2017.4  NO.70 ジョシロ VS ジョシ

 私は小学校3年生まで母親と銭湯に行っていた。ある時脱衣場で同級生の可愛い女の子が下着をつけて大き目の椅子に座っていたが、裸で背を向けて座りその子の下着の背中側を濡らしてしまった失敗談を覚えている(他にも覚えていることはあるが言わぬが花だ)。

奥手の私だったが、神戸下町の当時の相場なのか条例なのか4年生からは男湯に入っていた。中学生に上がり、性毛が生え始めたとき兄と近所の子らにはやし立てられた。

ある日、風呂屋の主人が、玄関の工事をするので今日だけサービスと言った。裏口から男の脱衣場に行くには女の脱衣場を通り番台の前に垂れているのれんをくぐって男の脱衣場にたどり着く。帰る時も女の脱衣場を通り裏口に向かう。意外にも女の人たちはタオルを縦にして隠していたものの平然としていた。男の方が照れくさそうに出入りしていた。もっとも、50年以上も前のこと、当時番台には店の主人つまり男も座っていた(江戸時代まで男女混浴で黒船のペリー提督が風習の違いに驚いたという、その名残りなのか昭和30年代では今ほどには女に抵抗感がなかったのかもしれない)。

町内会で須磨のヘルスセンター?に行った時も、混浴で、男達が先に入っていたが、女達がぞろぞろと同じ湯舟に入ってきたら、男連中がすごすごと隅の方に後ずさった。裸で一対一ならともかく群れになると女の方が度胸がよく男の方が気恥ずかしがると理解した。

遠い日のことですっかり忘れていたが、昨年男性教師が女装して女子風呂に入ろうとして見つかったというネット記事(女達の群れに囲まれて惨めに蹲いていた)を見て、遠き日の当時のことを懐かしく思い出した。

 

 社会人となってから、女子風呂には当然縁がなかったが、女子プロとは話す機会があった。といっても口を利いた程度だが。平成元年宝塚の支店長の折、取引先のゴルフ場から招待された。男子プロと違い当時の女子プロは飛ぶ人でもドライバーの飛距離が240ヤード前後で素人の我々とそんなに変わらないので参考になると出かけて行った。

旭国際のコースのパット練習場に歩み寄り「黄璧洵さんですか?」と声をかけた。当時ファンだった台湾の黄璧洵プロは韓国の李知姫プロ(日本ツアーで活躍中にて生涯獲得賞金10億円超)をもう少し小さく華奢にした感じの天才肌で日本で13勝をあげた。今はどうしておられるかと案じていたら、香妻プロファンのブログ・香妻琴乃.com(2016.9.1)で紹介されていた。アリナミンVカップ 「グランドシニアの部」に出場し2位になったとのことだ。黄プロが還暦を迎えても元気なご様子で安心した。

新宿支店長の時、熊本で平成2年春に開催されたマルコーレディスのプロアマに参加した。名前は忘れたが、台湾出身の女子プロと談笑して回った。その時膝を痛めていたがせっかくなので強行出場した。足を引きずりながらのプレーでチームには貢献できなかった。プレー後の授賞パーティにて、バブル期のあだ花となるが、その時はまだ不動産業マルコーの金澤社長ともに時代のプチ寵児であった日長銀(現新生銀行)のH部長の尊顔を初めて拝した。バブルをはじけさせた不動産融資総量規制がまさに発動される直前だった。

プロアマだったか何の時か思い出せないが、吉川なよ子プロと高村博美プロだったと思うが前の組で回っていて、後ろから声をかけ二言三言話をしたら「おっかねぇ!」と思った。しかし、それでこそ勝負の世界でトップを走れるのだろうと思ったことを覚えている。

岡本綾子プロとは口を利いたことはないが、流れるような綺麗なスイングと「フニャ」とあだ名される性格はプロの中では優しそうとの印象で長年ファンになった。

この3人のトッププロの時代は社会人になってからゴルフを始めている人が多い。30歳前後からピークに向かっていくので結婚するか一生ゴルフに捧げるか悩む時代でもあった。

今の女子のトッププロは、30歳で引退と表明するプロも少なくない。世界ランク1位のリディア・コプロは17歳で30歳での引退希望を口にした。韓国出身のアン・ソンジュプロも30歳での引退をほのめかしている。横峯さくらプロも30歳引退を表明したことがある。そこには、2006年から始まったワールドランキング初代女王のアニカ・ソレンスタムプロが38歳で引退し、結婚・出産したこと。それ以上に、その後の絶対女王(158週世界ランク1位)ロレーナ・オチョアプロが29歳の若さで引退したことが衝撃的で強く影響していると思う。

今のプロは、子供の頃からゴルフを初め30歳になる頃には20年以上ゴルフをしていることが多い。ある程度稼げばお金ではなく第ニの人生を歩みたいと思っても不思議ではない。

東尾理子プロは、ある解説で、男子プロと違い30歳、35歳が節目と言っていた(世界を席巻する韓国女子プロ達の大躍進の起点となった朴セリプロは昨年38歳で引退を表明した)。

ゴルフでも花の命は短いようだが、今体格の向上、育成体制の充実、道具の進展等もあり、より若い人がどんどん台頭してきていることも早期引退を後押しするのかもしれない。

2016年度末の世界ランクのトップ5は、すべて19歳と20歳台。とくに、ベスト3は上からリディア・コ(19歳)、アリヤ・ジュタヌガーン(21歳)、チョン・インジ(22歳)という若さで、しかも年下順だ。

5年前の世界ランク上位5人の5年間(2011VS2016)の比較を見ると、ヤニ・ツエン(201122歳)1位→105位。スーザン・ペーターソン(同30歳)2位→18位。チェナヨン(同23歳)3位→55位。クリスティ・カー(同34歳)4位→30位。ポーラ・クリーマー(同25歳)5位→87位。皆大きく順位を落としている。

 日本では、女子プロが目の色を変え挑む日本女子オープンで、昨年とうとう15歳のアマが優勝する時代が到来したかと思ったら17歳の畑岡奈紗アマ(現プロ)が逆転で最年少優勝した。優勝争いした20歳の堀琴音プロが「プロが勝たないと」と言い人目を憚らず泣いた。

時代の過渡期とも言えるが、もうベテランと呼ばれそうな30歳代の女子プロはどう思っているのだろうか。プレー後の女子風呂のシャワーを浴びながら悔し涙を洗い流しているのであろうか。それとも、海外メジャーを制した樋口久子プロや米国で賞金王になった岡本綾子プロのように大きく羽ばたいてもらったらと年下の子らにもうそう思っているのだろうか。

2017.3  NO.69  いたがり VS  いたがり

私のことを、妻は痛がりと言って蔑み、知人は言いたがりと揶揄する。

ハリウッドの大女優メリル・ストリープ女史は堂々と新大統領になる権力者を批判した。日本では賢い人は思っていても軽々しく口にはしない。ガキのままの私は、そうではない。

週刊現代は寿新春特大号の特集『天皇陛下「安倍総理への不満」』のP72にて「天皇制について根本から議論してほしい―天皇自らが発した思いは、安倍政権によって、都合よく【矮小化】されてしまっている」と書いた。その頃陛下の神経を逆なでするかのように2019年から新年号を使用すると大々的に報じられた。オーナー会社のカリスマ経営者なら、下が「辞めるんだって。それなら会社のロゴマークを新しくしよう」と言えば、下をどやしつけるだろう。それは象徴天皇には許されない。阿吽の呼吸という言葉がむなしく響く。

最近安倍首相は「戦後レジ―ムからの脱却」とは言わなくなった。変節したと言われるのはまだしも意味が分かっていないのかとの声もあがった。佐伯啓思氏に至っては、著書『反・民主主義論』(新潮新書)の第三章「戦後70年・安倍談話」の真意と「戦後レジ―ム」において、P76で「戦後レジームからの脱却」を唱えていた安倍首相の談話によって、本当に「戦後レジーム」が完成してしまったと断じる。

