 目を覚ませよ"


今でもこの曲を聴くと、あの時の、人生で一番楽しかった瞬間を鮮明に思い出せる。
このアルバムを渡して、結局彼女がどう思ったかは知らない。
何か恥ずかしかったから、あまり訊けなかった。


この話を職場の先輩にしたことがあるのだが、「そんなんボ・ガンボスで女が喜ぶわけないやろ」と言われた。
ボクはソイツの髪の毛を毛根から根こそぎ全部千切ってやろうかと思うぐらい腹が立った。
人の思い出に、そこら辺で拾ってきたような頭の弱い女と腕組みながら、泥塗れの作業靴でガサツに入ってくるような真似をするんじゃねぇ。


それはそうと、本作には恋愛の始まりと終わりを示唆するような、両極端な曲が収録されている。


"泥んこ道に二人でころがりおちた もう二度ともどれない 愛の世界に もぐりこんで もぐりこんで ずっと抱き合って ころげおちて ころげおちて 泥んこ道を二人で" by 泥んこ道を二人


"淋しいよって 泣いてても 何ももとにはもう もどらない 欲しいものは いつでも 遠い雲の上" by 夢の中


改めて聴いてみて、やっぱりコレを渡して良かったと思った。
ボクはセンスが良過ぎるとも思った。
長渕剛
「JAPAN」(1991)


本気で死にたいとまで思うぐらいズルズルに心を剥かれた夜、その時、一番欲しているものは慰めではなく肯定だろう。
アンタは間違ってないよ、と肯定してほしいのだ。
そんな荒みきった気分の時、自分より更に上を行く荒み具合の人間を見つけることは、生きていく上で非常に大切なことである。
自分と同じどころか更に上行く奴がいる!、それを肌で感じた時、幾らか救われる思いになる。


本作の長渕は、そんじょそこらのジャリ共とは桁違いの荒み方である。
しかも本作が、昨今の自意識過剰で神経過敏なホネホネろっくんろーると決定的に違うのは、荒んだ後に諦念や自閉、自暴自棄へ向かうのではなく、全員シバき回したるわコラァっていう怒り剥き出しの闘志へと向かうところにある。


ダウナーな気分の時、同じようにダウナーな曲を聴くのは、確かに自己の肯定という意味では効果的だと思う。
しかし、そこから一刻も早く抜け出したいのであれば、諦念や自暴自棄を前面に打ち出したようなナルシスティック包茎ロックなんか聴いてたってダメ!
そんなもん聴いたところで、いつまでもそこに浸っているばかりで、何にも状況が好転することなんてない。
そんなものを聴いてる暇があるのなら、このアルバムを聴けっ!


本作での長渕は、この世の考え得る全てに対して毒吐く。
ツバ吐きかけるとかいうレベルでなく、もはや血ヘド混じりのタン吐きかけて、間髪入れず豪速球でビチグソ投げ付ける、ぐらいの毒の撒き散らし様である。

政治、権力、マスコミ、金、女、ブランド、愛、東京、日本、アメリカ、そして自分自身。
それら全てをMAXハイテンショ~~ン♪で詰り倒して、蹴散らしまくる。
その姿はさながら狂気を湛えたボクサーのようで、曲を通して見えてくる孤独な背中に、男なら誰もが涙を禁じ得ない。


本作発表時の長渕はホントにカッコよかった。
懐古主義みたくなって申し訳ないが、この頃の長渕と今現在の長渕はもはや別人なのだ。

本作発表時の長渕はヒョロヒョロの体で、世の中に対して怖いもの知らずに吠えまくる。
それが"持たざる者"の反逆って感じで、ボクなんかのような典型的な"持たざる者"は、心を素手で鷲掴みされたような気になってしまう。

しかし、長渕はあろうことか体を鍛え上げてしまった。
自身のコンプレックスを克服したことによって、"持たざる者"から、ただの"権威"になってしまった。
彼が自分の体の1.5倍ぐらいの大きな筆で、汗まみれになりながら「魂」とか書いた時に、彼はもう"持たざる者"ではなくなったのだ。


だからといって過去までが全てオジャンになるわけではない。
1991年当時、このアルバムに刻まれた長渕は確かに存在したのだ。
本作を聴けば、俺はまだなんとかいけると強く思う。
岡村靖幸
「DATE」(1988)


いや~もう大変。
ちょっと個人的な話ですが、この1週間、超絶にアタマ狂ってしまうようなHARDEST DAYSだったんですよ。
1週間ってこんな長いもんか、と。
まぁ遡れば、もうかれこれ1ヶ月ぐらい前からプロローグは始まってたんですけど。

ホントに何か…もうどうしよう、と。
地球ごとガスバーナーで燃やしたろかクソボケェってな気分になった数分後、全員抱きしめたいみたいなこと思ってみたり、もう何でしょうギリギリな状態ですよ。
まぁとにかく、様々なことで心を嬲られまくって、超可哀想なボクちゃんだったのよ、この1週間。
んで、この1週間は勿論のこと、プロローグが始まってた1ヶ月前から、まっっったく心休まってないからね。

寝てる間に勝手にチンポ去勢されて、ついでにアナルまで犯されて、人通り多い繁華街のど真ん中に全裸で捨てられて、助け求めてフラフラ歩いてたらダンプに轢かれて、車道の脇に血塗れでぶっ倒れてるところに、昼間っからワンカップ片手にベロベロのジジイがガードレール越しに濃~いションベン引っ掛けていった…ぐらい悲惨な毎日ってことはないけども、まぁボクのようなチンカス程度の魂の人間は、このぐらい大袈裟に考えてしまうわけですよ、情けないかな。


そんな爛れまくった精神状態だから、「ロックみたいなもんが今の俺を救ってくれるわけないんじゃ!」なんてことを思ったりもした。
でも今までだって、どんな時でもロックはボクを裏切らなかった。
今回だってそう。


岡村ちゃんは男の女々しさを包み込むように優しく肯定してくれる。
そして、すべての女の子は平等に美しいんだと教えてくれる。
それがトチ狂ったビートに乗って、容赦無き全開放のテンションで叫び上げられる。

アガる↑。
生まれて初めてこの言葉を使いたいと思った。
これ以上に適切な表現は今のところ、ボクには見つからない。
このビートを知らないで死んでいくのは、セックスを知らないで死んでいくのと同義。


岡村ちゃん、ありがとう。
貴方の曲を聴いてる間、イヤなことを考えずに済みました。
ボクはこの1週間、もし目の前にシャブが置いてあったら、間違いなく打っていたと思います。
もう何か分からんけど、こめかみに打ってたと思います。
よって貴方の曲は合法的なシャブなのです。