2017.10 NO.76 がいむしょう VS ないむしょう
横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されて今11月で満40年を迎える。親御さんの横田夫妻の悲痛な思いは北朝鮮に届かない。北朝鮮にとっては、日銀マンの娘という不都合な子供を拉致してしまい日本での騒ぎを大きくしてしまったと思っているだけなのか。
これまで外務省はただ手をこまねいていたわけではない。しかし、外務省のH.Pを見ると、「拉致問題は、我が国の国家主権及び国民の生命と安全にかかわる重大な問題であり、この問題の解決なくして日朝の国交正常化はあり得ません」とある。この一節だけを切り取れば、日朝国交正常化が目的であり、拉致問題はそれに向けての障害とも読みとれる。国民の生命と財産を直接守るのは、警察であり防衛省の仕事のハズだ。
小泉首相時代、当時の外務省田中均アジア大洋州局長は、首相と一緒に帰国した拉致被害者を北朝鮮に戻さなければならないと主張して、人でなし呼ばわりされた。拉致被害者家族にとっては当然かもしれないが、我々はもう少し冷静に考える必要がある。
戦前警察力も有した巨大官庁として戦後GHQに解体された内務省ならまだしも、武器を持たない外務省は外交テーブルにつくことしかできない。
警察官を前にして「拉致しました」と故金正日総書記が言えば、それは自白であり、そのあとに続くのは、少なくとも実行犯の逮捕だ。外交テープルだからこそ、密約があればこそ、認めたのだ。ミスターXに「拉致被害者を一旦返すからまた戻してほしい」と言われ、田中氏は「わかりました。これで日朝国交正常化が進展するでしょう」と答えても不思議ではない。しかし、拉致被害者蓮池薫氏の兄蓮池透氏の(本人曰く)強硬な意見もあり政府は返さなかったことから、北朝鮮は日本が約束を破ったと盗人猛々しい態度に出た。盗人にも三分の理だが、もともと外交テーブルは筋違いなのだ(それなのに、またぞろ拉致被害者の為ではなく政権浮揚策として二匹目のドジョウを狙うかとの噂が立っている)。
かつて外務省の外交官で国家よりも人命、それも第三国の人命を尊重した人物がいた。一昨年末公開された映画『杉原千畝 スギハラ チウネ』その人である。私が日本の過去の人物で尊敬するベスト3の内の1人である杉原は、外務省の訓令に反してリトアニアで6千人ものユダヤ難民にビザを発給し、日本のシンドラーと呼ばれた。しかし、その杉原は戦後外務省を追われた。外務省の論理からすれば、杉原のとった行動は国を危うくする重大な規律違反。杉原もそれを理解しているから黙って身を引いたのであろう。
助けられたユダヤ人が杉原を長年探し求め、1985年イスラエル政府から「諸国民の中の正義の人」として表彰されるに至り、日本人にも広く知られるようになる。
それでも外務省がなかなか杉原の名誉回復に動こうとしなかった。外務省が重い腰を上げ杉原の名誉を回復させたときは杉原が外務省を辞めてから44年も経っていた(映画を観てキャリアであればもっと早かったものをとの印象を一層強くした)。
杉原がとった行動はだれにでも真似できるものではない。田中氏は、ミスター外務省としての自負を持ち、日朝国交正常化に向けて忠実に職務を遂行しただけという思いかもしれない。(小泉首相との二人三脚による)独断専行や記録がないこと、そこに見え隠れする私欲は、責められても仕方がないと思うが。
拉致問題については、本ブログの2014年7月NO.37(「らち と ふらち」)で言及した。軍事ジャーナリストの鍛冶俊樹氏は、著書の『国防の常識』の中で、「日本国憲法」があるから国民を守れないのではない。自衛隊に救出する気がないのではない。政府や国会などの国家中枢にその気がないのであると言う。
金正男不法入国・拘束が千載一偶のチャンスであったが、みすみす解放したのは田中真紀子外務大臣の軽挙?に責めを帰するのではなく、当時の国家中枢の総意だと私は思う。
その時に戦略転換をすべきだった。米国や中国をもってしても手を焼く北朝鮮に、自らを安全なところに身を置き、経済制裁やあるいは経済援助を見返りにというスタンスでは、いい様に舐められるだけだ。従前の対応を囲碁に例えるなら、北朝鮮にとっては花見コウ。将棋への戦略転換が必要だが、日本側の思惑に関係なく、北朝鮮の方が将棋スタンスに既に変えている。米国空母への形だけの護衛を安保法制の実績作りとしたが、見返りに、北朝鮮から、米国の同盟国日本も攻撃対象にされ、平気で日本の上空にミサイルが飛ぶ。
拉致被害者蓮池薫氏の兄蓮池透氏は一昨年『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』(講談社)を上梓した。東電を辞め、家族とも離縁し、拉致問題に全霊を捧げたが、政治家らに翻弄され、被害者家族達の間でも孤立した透氏の断末魔の叫び(首相をはじめ中山恭子官房参与ら拉致問題に登場するほとんどの人を名指しで批判)が聞こえる。
ただ、一方的な内容でもあり、諸手を挙げては賛同できない(拉致被害者が戻らない家族達が、透氏の北朝鮮に対する宥和的発言を変節だと怒るのも、無理からぬこと)。だが、透氏が安倍首相を「拉致を使ってのし上がった男」と表現したことは正鵠を射ていると思う。
今春めぐみさんの母横田早紀江さんが「何もできなかった40年は国家の恥!」と訴えた。40年の全責任を負う必要はないが、難題の解決を高らかに謳った安倍首相は、今のままでは「首相の、友達による、友達のため」の政治を志向したと歴史に刻まれる。レガシーになるのは、党是のための憲法改正ではなく、拉致被害者を取り返すことではないのか。
可能性は高くない米朝衝突を期して拉致被害者救出を米側に協力依頼するのではなく、自らの手で取り戻すことが米国の核の傘にいるといえども日本の自立の第一歩となろう。その場合、危惧される北朝鮮からの日本本土への報復攻撃は、在日米軍人が一人でも死ねば米国が北朝鮮を総攻撃するから、その危険性は高くない(甘い素人考えだろうか)。
世界では当たり前の、自衛隊による救出作戦プログラム及びその完全遂行態勢の確立が焦眉の急だ。そのために憲法改正が不可避と言うのなら、大義がある。自国民を取り戻すことは、国家の義務であり、平和国家と矛盾しない。世界も侵略と難癖をつけないだろう。
首相は「国民を守る最低限のことが我が国ではできない。拉致被害者や紛争地に取り残された邦人を救出する際には、許されるなら自らが乗り込む覚悟であるので、自衛隊機派遣制限の撤廃、攻撃に応戦するための交戦権を認めてほしい」と自衛隊員を含む全国民に時間をかけて切々と訴え続ける。それが首相としての晩節を飾る花道になるのではないか。
我々も覚悟が必要だ。「拉致被害者及びその家族は気の毒だが、そのために我々の生活が脅かされることになるなら嫌だ」と言うのなら、田中均氏を批判する立場にない。ただ、拉致被害者家族達は、それでもすがるしかない国から煮え湯を飲まされ続けるだけだろう。