ニューロティカ
「ハーレム野郎」(1989)


思春期というものは、人生の中でもかなり厄介で、それでいて何とも言えん愛くるしさを纏った刹那の季節である。

高校の教室なんてのは、自我や自意識が水風船の如くパンパンに膨れ上がり、そこへ更に虚栄心までもが縺れ込んで、それらがグチャグチャに絡まったような、面倒なことこの上ない感情をギリで表に出さないよう虚勢を張っているバカ共が、夏の夜の電灯に群がる羽虫の如く犇めき合っているような状態の、言うなればただの地獄である。

ボクの高校時代なんてのは、そのバカの最たるもの。
針のムシロをキチンと整備したり、血の池に血を補充したり、釜の温度を限界まで上げたりと、自ら進んでより良い地獄の形成に力を注いでいたバカの極みのような、ただの人型の生ゴミである。


そんなヒネた奴だったボクは、感情を素直に表に出すことを、恥というよりも害悪だとすら思い込み、頑なにそれを拒絶していた。
それこそ、ほとんどビョーキ状態なボクだったにも拘わらず、少ないながらも友達になってくれるような気の毒な奴がいた。


Mとは高1の時クラスが同じで、邦楽のパンクやロックが好きだという共通点で仲良くなった。
出会った頃はお互いに大した知識もなく、ブルーハーツやユニコーンでギャアギャア言ってるぐらいが関の山だった。
それでもクラスの中ではかなり音楽に詳しい方だったと思う。
ブルーハーツやユニコーンなんてボクらの世代では、とっくに解散してたから聴いてる奴なんてボクらぐらいしかいなかった。
クラスの他の連中は流行りのJ-POPとかを嗜好してたから、ボクらはそれを横目に見ながら、二人して虚栄心を満たすべく奴等を嘲っていた。

Mとは高校3年間通して同じクラスだったこともあり、毎日のようにつるんで遊ぶようになった。
放課後になれば、お互い部活もしてないようなクズだから時間だけはある。
中古レコード屋、タワレコ、カラオケ、古本屋と、飽きもせず毎日毎日行きまくった。
そうなってくると必然的に、お互い音楽の知識も増えてくる。
そしてそれを共有し合ってボクらはまた仲良くなっていった。


ボクらは二人共、端から見れば本当にイヤな奴等だったに違いない。
しかし、ボクの歪み方はMとは比べ物にならないぐらいの代物だった。
ボクに比べりゃアイツなんて素直の部類に入るだろう。

高2のある日、Mはニューロティカというバンドを知った。
それはまさに運命の出会いと言うべきものだった。
瞬く間にMはニューロティカに傾倒し、持てる限りの時間と金と情熱を注いで、過去のアルバムを集め、ライブに通った。

今でこそニューエストモデルやオザケンなどチンポしゃぶってもいいと思えるようなアーティストも出来たボクだが、当時、自分は人並み以上に音楽を聴いてはいたが、コレッ!というぐらい情熱を注ぐことの出来るアーティストには巡り合っていなかった。
そしてそれがコンプレックスでもあった。
Mがニューロティカにハマればハマる程、そのコンプレックスは肥大していった。

Mは「めっちゃええからお前も聴け」と彼等のベスト盤を貸してくれた。
ボクは家に帰って聴いてみたが、何だかよく分からない気持ちだった。
良いと思っているのに、Mがハマっているから絶対に良いと思いたくない、そんな気持ち。
次の日、学校でMに「どうやった?」と訊かれたが、ボクは「あんま好きちゃうわぁ」と、素っ気なく答えた。


それから数年後、高校卒業以来、1年振りにMと飲みに行った。
アイツは高校卒業後、大学に入学し、ボクはと言えばバイトオンリーのプラプラした生活。
そういった環境の違いもあったのか、次第に疎遠になっていき、気が付けば卒業以来1年振りの再会となっていた。

ボクはその頃まだまだ全然高校時代の薄汚い根性を引き摺っていたが、Mは違った。
大学入学後まもなく交遊関係も広がり、彼女まで出来たと言う。
ボクは今考えれば、それが堪らなく悔しかったんだと思う。