米国のみ侵略戦争が許される。それは、自由、民主主義、人権、法の支配を守るための正義の戦争だから、その米国に日本が従属するというのが戦後レジームという。安倍首相は、宗主国米国に安保法制を朝貢し、予想に反しトランプ氏が大統領に決まるといち早く尻尾を振りに訪米した(大統領就任後のゴルフ外交で忠犬として暴君から認知された)

山口出身の大学の同級生に首相は尊王攘夷の長州人のDNAを引き継いでいないではないかと問うと、同級生は首相は山口に住んでいない。東京人だと言った。その山口に舐め切った態度のロシア大統領を招いた。宗主国米国はその真意を測りかねたことだろう。

記者の原真人氏は、著書『日本「一発屋」論』(朝日新聞出版)でアベノミクスは失敗したが、首相はそれを認めず、さらに無駄にエンジンをふかそうとしていると書いた。あの佐高信氏は浜矩子同志社大教授との対談『どアホノミクスの正体』(講談社+&新書)を上梓した。浜女史がアホノミクスと命名したアベノミクスにおけるトリクルダウン理論は、そもそも、上の方に点滴を垂らせば下まで行き渡たる。貧乏人はそれを待ってろという金持ちたちの横暴、傲慢に対する批判からうまれたものだという。

両書を読んで、首相は、下におこぼれが落ちようが落ちまいが、任期中に経団連を初め大企業や富裕層が(ふるさと納税、プレミアムフライデーも含め)満足し、現政権を支えてくれればそれでよいと思っていると理解した。

そんなことが許されるのかとエコノミスト河村小百合女史が『中央銀行は持ちこたえられるのか』(集英社新書)で強い警告を発している。現政権に同調する日銀の事実上の財政ファイナンスにより日銀の総資産は低金利の国債を中心に400兆円まで急激に膨れあがっている。短期金利があがっていけば債務超過に陥り日銀は機能不全に陥ると警鐘を鳴らす(宗主国の暴君が日本の金融政策を否定する発言をしており、その懸念が現実味を帯びてくる)

日銀が現政権の日銀部に成り下がる現様相に対して、軽部謙介氏は『検証 バブル失政』(岩波書店)にて、永野健二氏は『バブル 日本迷走の原点』(新潮社)にて、(バブルの遠因となったロン・ヤス時代のレーガノミックスと同じ政策をとり始めているトランプ政権からの圧力対して)日銀がどう独立性を守るべきか反面教師として前回バブルから学べと言う。

バブルといえば、私にも苦い思い出がある。平成2年の6月か7月、銀行の全支店長会議の檀上に立っていた。40歳直前の新宿支店長としての晴れ舞台ではあったが、後年しくじったとの思いにかられた。不動産業が地場産業の新宿の支店長として不動産融資に釘を刺すべきであった。地価はまだ下がっていなかったが、不動産融資規制が既に発動されていた。都銀は融資を引き揚げしつつあり、取引先は当行に追加融資を要請していた。壇上からジョーカーを引いてはならないと言うべきであったが、受けを狙うのような話に終始した。私がそう話したからといって銀行がブラックホールに引き込まれる軌道に乗ることを阻止できたとは思わないが。私の銀行員人生における大きな悔恨の一つになった。

バブル当初、明治末期に生まれ昭和2年の昭和恐慌を知っているオーナー然として君臨する会長と昭和40年の証券不況下の就職難で昭和41年に入行した後継者と目される役員と路線対立があった。会長は不動産融資に反対していたが、後進に道を譲る時期でもあり絶対阻止という態度はとらなかった。そんな中、大蔵省検査が入り検査官が「御行はなぜ(他行のように)不動産融資をやらないのか」と問うた。それが不動産融資傾斜への免罪符になってしまった(検査官が存命ならそんなつもりで言った覚えはないと言うだろうが)

上層部の問題だけではなく、行員の間においても、昭和40年を境に昭和30年代入行者と我々40年代以降の入行者との間に融資スタンスに相違が見られた。我々の方がイケイケドンドンであり、声も大きかった。

歴史上バブルの最初の現象は、1637年オランダのチューリップ・バブル(チューリップの球根投資の過熱と暴落)と言われる。米国が永遠の繁栄と呼ばれた後の1929年の大恐慌(日本は昭和恐慌)もあった。経験のない者が歴史から学ぶことは容易いことではない。ましてや、賢者でなく、歴史に学ぼうとする気がない者にとっては。

今の憲法改正も同じだ。戦後の首相たちが憲法第9条の矛盾に気がついていなかったハズはない。戦地に赴いた、あるいは凄惨な光景を目にした政治家たちはニ度と戦争はしたくないとのその一念であった。

青木理氏の『安倍三代』(朝日新聞出版)を読むと、安倍首相の父方の祖父寛は反骨・反戦の賢く人望の厚い政治家だった。父晋太郎は「岸信介の女婿じゃない。安倍寛の息子だ」が矜持。首相にはこの祖父を師として仰いでほしいものだが、似ても似つかぬようだ。

そんなトップが、類が友を呼ぶ。今の政権中枢を担う人たちは、戦争を知らない。自身らは間違っても戦場に行くことはないと思っている人たちだろう。

戦前の軍部の独走を反省し戦後文民統制を徹底していた。しかし、今般の防衛省の法改正等で制服組が背広組より優位に立ち、防衛省内での「文官統制」は崩されてしまった。

このような非経済面よりも確実に経済面において悲惨な目に遭わされる無垢な大衆が現政権を支持している。民主主義の限界を感じるし、やりきれない思いがする。

その中で、現政権の長期化を狙って自民党総裁の任期を党内無風の中39年に改変した(賢者のトップならこんなことしない)。自民党の非主流派、昔の主流派は死んだふりをしているのか。それとも総無責任男時代か。都政手腕は?だが小池都知事の方がよほど男気があるというものだ。上述の女性エコノミストたちも同じことが言えるだろう。

2017.2  NO.68   VS 

昨年の新春にふぐ旅行に出かけた。最後の晩餐はふぐと決めていたが、余命何か月を宣告されてから慌てて食べたのでは、美味な物を食しても砂を噛んでいるのと同じになってしまう。最後の最後は、イケメン俳優の向井理さんならずとも卵かけごはんを最後の晩餐と挙げる人は少なくないが、生卵はダメなのでだし巻き卵にしよう。大根おろしを添えて。

元気な内にと思い立ったが、妻を誘えば、もったいない!と即座に却下されるだけでは済まないので、目的は語らず九州一人旅に出た。歌手兼俳優の武田鉄矢さんがひいきの博多にある名店「博多 い津み」(いずみ)と下関にある、明治4年伊藤博文公命名により創業し「ふく料理公許1号店」として名高い春帆楼本店とに、天然ふぐを賞味しに行った。

ふぐは河豚と書く。中国では海よりも河のふぐが親しまれていたことに由来するという。海豚の方が合っていると思うが、海豚はイルカ。ちなみにカバは河馬と書く。フグを海豚、イルカを海馬、カバを河豚に(ついでに我家では家内を家豚に)変えた方が、しっくりとくる。

ふぐの本場下関や九州の方では、ふぐを福とかけてふくと呼ぶ。それぐらいだから肝を食べない。もっとも、大分の臼杵は例外で、警視庁OB濱嘉之氏の小説『頂上決戦』の冒頭に中毒死事件として登場する。実際に平成26年に料亭で中年女性が中毒死している。

関西は鉄砲と別称される(弾にたまに当たる)だけあって、肝を食べて食中毒になった事件が散見される。一昨年神戸でもトラフグの肝を食べて数人が中毒症状で入院している。

阪神大震災の前神戸に住んでいた頃なじみの店では〆のぞうすいに肝が入っていた。ふぐの毒テトロドトキシンはふぐが喰う餌に関係しているとの触れ込みで、養殖のふぐでは当たらないと半信半疑だがそう思っていた。肝の油でコクが出るぞうすいは格別に美味しい。ただ、カワハギの肝を入れられたとしても分かるものではないが。

平成6年に上京して暫くは、宴席や自前でフグ店に訪れたが、1万円台では美味しいと思わず、それ以来東京ではふぐは食べる機会がなくなって行った。

ところが、少し前ある雑誌にて高名な農学博士が紹介しているのを見て、妻を連れ立って都の北西部にあるその店を訪れることにした。行く前に、その店のH.Pをみると、天然とらふぐと書いてある。メニューには内容によるランク差がなく、人数により値段が変わるだけのシステム。一人平均では1万円にもならない。首を傾げながら臨んだが、案の定、悪い予感が当たった。店内には、宇宙人と呼ばれた元首相やゴージャスとの形容が似合う男性歌手らが来店した記念スナップが飾られていた。そんな口の肥えたセレブ達が喜ぶハズがない。きっと裏メニューがあるに違いないと思った。

ただ、白子や唐揚げもついたコースが1万円を切るならなるほどお値打ちで、〆の雑炊は美味しかった。それでふぐは美味しいものだと地元の人が思ってくれるのであればそれはそれで悪いことではないが。

私自身と言えば、天然とらふぐを食べたというはっきりとした記憶がない。今回の旅行では意識して天然物を食することにした。「博多 い津み」の特選天然コースに出されたてっさ(ふぐ刺し)は赤みがかっていた。特選コースの天然とらふぐのてっさだけは、まず塩で味わってもらうと店の女将に言われた。蕎麦と同じかと思ったが、てっさでは天然ものと質の良い養殖ものとの差がよくわからない。てっちり(ふぐ鍋)にするとその違いがよくわかった。ふぐの皮は天然物では分厚く弾力がありすぎてむしろ美味しいとは思えなかった。

翌日関門海峡を望むすこし高台にある春帆楼本店に訪れるべく、下関に移動した。夕刻までに時間があったので、向かいの門司港へフェリーで往復した。寒い海は波荒く暗く不気味だった。平家滅亡の際6歳で入水した安徳天皇のことを思いやった。

春帆楼の個室に案内され、暮れなずむ関門海峡の方をぼんやり眺めていたら、30年以上前神戸の銀行員時代に先輩たちと麻雀の後ふぐ屋に流れこんだ時のことがよみがえってきた。最高級の物を一人で食するのも悪くないが、天然物でなくても皆でわいわい言いながら一つの鍋をつつくのもよいものだったと回想した。

阪神大震災があったとき、壊れた故郷を見るのが忍びなく5年ほど足が向かなかった。ようやく神戸に戻る気になった時、そのふぐ屋を探したが見つけることはできなかった。一緒に鍋をつついた先輩たちも皆もうこの世にいない。なんとも寂しいかぎりだ。

 

松茸もその良さを感じえる関東人は多くないかもしれない。数年前所属していた業界団体のミッションで韓国に行った折お土産に松茸を購入した。他の人は美味しかったと言っていたが、香り(においは、悪い意味でも使う。松茸には失礼)がしないし、割くと中がまっ白すぎる。虫も喰わない物を食べるのかとの気になった。

平成の初め宝塚で銀行支店長をしているとき、取引先のホテルから招待され、歌手川中美幸さんのショーを夫婦で観る機会があった。その間幼い子供達3人を宿泊部屋で面倒みてもらうため地元の女子行員に頼み、少しのお礼を受け取ってもらった。かえって気を遣わせ、お返しにと女子行員の実家の裏山で採れた松茸をたくさん頂いた。結構虫が喰っていた。自然に任せればこれが本当の姿なのだと理解した。

神戸に住む母親から生前毎年のように晩秋に松茸を送ってもらっていた。当然値の高いものではないハズだが、国産の松茸は香りが違う。松茸ご飯は私の出番。味付けは薄口醤油と塩と酒だけでよい。濃口醤油では松茸の香りを損ねる。私の手料理を余り好まぬ子供達でもこれは喜んで食べていた。

 

本籍を東京に移しても関西人の私は、納豆、甘い卵焼き、もんじゃを、いくら努力しても好きになれない(妻は私に対して同じことを言う)ので強くは言えないが、ふぐや松茸を美味しいと思わない人も一度ちゃんとした物を食べてもらいたい。食べて「美味しいけど、こんな高いならステーキや寿司の方がよい」と言っても構わないので。

 

2017.1  NO.67  メートル VS  メートル (3

村松剛氏は『帝王後醍醐』(中央公論社)で、「帝王後醍醐のかげが、近代日本の国家理念の基礎に深く浸透している」と結んだ。しかし、小島毅氏の『足利義満 消された日本国王』(光文社新書)で知った悲劇の北朝第3代崇光天皇の子孫であらせられる明治天皇、昭和天皇ご自身が、南朝第1代後醍醐天皇の親政を理想と思われたハズはないと私は思いたい。

天皇にとって代わる野望を持った足利義満は、明から日本国王として冊封を受け、朝廷の権限を簒奪していった。それでも次男の義嗣を後小松天皇の後釜に据えようとした。義満とて天皇制を否定していない。

南北朝時代頃より天皇の権威は地に落ちたに見えたが、『室町の王権』(中公新書)の今谷明氏は、既成権威よりも高次の調停者としての地位という新しい権威を得たとする。

戦国時代を終わらせた三傑、あの信長でさえ窮地を天皇に救ってもらい、出自にコンプレックスを抱く秀吉は進んで天皇を取り込み、家康も天皇の権威を借りて江戸幕府を正当化した。明治政府も錦の御旗をもって徳川幕藩体制を終わらせた。日本では天皇を味方にできなければ賊軍となり敗軍となる。

明治政府は王政復古を唱えたが実際は権威と権力の二重構造は変わっていない。明治天皇も大正天皇も昭和天皇も“君臨すれど統治せず”を受け入れた。

15歳で即位した明治天皇に政治の実権を持てるハズがなく、成人されてからも、天皇を補佐する、佐々木高行ら侍補グループによる天皇親政運動が展開(明治10年~12)されたが、それ自体がその証拠ともいえる。二・二六事件も、陸軍皇道派青年将校よる、“君側の奸” (政財界の要人)を排し天皇親政を求めてのクーデターだが、昭和天皇が叛乱軍と断じたのは、立憲君主の立場をわきまえておられる証左といえる。

保坂正康氏の『秩父宮』(中公文庫)にP105よれば、大正天皇は、山形有朋公と食卓を囲む際山形公の品のない所作に日頃からいらだちを覚えていた。山形公が天皇家は自分たちの力で存在しているとの傲りを見せるのが宮中では怨嗟の的になっていたという。

明治維新から満州事変までは政党内閣制への移行における過渡期と言えるが、天皇の信頼を得るも政党政治を推し進める、明治天皇における伊藤博文公、昭和天皇における西園寺公望公ら元老が内閣と立憲君主としての天皇との間に立ち、うまく調整機能が働いていた。しかし、日本の最も重大なる局面において、最後の元老たる西園寺公が高齢よる病弱で、さらに逝去したことは、昭和天皇にとっても、日本国においても、大きな痛手となった。軍部にも迎合しない西園寺公に代わる人材がおらず、期待された近衛首相は胆力と決断力に欠けてその器にあらず、軍部独裁政治に対する歯止めがきかなくなってしまった。

20年以上前に発刊された吉田裕氏の『昭和天皇の終戦史』(岩波新書)に共感し今でも昭和天皇の戦争責任を問う者は、近衛首相が天皇に終戦を上奏したとき、「もう少し戦果がと天皇が同意しなかった」ことを金科玉条のごとく取り上げる。しかし、それは浮世絵の局部誇張表現と同じだ。そんなことを言えば、天皇と同じく戦争に反対していた近衛首相自身が政権を投げ出さず尽力しておれば、日米開戦自体なかったかもしれない。

いずれにしろ、昭和天皇の独白(『昭和天皇独白録』【文藝春秋】)に見られるように、不敗神話を妄信し戦争を支持する大衆とそれを煽った部数至上主義のメディアに後押しされより暴走する陸軍に対して大元帥としての天皇もNO!が言える状況にはなかった。軍部、とくに陸軍は、軍の意向に沿えば天皇の御意に従うが、そうでなければ無視する。加藤陽子東大教授の『戦争まで』(朝日新聞社)によると、日米開戦直前のルーズベルト米大統領からの昭和天皇宛ての親書を陸軍が勝手に届くのを遅らせた。これは統帥の崩壊といえるとしている。陸軍にとっては、現人神でも神聖不可侵ではなく、いざとなれば天皇を代えてしまうことも辞さない、そんな傲慢不遜さがあった。