そんな中、ふと目に付いたMの手首に薄紅色のミサンガが巻かれていた。

「何それ?」
「彼女に貰ってん」
「まさかお揃いで?」
「うん…」

恥ずかし気にそうに呟くMを見て、ボクは完全にスイッチが入った。
もうそこからは思い付く限りの罵詈雑言と冷笑を浴びせかけた。
アホか、しょーもない、そんなんするようになったら人間終わりじゃ!など、もうエグいぐらいの罵倒。

一通りその罵倒を受け止めた後、Mは金を置いて席を後にした。

「俺のことはなんぼでも言っていいけど、彼女のことは悪く言うな」

そうMは言い残してその場を去った。
ボクは正直意味が解らなかった。
絶対に自分が正しいと思ったし、お前が大学行って変わっただけじゃボケェ!とまで思った。
それ以来、一度もMと連絡を取ることはなかった。


あれから6年程経った。
ボクも少ないながら、彼女なるものと付き合う機会に恵まれた。
今になってやっと素直に言える。

「M、あの時ホンマにごめんな。俺も彼女のこと悪く言われるのが、世の中で一番腹立つってやっと分かった。俺のこと殺したかったやろなぁ。ホンマにごめんな。あと、お前の貸してくれたニューロティカ最高やったで」
スチャダラパー
「タワーリングナンセンス」(1991)


以前にも書いたと思うが、ロックとはただの音楽形態の一つに留まらない意味合いを持つ言葉である。
ロックとは精神性や魂を指す言葉だ。
うまく説明出来ないし、する必要もないが(感じるものだからね)、世の中の全ての事柄はロックかそうでないかで構成されている。

スチャダラパーは音楽のジャンルとしてはHIP HOPと考えるのが一般的だろう。
ボクも異論はない。
しかし、精神性はとんでもなくロックだ。
故に、彼等の音楽は何だ?と問われればボクは一も二もなくロックだと答えよう。
ジャンルの垣根なんかは悠々と飛び越え、物事の判断基準に於いて、何よりも最優先されるべきは、ロックかそうでないかだ。
この話を念頭に置いてもらった上で次へ進もう。


ボクはHIP HOPやレゲエが苦手だ。
理由は簡単で、それらの音楽からはしょーもないヤンキーの匂いがプンプンするから。
ボクのようなまるで前世から文化系ってな人間は、真逆の生き方であるヤンキーに憧れてしまう部分もあるのだが、それはホントに一握りのしょーもなくないヤンキー、即ち"漢"を感じさせるヤンキーにのみ言えることであって、基本的には受け付けないものなのだ。
チャンプロード広げながらシンナー吸ってるようなバカには憧れることなど死んでも有り得ない。

そして何よりも、文化系の人間というのは、やくみつるVS亀田の親父という、文化系とヤンキーの対立構造が生まれた時、何が何でも文化系であるやくみつるを擁護しなければならないと、これはもう法律で定められている。
どっちが正しいとかカンケーない。
もうそうしないと駄目なんです。


しかし、スチャダラパーは前述の通りロックである。
従って何の問題もなく、ボクが聴いてもオッケーというね。
恐ろしい程のマッチポンプだが、やはりHIP HOPを当たり前のように聴けてしまう程度のデリカシーの持ち主だとは思われたくなかったので。
ボクは自分が文化系であることを、恥ずかしながら少し誇りに思っている節があるから。


HIP HOPが他の音楽と明らかに異なる部分は、韻を踏むという一種の言葉遊びに重きを置いている点だろう。
ボクは常々思っているのだが、韻を踏むというような、おそらくジョークから端を発したであろうこのHIP HOPという音楽と、最も相性の良い歌詞は"おふざけ"ではないだろうか。
もしもそうだと仮定するならば、スチャダラパーはそれをよく解っている。
世間の所謂売れ線HIP HOPのように「愛してるよマイマザー」的な薄ら寒いことには一切抵触せず、一貫して世の中を斜めから見たような憎たらしいおふざけを展開する。

あとはやっぱりサブカルの匂いがするってのも、ボクを惹き付ける大きな要因だ。
彼等の人脈やルーツとなった音楽やカルチャーを探れば、そりゃもうモロにサブカルなんだが、それがキチンと自身の作品にもフィードバックされているってのがいいね。

とにかくスチャダラはロックなんだって!
HIP HOPを毛嫌いする奴も取り敢えず一回聴いたら分かるわ。
こんなに長ったらしく書いて、アンタらが聴く理由を作ってあげたんだから絶対に聴きなさい!