終戦においても、結果を知っている今の我々は「あの時こうすればよかった」と言うのは容易い。当時天皇が終戦を聖断するということは、敗色が濃厚となり手負いの獅子として殺気立つ軍部に対して死ね!と面罵するのと同じだ。やはり軍部の大勢がもうこれ以上は無理だと諦観する時間が必要であり、あの815日まで待たなければならなかった。

ただ、先の独白録を見ると、昭和天皇は、単なるお飾りではなく、政治に積極的に意見を述べられたことが分かる。戦争責任を問われなかったとしても、昭和天皇ご自身としては、誰に求められるわけでもなく好物を断つがごとく、戦後沈黙を守り続け、象徴天皇としてひたすら国民の幸福を祈られたことにより、半生を通してご自身なりのけじめをつけられようとされたのではと思う。その中で、目覚ましい経済復興を成し遂げ豊かな日本になった今日において、天皇制を否定する理由は何があろうか。

 

私は、為政者に失望しても、国民に範を示す天皇がおられる限り、愛国心を捨てることはない。古くから天皇は表裏を問わず日本人の精神的支柱であり、かえって権力を持たないこそ1,500年以上に亘ってその「権威」が揺るぐことがないものと言えよう。

パナマ文書に中国やロシアの最高権力者の名前が取り出されたが、日本では私がよく批判する現首相や元首相でも載っていないだろう。伊藤之雄氏の『元老』(中公新書)によると、明治天皇が質素な生活を奨励し、天皇、伊藤博文公、山県有朋公ら元老から日本全体に浸透していき、腐敗の少なさが日本の近代化を成功させたとする。その明治天皇を師と仰ぐ昭和天皇が、『天皇陛下の私生活 1945年の昭和天皇』(米窪明美氏著)で垣間見られるように、慎ましやかな生活をされ国民に範を示され続けられた。それを引き継いでおられる今上天皇から任命を受ける首相が私腹を肥やすことなどできようか。そこは信頼に足る。

3.11の東北大地震で暴動が起きないことに世界が驚嘆し、台湾の黄文雄氏が『日本人はなぜ世界から尊敬され続けるのか』と書いた、その根幹にあるものが、天皇の下における平等な日本人の和の精神。

言論、思想、宗教の自由の現代において、帰化の条件にはできないかもしれないが、日本語を愛しみ、天皇を敬い、和の精神を理解する人に日本人になってもらいたいと思う。

 

2017.1  NO.67  メートル VS  メートル(2

日本人における天皇とは。週刊新潮連載『変見自在』でお馴染みの超辛口の高山正之氏は古今東西の要人をボロカスに言う。故マッカーサー連合国軍最高司令官(以下「司令官」という)も天下の朝日新聞もかたなしだが、天皇には触れない。

反権力の私も権力者の現首相や元首相をミソカスに言うが、天皇を揶揄することはない。私にとって天皇は「権威」であって権力者ではない。私には古代からの日本人のDNAを引き継いでいる。戦後生まれの私は天皇を敬えとの押付けや教育を受けた記憶はない。

著名S評論家は皇室を揶揄したとしてネトウヨ?に在日外国人だと書かれた。ご丁寧にも外国人名までカッコ書きされて。そのネットに載せた行為は許されるものではないが、天皇を敬うのがごく普通だと思う者にとってはつい信じてしまうかもしれない。それほど皇室をなじる行為には違和感を覚えるものだ。

過日友人の弁護士と天皇について話す機会があった。天皇制に反対と言われ、よもやの返事でひどく困惑した。日弁連に洗脳されたのかと聞くとそうではないと言う。極めて常識人の彼がと思うと、言論の自由とはいえなんとも腑に落ちぬ。

弁護士業がそう言わしめるとしか考えられない。彼は明治政府が日の丸と天皇という国体を国民に押し付けたと言うが、皇国史観は明治時代にはそれほどのものではない。第二次世界大戦前に国民に軍部が押し付けた。明治維新で着物から洋服に変わったとしても日本人の精神性がそんなに簡単に変わるものでない。天皇の権威は聖徳太子以前から千数百年経った今日まで延々と続いている。

江戸時代の百姓は天皇のことを知らない? そんなことはない。ムスリムのメッカ巡礼のごとく、一生に一度伊勢詣することが夢とされた。伊勢御師(信徒を相手に祈祷や世話をする者)が全国各地に派遣され、伊勢参りに訪れる百姓たちの世話をした。御師が説明する伊勢神宮に祭られた天皇の皇祖神天照大神の話を百姓たちが耳を塞いだわけではないだろう。

第二次世界大戦敗戦の折キリスト教布教のチャンスでもあったが、マッカーサー司令官は天皇制存続に舵を切った。反共対策として天皇制を利用する意味もあったが、国民の激烈な抵抗を危惧しそうせざるを得なかった。敗戦の翌年5月の世論調査(毎日新聞)でも国民の85%が象徴天皇制を支持した。マッカーサー長官が去っても変化することもなく、のちに学生運動は起こったが学生の抑えがたきエネルギーの塊が天皇に向くことはなかった。

天皇制に反対し天皇条項がある現憲法制定に唯一反対していた日本共産党の矛先もいつのまにか萎えている。「憲法にある制度として、天皇制と共存するのが道理ある態度だ」(日本共産党創立81周年記念講演)とする。天皇制を変えず共産党のスタンスを変えている。

コメディアンのなべおさみ氏は、任侠学というものがあれば大学で教鞭をとれるほどよく研究しておられ驚く。氏の著書『やくざと芸能と私の愛した日本人』( イースト・プレス)によれば、やくざでもいざとなれば天皇の盾になるという(網野義彦氏の『異形の王権』[平凡社]を読めば合点がいく。後醍醐天皇は悪党、非人などの「異形の輩」と接触し貴賤を問わない政治ネットワークを構築しようとした)

高校の同窓会に出席した弁護士にも聞いてみたところ、天皇制に反対と言われた。けだし、弁護士というものは、難関の司法試験に合格した偉い人達だが、日頃憲法や法律とにらめっこし過ぎて、日本人の精神性に加え日本の政治システムの歴史を軽視している面があるのではないか。我々庶民は法律に寄り沿って生きている訳ではない。家族愛、隣人愛、郷土愛、愛国心、社会的使命、信条、矜持に基づき生きている。

50年弱の弁護士業を営む戸田等弁護士が書いたエッセイ本『弁護士物語』(新潮社)の冒頭に「人は、人を愛すると優しくなる。法律を愛すると冷たくなる。」とある。そのあとに「愛しすぎて餓死した裁判官がいた。」と続くのだが、これは、私が指摘する側面に対する戸田弁護士自身の自戒だと私は捉えている。多方面に見聞を広め知見を深め、バランス感覚を維持・向上させているのはそのためだと勝手に思い込んでいる。

 

だが、かく偉そうなことを言ってみても、私自身「天皇」について改まって勉強した記憶はない。この際書籍を乱読してみた。近著『日本人と天皇』(田原総一朗氏著)、『「日本人の神」入門』(島田裕巳氏著)、『格差と序列の日本史』(山本博文氏著)等より、古代からの日本の政治システムの歴史を振り返った。

天皇を中心とする中央集権を確立するうえで身内や豪族たちと血と血で洗う抗争を繰り返し、それを正当化するためにも、もっと好戦的な荒ぶる皇祖神天照大神が必要であり、神話が作られたと思う。その神の存在とその恐ろしさを当時の人々は本当に信じ、平安時代には藤原氏が天皇に取って代わるのではなく、天皇から摂政・関白に任じられ、それ以降権威としての天皇と権力としての為政者との二重構造の政治システムが、一時期を除いて、長らく続くことになる。京の貴族がルーツの武家の棟梁が為政者となるには天皇から右近衛大将や征夷大将軍の任命を受ける(源氏のあと幕府の実権を握った北条氏は血筋が低いとして、征夷大将軍にもなろうとしなかった)。今も同じだ。天皇から首相が任命される。

武士政権の中で、後醍醐天皇による建武の新政と呼ばれる天皇親政が3年だけ行われた。かえってそれで天皇の権威を大いに失墜させた。であるのに、水戸の光圀公は、後醍醐天皇とその忠臣楠木正成を持ち上げた。かの光圀公でさえ天皇の権威は絶対であり、天皇に任命されるにふさわしい血筋を足利氏と並ぶ新田氏に求め徳川幕府の正当性を明確にしようと『大日本史』編纂に着手した。その新田義貞が南朝の後醍醐天皇についていたことから南朝正統説を採った。200年後それに感化された尊王志士によって葵の御紋が印籠を渡されることになるとは黄門様も予見できなかった。

 

2017.1  NO.67  メートル VS  メートル (1)

フランス人クリストフ・ルメートル陸上競技選手は日本人の夢を壊した。2010年に白人ランナーとして初めて陸上100m走において10秒の壁を破った。当時日本陸上短距離界では、黒人ランナーに次いで10秒の壁を突破するのは日本人選手だと心に決めていた。

2002年アジア競技大会で優勝、翌年の世界選手権で銅メダルを獲得した200m走の末續慎吾選手が、今後は100m走に注力すると発言したとき、高野進監督との師弟コンビはなにを勘違いしているのかとど素人の私はその時は思った。後になって、レジェンド人見絹江(1928年アムステルダム五輪800m銀メダル)が、100メートル、200メートル、走り幅跳びの元世界記録保持者であったことから、遺志を継いでいるのかと理解した。

しかし、アジアに限っても、中国の蘇炳添選手に2015年先を越されてしまった。

現在桐生祥秀選手(175 cm21歳)や山縣亮太選手(176 cm24歳)10秒を切ることが期待されているが、未知数ながらサニブラウン・ハキーム選手(187 cm17)の方により期待がかかる。さらに、昨年6月の日本選手権100メートル走にて日本一となったケンブリッジ飛鳥選手(180cm23)もいる。サニブラウン選手はガーナ人の父と、ケンブリッジ選手はジャマイカ人の父と、それぞれ日本人の母とのハーフ

私が子供の頃バスケットでも2メートルほどの大男の選手は動きが緩慢だと思っていた。今や大きくてもマイケル・ジョーダン選手(198 cm)のように俊敏このうえない。陸上においても、黒人選手特有の筋繊維をもち、ピッチ数も変わらないのであれば、体が小さくスライドが狭い日本人は短距離では歯が立たない。世界一早いボルト選手は196cmで、958の世界新記録の時の歩数が41歩で平均ストライドは244 cmと言われる。身長比の極めて単純な計算だが、ボルト選手が100メートルのテープを切ったとき、桐生選手が同走していたら90メートル (244 cm×175÷196×41)にも達していないことになる(もっとも、ボルト選手のいない次の東京五輪の4×100mリレーでは金メダルが期待されるが)

陸上に留まらず日本スポーツ全体で見てもアフリカ系のハーフの活躍が目立つ。楽天のオコエ瑠偉野球選手はナイジェリア人の父と日本人母とのハーフ。女子バレー日本代表の宮部藍梨選手もナイジェリア人と日本人の母とのハーフ。ラグビー日本代表の松島幸太朗選手の父はジンバブエ人。

国際結婚が珍しくないフランスで、一昨年春に日本で劇場公開された仏映画『最高の花婿』は、フランス人四姉妹の結婚相手が中国人、ユダヤ人、アラブ人、アフリカ人というブラック?ホームコメディー。さすがに日本ではこんなことは考えられないが、2014年に我が国で生まれた約102万人の赤ちゃんの内3.4%、約29人に1人が国際結婚で生まれたと新聞紙面に載っていた。私は、本ブログ20164月号(『キムテヒVS キムソヒ』)で書いたように、男から見た日本女性は世界一だと考えるので、日本人女性と結婚したい、日本に住んでもよいとする外国人男性はもっと増えていくに違いないと思う。日本女性は、我々男子のように体格的に気おくれを感じるということもない。平和ボケで軟弱になった日本男子より頼もしいと思っているのかもしれない。

受け入れ側の日本の親においても国際結婚に対する拒否感は薄れつつある。“将軍家御用達”京都・宇治茶老舗がスイス人婿を受け入れているし、長野県戸倉上山田温泉の温泉旅館の若旦那はシアトル出身米国人の婿養子だ。

ミスコンテストにおいても、2016年ミス・ワールドの日本代表に吉川プリアンカさん(インド人の父と日本人の母のハーフ)が選出された。2015年ミス・ユニバースの日本代表も宮本エリアナさん(アフリカ系米国人の父と日本人の母のハーフ)が選ばれている。

もともと、日本人の祖先は、Y染色体で辿ると、他の民族と同じくアフリカの一人のアダムに帰する。そのアダムの子孫はアフリカを出て3つの出アフリカ系統に分岐していくが、その3系統すべてが日本人には見られ、それは珍しいことらしい(日本人が洋食、和食、中華等雑食なのはそのためかもしれない)。当時の日本列島は今でいうところの多民族国家だと言える。

ホモ・サピエンスがアフリカを出て違ったルートで方々から東の果てにたどり着ついた。四季のある美しい自然の島国日本という樽の中で数千年の熟成を経て、ピュアでまろやかな「日本人」が形成されていった。

その日本が、たかだか240年の、貧富の格差さにより歪な社会となりあのトランプ氏をトップに選ばざるを得ないほど病める米国社会を指向していたと見えるのは、小泉・安倍政権は、いかがなものかとしか言いようがない。

 

  日本人で国際結婚が増え、肌、髪、目の色が多様になると、見た目では日本人と分からなくなる。何をもって日本人とするか。そのアイデンティーが問題となってくる。

日本国籍を有すれば、なんでも構わないというものではない。日本人のアイデンティティとして「日本語を使う(書く・話す)」ことに異論がある人はいないだろう。英語が常識な科学界においても、科学評論家の松尾義之氏は『日本語の科学が世界を変える』(筑摩選書)と言う。実際毎年のようにノーベル賞を受賞しており日本語が不利になっていない。アニメ、マンガ、ジャパンホップス等今や世界が日本語を学ぶ時代だ(それは言い過ぎか?)

そのあとは、武士道、あるいは神道にそれを求める人もいるだろう。私は、“天皇の下に平等なる人民による和の精神”を挙げたい。

山口謠司氏著の『日本語を作った男』(集英社インターナショナル)その人である明治時代の上田万年帝大教授は「日本語は日本人の精神的血液なり」と言った。私は“天皇の下に平等なる人民による和の精神”は「日本人の背骨」だと言いたい。

 

 

 

2016.12  NO.66  ん VS   

少し早いが今年1年を振り返ると、政界、芸能界を問わず不倫騒動が世間を賑わした。中国では不倫がステータスらしいが、日本でも雨後春筍のごとく発現するとなると不倫が文化になったかと錯覚する。だが、社会的地位の高い者ほど代償が高くつくことに変わりがない。社会問題として分析、整理した『初めての不倫学』(坂爪真吾著)という本も登場した。同書では、不倫を「既婚者が、配偶者以外の相手と恋愛感情を伴った肉体関係を持ち、かつその関係を継続する意思を相手側と共有していること」と定義している。

継続性のない一夜限りの関係、性風俗や売買春による金銭を介した関係は、不倫の定義から除外すると著者坂爪氏は記す。これを我々は「遊ぶ」と呼ぶ。

誇れることではないが、遊びなら私自身覚えがある。バブル華やかりし頃海外視察と称して銀行の僚店の支店長らと隣国に繰り出したこともあった。中には気にいった相手の女性に「今度日本に遊びにお出でよ。案内するから」とリップサービスする人もいた。銀行の先輩に聞いた昔話では、勢い余って「面倒見るから」と言って銀行の名刺を渡した先輩がいたらしい。すると本当に来日し、大きな荷物を両手にぶらさげ銀行の窓口に訪ねて来たという。仰天した色男は思わず机の下に潜りこんだという嘘のような逸話がある。