そして最後にボクの一番お気に入りの歌詞を載せておこう。
この歌詞はスゴイ。
今聴いてもそのメッセージ性は全っ然有効というか、今だからこそというか。
まぁとにかく今のテレビ業界はこの曲聴いて考え方改めて欲しいね。
では「フィクション大魔境」。


"触れてはいけない事 ない事になってるもの 友達と日常話すコトバ でもT.P.O.で言えなくなることは ホントホントに実在するし 根拠がなんとも理解に苦しい 内容ともかく誤解を招いちゃ ドーコー言わずに撤回しなくちゃ 糾弾されるかゴーゴー非難 あっさり変換 一番簡単 その場凌ぎの対応策 コトバなくなりゃ 即 解決みたく さわらぬ神にたたりなし 改善する気なんてさらさらない コトバは消えても残る存在 言いかえられても さらに不可解 クレーム対策主義 根本の問題 掘り下げずにムシ よくないよ この態度 しかし クレームつけるほうも問題ないの? そりゃ 不快にさせたり傷つけたり 蔑む表現は避けるべき でも 問題は表現する人の態度 コトバ自体 そんな重要じゃないよ かんじんの内容に不感症 フィクション大魔境"


やっぱGREEEEEEAT!!!
ハナタラシ
「HANATARASHI」(1985)


何でお前等はそんなしょうもないことで机バンバン叩いて笑えるねん。
一万円のベルトしてたらそんな偉いんか。
まどろっこしいステップとか全部すっ飛ばして単純にセックスがしたい。
つーかお前等みたいなオモロない奴等は全員ぶち殺したい。


高校時代、そんなことばっかり考えていた。
男子校だったことも手伝って、その憤懣や殺意めいたものは日々鋭くなっていった。

もう何かに縋らないと、脳細胞が粉々に砕け散って発狂するんじゃないかと思っていた時期もあった。
実際にジーパンのケツのポケットにモンキーレンチ忍ばせて登校してた時もあった。
バリバリの文化系がケツのポケットにモンキーレンチ。
もう後はがむしゃらに振りかざすしかないって感じだ。

でも幸いにも何とかそういうことをせずに済んだのは、ボクにはお笑いや小説やロックがあったから。
それらは過激であれば過激である程、ボクの心を満たしてくれた。
お笑いならダウンタウン、小説なら筒井康隆、そしてロックなら…。


ハナタラシとは現・BOREDOMSの山塚アイがフロントマンを務めていたノイズパンクバンド。
彼等のライブに於ける伝説は枚挙に暇がない。
パフォーマンスとして猫の死骸をチェーンソーで切り刻んだだの、ユンボでライブハウスごと破壊しただの、チェーンソーを振り回していて誤って自分の太股を切っただの、果ては来日したアーティストのライブにダイナマイト持って潜入したとか。


ボクは高校時代、一度だってハナタラシの音楽を聴いたことがない。
このアルバムは、いまだ未CD化のレコードでのみ聴くことが出来る音源だし、そのレコードだって当時、数万円の値が付くようなレア盤だった。
ジリ貧の高校生のボクには、そんなものを聴く手立てなどどこにもなかった。

でもそんなことどうでもよかった。
嘘だろうが本当だろうが、そんな伝説が語り継がれているだけでゾクゾクしたし、それだけで満足だった。
たとえ彼等の音楽に触れることが出来なくても、過去にそんな奴が存在したってだけで救われるような気持ちになった。


あれから10年余り経った。
つい先頃、ブート盤のCD-Rでこのアルバムを手に入れたので、早速聴いてみた。
そこには、ただただ憎悪と狂気に任せて繰り出される破壊的ノイズの塊だけがあった。
噂に寸分違わぬキ×ガイじみたノイズだった。
でも正直、こんなの何回も繰り返し聴くようなもんでもない。


そしてボクはやっと気付いた。
彼等のようなアーティストはレコードに刻まれた記録なんかが重要ではないのだ。
そんなことよりも、四半世紀以上にも亘って語り継がれた伝説こそが、彼等の最高の作品であり、奏でた音楽なのだと。

だからこうしてこんなカスブログにも、彼等の伝説が絶えることなきよう願いを込めて、記す。
ボクのような高校生活を送るゴミ人間にとってそれは、宗教にすらなり得る救いの光だから。