不倫の中で、妻を大事に思いつつも夫がオスの性で他の女性をつまみ食いするのを私はあえて「浮気」と別記したい。妻に対する背信行為には違いないが、浮気者を強く非難できない自分がいる。私は、遊ぶぐらいだから、高島忠夫さんや三浦友和さんなどの聖人とは違う。米問屋?を潰した遊び人、母方の祖父の血を継ぐ私は、浮気願望がなかったと言えばウソになる。東に色白美人がいると聞けば、飛んで行き懇ろになりたい。西に私好みの女性が子供を欲しいと言っているのを知れば甲斐性もないのにぜひ協力したいと思ったものだ(過去形なのがチト物悲しい)。

してその現実は、「色男、金と力はなかりけり」との諺があるが、私は男の色香もなく三重苦。吾輩の辞書に側室、愛妾、二号、愛人、情婦、セフレの単語が載ることはなかった。

There is no accounting for the taste.(蓼食う虫も好き好き)は受験勉強で覚え未だ忘れ得ぬ英熟語。万が一物好きな女性がいたとしても、何事も杜撰な私の不審な行動など鼻が利く上とりわけ観察力の鋭い妻にすぐに見破られてしまう。平成のお鹿婆さんか?と思う妻はお金のことになるとキーキー煩いが、男女の問題はからきし意気地がない。包丁を持って追いかけまわす気の強い女なら投げ捨てることもできようが、しくしくと泣き伏すタイプの妻を置き去るマネはできない。女々しい男でもそれぐらいの矜持は持ち合わせている。

世界の北野武映画監督は女性にモテる。据え膳喰わぬはとの格言もある。しかし、奥さんと離婚したと聞かない。芸人として売れない時代に支えてくれた、いわゆる糟糠の妻を大事にするのは(男からすれば)見上げたものだ。生涯それを通してもらいたい。

 

夫の遊びに対する妻の反応は一様ではない。他の女性に心を移した訳ではないが不潔だと許せず別れる妻もいる。銀行時代の後輩には、新婚後まもなく遊んで奥さんに病気を移し、それ以来夜は没交渉となった者もいる(無理もないか)

我妻は、少々波風が立つことがあっても(露悪家ではないが、その一端をそのうち披露する)、一生忘れない亭主への怒りを仕舞っている心の箪笥には入れていないようだ。

夫が浮気した場合はどうか。他の女に心が向いたらどんな妻でも腹を立てるだろう。それでも、芸能人の妻は、芸の肥やしと割り切りきろうとする。故中村勘三郎さんも生前よく女優等と浮名を流したが、週刊誌によると、夫人は、「浮気はダメだが浮き体ならいい」と自身に言い聞かせていたという。今年9月に京都芸妓との不倫報道を認めた中村橋之助(現・八代目芝翫)さんの妻三田寛子さんも、激怒しても、梨園の妻は離縁を無縁と心得る。

妻が怒髪天を衝くほど本気で怒るのは、妻の座が脅かされたとき。LINE流出で発覚した女子ハーフタレントの不倫騒動は、相手の妻サイドが、妻の座が奪われると分かり、牙をむいたと見られている。北海に棲む天使のようなクリオネが餌を捕獲する時にパッカラコーンと頭が割れバッカルコーンと呼ばれる触手が現れ悪魔の様相に変身するのに似ている。男達は肝に銘ずるべっきーだ。

 

 

今の若い妻たちは、すぐに別れる。理由がDV、借金苦ならともかく、夫の浮気であれば、子がいるならよく考えてもらいたい(生活力のある金子恵美衆議院議員でさえ思い留まったようだ)。一人で育て切る覚悟はあるのか(我が長男が荒れた中学校で一時心がすさんだとき妻では抑えが利かなかった。幸い長男は私の言うことを聞いたので、その時ばかりは妻は私を見直した)。直ぐに新しい男を見つければ済むと思っていないか。明石家さんまさんや船越英一郎さんのように妻の連れ子を我が子のようにかわいがる。それが当り前と思っていないか。理性も知性も低い男はそうとは限らない。某金融業界紙の社長が言っていた。「自分の体は面倒見てくれるが、子供の面倒は見てくれない」と真理を突く。

人間の男もオスであることに変わりはない。野生の世界では、例えば、ライオンの群れ(プライドという)で、ボスとの決闘に勝ち新しいボスとなった雄ライオンはまず旧ボスらの子供を皆殺しする。雌ライオンは、それに抵抗することは難しいとしても、よもや虐殺に加担することはあるまい。捨てられたくないとの思いからか、愛人や再婚相手と一緒になって自身の連れ子を虐待するのは、人間の女だけ。畜生以下と言われても仕方がない。

男というものは、有り余る男性ホルモンをガソリンとして冒険の旅に出ても、燃料が少なくなれば母なる港にちゃんと戻ってくるものだ(浮気未経験者が保証も補償も出来ないが)。上述の中村勘三郎夫妻も、晩年の仲睦まじい暮らしぶりがTVで放映されていた。落語家初代林家三平師匠の浮気でさんざん泣かされた妻の海老名香葉子さんも戻ってきたと週刊新潮(今年81118日夏季特大号)に書いていた。

夫の浮気が許せないのは分かるが、まだ愛が残っているのに女の意地だけで別れるのなら、考え直した方がよい(以上、男の身勝手な視点による浮気の一考察ならぬ戯言を記す)

2016.11  NO.65  アイマン VS  アイマン (2)

事あるごとに後付けで仏を作る。いくら仏を作っても国民の生命を守るという魂が抜けていては意味がない。本当に国民の生命を守るとの意思があれば、「侵略戦争はしない。海外邦人が危険さらされているときに助けたいだけだ。それに限定した形で、憲法92(前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない)を改変したい。」「交戦権を認めてもらわない限り、政治家の根源的な、最低限の義務、国民の生命を守ることができない」と国民に訴え、それだけでいいハズだ。

しかるに、自民党の改正草案では、厚かましくも緊急事態条項を設けている(野党の批判を受け改正草案を棚上げ方針も緊急事態条項を取り下げたとは言っていない)。最低限の「義務」も果たせていないのに、他国はほとんど緊急事態条項を持っていると「権利」を、それも他国よりも大きな権利を主張する。しかも、違憲か問題となっている自衛隊の国防力(武装力)の話よりも、災害時での自衛隊の活用をもって緊急事態条項の必要性を説く(PERFECT HUMANのあっちゃん、こういうのを「あざとい!」と声をあげるのだよ)

フクシクの原発事故時の菅総理の顛末を思えば、災害などは逆に現場に権限移譲する方がよいと思うだろう。

外部テロとか予期せぬ緊急を要する事態 (上述の海外邦人の危機も同じであるが) に陥り、首相が全責任を負うとして憲法を踏み越えて国民の生命と財産を守ろうとした場合、結果オーライとしても責任をとって首相が辞任を表明して政界を去ろうとしているときに国民がこんな立派な首相を辞めさせていいのかという声が沸き起こる。このときこそ、緊急事態条項の必要性が検討されるときだろう。

拉致問題を見ても国民の生命を本気で守る気があるのか分からない(自民党に限らないが)、そんな者達に授権法的な権限を与えてどうなるか、歴史を紐解けば分かるハズ。ヒトラーに独裁を与えた全権委任法がワイマール憲法を有名無実化させたように、国民からすべての権利を奪う方策にすり変えられていくことに帰するだろう。

国民の言論封殺を暗示するがごとく、すでに自民党内では、従来の自由闊達な議論の伝統が失われ言論封殺が行われていると自民党良識派が告発し始めた。村上誠一郎代議士は『自民党ひとり良識派』(講談社現代新書)を上梓した。前自民党参議院幹事長脇雅史氏が文藝春秋20168月号に引退の記『参院自民党は死んだ』を寄稿した。ともに自民党が猿の惑星になりつつあると言いたげだ。

 

私自身は、明治憲法に戻すべきとは全く思わないが、国の自立との意味では憲法の改正は必要という立場だ。が、しかし、それを現政権にさせるべきではないと強く思っている。

かつて参議院のドンと呼ばれ、安倍首相を振付していると噂される右派政治団体「日本会議」の生みの親と言われる村上正邦氏でさえ安倍首相を強く批判している。「彼は憲法改正論議を避けて、禁句にしてしまった。憲法の「け」の字も出さなかった。参院選の選挙運動期間中、アベノミクス、カネの話ばかりしていた。それなのに、選挙が終わった途端、憲法改正を言い出している。姑息なんですよ! 姑息すぎる。」「昨年の安全保障関連法制もそうでしょう。集団的自衛権の話をするのにホルムズ海峡の話だとか持ちだして、あんなひどい議論はない。こういう議論は、誰もがわかるように時間をかけ、お互いが納得してやっていかないといけないんですよ。与野党で時間をかけて熟議する。結論が出るまで夜中まで付き合う。それがいまは公明党との数の論理だけです。」とYAHOOニュース編集部のインダビュー(2016.7.14)に答えている(本国会では逆に自民党改正草案に対する民進党の問いに首相はだんまりを決め込んでいる。姑息という点はなんら変わっていない)。

 

今は、軍部の独走を止められなかった昭和の時代にすこし似ているのかもしれない(本国会で自民党の議員の総立ちを見ていると、そのうちハイル・アベラー!と叫びだすのではと心配してしまう)

石原慎太郎氏は政界を引退後作家として『天才』田中角栄を書いたが、反田中であった石原氏が書いたその訳はなんなのか。「未だに日本は米国から独立していないという事を、田中角栄という人物のロッキード収賄事件から訴えたかった」と穿った見方をする人もいる。田原総一朗氏著『大宰相 田中角栄』(講談社+α文庫)P622において田原氏に石原氏が早稲田大森元孝教授に勧められたと語っているが、都知事に就任した前後から石原氏を仰ぎ見ない私からすれば、石原氏のこの上梓本は「政治家を引退した今自身を上回る現役政治家はいない」と言っているに過ぎない。たしかに角栄氏の人間的魅力は否定しないが、日本の金権政治の負の側面を一手に引き受けたことも忘れてはならない。

今本当に必要とするのは、その田中首相に仕え、中曽根大勲位を補佐した後藤田正晴官房長官のような人だ。もし、後藤田氏が存命だとしたら、バングラデシュのために尽力した7人の日本人がただ日本人ということだけで(十字軍とみなされ)殺害されることはなかったのではと思う。

昨年の初め、湯川遥菜さんとフリージャーナリストの後藤健二さんが人質となり、水面下で、ISからの身代金要求に対し、(制止を聞かず行ったとしても)人質邦人は救出したいが、新たなテロの原資となる身代金は出せないと政府が対応に苦慮しているときに、わざわざ敵陣近くのカイロでISが敵意を剥き出しにする十字軍側に2億ドル出す(人道援助と言ってもお金に色はついていない)と安倍首相が声高に表明したことは、何を意味し、どういうことになるのか。銀行に人質をとり立て籠もる強盗に対して、人命を最優先とする日本の警察が対応に苦慮しているとき、一国の首相がわざわざ表に出てきて強硬突入しろ!と言うのとどう違うのか。思い至らない首相を諫め、官僚たちも従わすことができる天下のご意見番が今必要なのだ。

むむ、無いものねだりしているのは石原氏と同じかもしれないが。

2016.11  NO.65  アイマン VS  アイマン (1)

昨年から今年にかけてナチス関連の洋画が立て続けに封切された。今や新しい帝国主義の時代に入ったと言われ、映画界は世界がきな臭くなってきたと警鐘を鳴らしているのであろうか。本ブログ先月号(『ナチス VS マチス』)で紹介したヒトラー暗殺13分の誤算』『ミケランジェロプロジェクト』『黄金のアデーレ 名画の帰還』に続いて、アウシュヴィッツ収容所で同胞をガス室に送る任務に就くユダヤ人の特殊部隊・ゾンダーコマンドの人間の尊厳を取り戻す行動と悲劇の結末を描いた『サウルの息子』と『アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち』が公開された。初夏には現代にタイムスリップしたとする『帰ってきたヒトラー』も封切された。来年1月には『アイヒマンを追え!』が公開される。

アイヒマン・ショーは、何百万ものユダヤ人を収容所送りとしたナチス戦犯アドルフ・アイヒマンに対する裁判を題材にしている。19614月からのその裁判において、氷のように心を閉ざしたアイヒマンは相すまんとは決して言わなかった。アイヒマンはさも「自分は犬に過ぎない。命令に忠実な犬だったから人間を取り締まる法律で私を裁くな」と言っているようなものだ。

ユダヤ人哲学者ハンナ・アーレント女史が誰にでもアイヒマンになる危険性があると世に警鐘をならすのは意味があるが、だれしもアイヒマンになるものではないと私は思う。アイヒマンはアイヒマン。ホロコーストに勝るとも劣らない、原爆の日本投下を決定したトルーマンはトルーマン。晩年の眼鏡をかけた痩せ型の風貌が似ているからと言って、みんなこんな顔をしている人は危険ということにはならない。

ただ、権力を持つと人が変わることは事実としてある。金融証券界にも、おとなしく茶坊主とみられた者が望外にもトップに立ったら豹変(本来良い意味に用いるのだが)した社長もいた。政治家も同じだ。

故に、もっと大きな権力を有する国のトップが暴走するのを規制すべく憲法がある。従って、憲法解釈の変更は、本来為政者がしてはいけない、主権の国民が許してはいけないこと。過去官僚出身の歴代首相はそれがよく分かっているから、極力そうしたことを避けてきたのでは。後世に恥をさらすことはしないものだ。しかし、賢者でない為政者はそうとは限らない。

 

一方、邦画では、あの文科省がタイアップした『海難1890』を観た。観終えて「なにが美談だ! 日本の恥ではないか!?」と腹を立て席を立った。三笠宮寛仁親王が生前「約100年の時を経て、海で受けた恩を空で返してくれるとはトルコの人たちは粋だ」と仰ったとする題材なのだが。1890年にトルコの軍艦エルトゥールル号が和歌山県沖で遭難した折漁村の人々が献身的に救助にあたり、それを機にトルコが大の親日国になったことは前から知っていた。しかし、イラン・イラク戦争についてはよく覚えていない。19853月と言えば、私は銀行の組合専従を離れ本業に戻る (同年6) 直前で、銀行員としての将来を少し不安に思っていた頃でイラン・イラク戦争についてはあまり関心が向かなかった。

そこで調べてみようと思い、本を探すと、『この命、義に捧ぐ~台湾を救った陸軍中将根本博の軌跡~』を読んで知っていた門田隆将氏が『エルトゥールルの「奇跡」と邦人救出の「迷走」』を昨年末上梓されたことを知った。早速読んでみたが、ますます腹が膨れることになってしまった。

映画では、当時のオザル首相が職を賭して、独断で、自国民をさておき昔の大恩に報いようとの男気を見せ、一方当時大蔵大臣が50%前後の大株主という半官半民の航空会社日航が救援機として救援に向かうことを拒み、自衛隊機も出せないと、なんとも対照的な対応が描かれていた。

トルコは、イランの我が邦人だけではなく対応に苦慮し窮地にあった日本政府も救ったわけだが、本を読めばその裏には一民間人(伊藤忠イスタンブール事務所長故森永堯氏)10年来の友人関係にあったオザル首相に日本人のために救援機を出すことを懇願し、それに首相が応えたものだ(救援機を出すだけではなく、領空侵犯の危険を犯してまでトルコの戦闘機が救援機の両サイドを護衛した。救援機に乗ったCAは妊娠を夫と会社に伏せて志願した)。その真相は映画からすっぽりと抜け落ち、日本政府等の薄情ぶりを棚に上げ、いかにも自民党の改憲草案の緊急事態事項が必要といわんばかりとの印象を受けた。

同書はこのイランの話で終わらない。1990年イラクのクウェート侵攻による在留邦人が人間の盾にされ、人質とその家族が、解放に尽力したアントニオ猪木氏に感謝し、外務省に反発した事件。1994年イエメン内戦で青年海外協力隊が孤立した際秋山進イエメン大使が「なぜ自国の救援機が来ないのか?」と不思議がる各国大使館に頭を下げまくり、なんとかドイツの軍用機に救出してもらった事柄。2011年リビア動乱から民間人が脱出する際リビア大使館員の不誠実、つれなさに憤る一方帰国に利用した全日空のCAの暖かさに涙する話。「自国民の生命を何だと思っているのか!」という話が続き、怒りを通り越し悲しくなる。

後追いで、199411月自衛隊法百条の改正、20159月安保関連法の一つ「在外邦人等の保護措置」の新設(自衛隊法第八十四条の三)をなしても、危険に晒されている邦人の「救出・保護」行為をとるにはまだ三要件を満たすことが必要という。著者は次のように要約する。当該国が安全と秩序を「維持」しており、当該国の「同意」があり、さらに当該国との「連携・協力」の確保が見込まれる場合にのみ、自衛隊は、在留邦人の「救出・保護」を行うことができる、という(なお、保護と救出は違うという意見もある)。

これでは、著者でなくとも本気で救出する気があるのかという疑心を抱いてしまう。

憲法第9条がネックなのかもしれないが、こういう側面を顧みず、国会で安倍首相が呼びかけ自民党議員が立って感謝の拍手を送った。海上保安庁らと一緒に感謝された自衛隊員、とくに心ある自衛隊員は複雑な思いをしたに違いない。

 

 

 

 

 

 2016.10  NO.64   チス VS  チス

1963年にケネディ大統領が暗殺された。その前年には大統領と噂のあった、永遠のセックスシンボル・マリリンモンローが不審死している。そのモンローさんと似て、金髪でかわいく、甘い歌声のコニースティーヴンスさんがヒロインの米TVドラマ『ハワイアン・アイ』が同じ1963(私が中一の頃)から日本で放映されていた。ハワイでのロケはなかったらしいが、ザ・フォーク・クルセダーズの『帰ってきたヨッパライ』の歌詞に擬えれば、ねえちゃんはきれいし、明るくリッチなハワイは天国かと丸坊主くそガキの私はあこがれた。その後もハリウッドの戦争映画を見て、かつて同盟していたドイツ軍が敵役になっていても少しも違和感はなかった。40以上の職業生活においてもドイツと関わることがなく、ドイツには関心がなかった。

ところが、昨秋、VW排ガス不正問題が起こり、その前には本ブログの『ドイツ VS トイツ』(20162月号)で紹介したようにドイツに関する新書が2冊発刊され、また、ナチスに関連する映画が3相次いで封切されるにおよび、今頃になってドイツ及びドイツ人に興味を覚えることになった。

映画『ヒトラー暗殺13分の誤算』は平凡な大工職人がひとりでヒトラー暗殺を実行しようとして失敗に終わる話(暗殺計画は42あったがすべて失敗。成功したのはヒトラー本人、自殺という形で)193911月と言えば、ポーランド侵攻後でヒトラーが絶頂期を迎え、庶民もインテリも軍人も、胡散臭い政治家ではなく救世主として仰ぎ見ていた。その中で、一人きりで成し遂げようとした、その信念・覚悟と職人としての技巧の高さに驚かされる(テロでありドイツ人のようには英雄視はできないが)

その映画の中で、民衆の前で、ユダヤ人と交流した人が、嘲笑の文言が書かれたブラカードを首からぶら下げられ、民衆からあざけりを受けていた場面があった。

この民衆が敗戦後手のひらを返すかのごとく反ナチスとなったことだろう。それが大衆の本質と言ってしまえばそれまでだが、それでも、ナチスを熱狂的に歓迎した大衆の中には戦後も隠れナチスシンパや親がナチスにかかわりそれを隠している人も少なくないであろう。それが、ナチスがユダヤ人等から奪った美術品60万点の内10万点もまだ見つかっていない要因の一つのようだ。

映画『ミケランジェロプロジェクト』は、敗戦間近のナチスが略奪した美術品を爆破する恐れがあるとしてアメリカ民間人がヨーロッパの戦地に赴き、特殊部隊「モニュメンツ・メン」として命の危険を顧みず奮闘した話。なお、その美談の陰には、名もない鉱夫たちがいたことも忘れてはならない。日本博学倶楽部編の『「世界の名画」謎解きガイド』によれば、ナチスが、岩塩坑に隠していた『ゲントの祭壇画』を初め、レオナルド・ダ・ヴィンチやフェルメール、マチス等の名画等約2万点の美術品を爆破する計画を岩塩坑に働いていた13の鉱夫が阻止した。決死の覚悟で爆弾を運びだし、逆に誰も入れないよう岩塩坑の入り口を爆破した。諸説あるのか、篠田航一氏著書『ナチスの財宝』によれば、上官に願い出て爆弾を撤去したとしている。

映画『黄金のアデーレ 名画の帰還』は、ナチスに奪われた、故郷オーストラリアのモナリザと呼ばれるクリムトの名画『黄金のアデーレ』を巡って、82才の一女性がオーストリア政府を相手どって裁判を起こし勝訴した逸話を基にしている。最初は主人公のマリアというアデーレの姪が名画を取り戻すことを思いつき、最初は駆け出しの弁護士もお金になると一緒に闘うが、苦戦する。しかし、次第に同じオーストリア人の血を引くその弁護士の方がより強い気持ちで、ナチスに蹂躙された祖国と亡くなった人々の尊厳を取り戻すべく闘う様が描かれ、観る者の心を打つ。四面楚歌の二人に現地のジャーナリストが協力を申し出る。父親がナチスの党員で子としてその贖罪をしなければという想いからだった。

 

ドイツを代表する世界のVWに排ガス不正問題が発覚した折、VW不正の一報をネットで見た時、内部告発だと直感した。ナチスの時代でも命がけで権力に立ち向かった人たちがいるからして、一流企業の社員ならと思ったのだが。実際は、米ウェストバージニア大学の研究者が発表したレポートが発端で、その結果がネット上で公表され、それに基づきEPAが独自調査をして発覚した。内部告発ではなかった。

日本の東芝の不正会計事件は、動機は正義感からではなさそうだが、「内部告発」(内部から外部への監督官庁やメディアに)VWも数年前に社内技術者から「内部通報」(内部から内部の上層部に)はあったらしい。経営トップに問題がなければ内部通報も有効であるが、トップ自身が不正を主導している場合は、自浄作用は期待しえない。無視されるか潰されておしまいだ。差し違え覚悟で監督官庁とかメディアに内部告発しなければ、不正や悪弊は止められない。

トップが姿勢を正さなければ内部告発されてしまうと内部告発の正当化・保護がトップ不正の抑止力となればよいのだが。現実は、日本おいても、トップの業と言うべきか、内部告発をさせない態勢に注力する企業が多いのが現状だろうか。

ドイツは、ナチスのゲシュタボや分裂後の東ドイツの秘密警察シュタージ(監視網はゲシュタボやソ連のKGBにも勝ると言われる) 下における「密告」のトラウマが内部告発をよしとしない土壌を培っているのであろうか。そうだとすれば、ドイツはいろんな面でナチスの呪縛からまだ脱し切れていない、まだ戦後処理にあるというのが、ドイツのことを知る入口段階での私の感想だ。

これで文章を終えたと思っていたら、三菱自動車も不正が発覚した。25年前から不正に手を染めていた。過去リコール隠しもあった。助っ人ゴーン社長率いる日産自動車に支援を仰ぎ、天下の三菱グループの元老院(金曜会)をしてこの体たらく。バブル期不動産融資に他行が狂奔しても手を出させなかった三菱銀行の大王・山田春頭取時代とは隔世の感。

ドイツが戦後処理なら、日本は戦争を忘れた平和ボケと言えるだろう。企業のみならず地方自治体の雄東京都まで前知事だけでなく職員もサンドバック状態。公益よりも我が身ならば。