2018. 4増刊号 NO.91 かいざん VS たいざん
故会田雄次京大教授が書いた『アーロン収容所』(中公新書)を遅まきながら読んだ。教授が学徒出陣し戦後2年間被武装解除軍人としてビルマ(現ミャンマー)の収容所に収監されていたことを初めて知った。1962年に発刊され今まで90回以上も改版されている。戦中派、戦後派等数多くの日本人に読まれたが、どんな感想を持ったのだろう。
私は次のような感想を抱いた。著名な学者にとって隠してもよい過去をあえてさらけ出しても後世に伝えねばとの著者の強い思いを感じた。年初逝去した野中広務元官房長官が二度と戦争はしてはいけないと言い続けていたが、本を読んでその想いがよく理解できた。
私は、侵略戦争はしてはいけないが、守るべきもののためには戦う時もあるとの立場だが、戦争の生き証人がいなくなって行く今先達の戒めに心しなければと思いを新たにした。
今年改版された同書のP140に、「戦前も捕虜中も現在(敗戦から17年後)もちょっとも変わりがなさそうだ。私たち日本人は、ただ権力者への迎合と物真似と衆愚的行動と器用さだけで生きてゆく運命を持っているのか。」と会田教授が述べている。それでは現政権に迎合する大衆、忖度する官僚がいても不思議ではない。権力者への迎合が変わらないとするなら、とりわけ日本の権力者自身が賢者でなくてはならない。
GHQの将校が男女の営みを日本人のメイドに見られても何にも思わなかったという話を聞いたことがあった。同書にも、イギリス女将校が裸に近い状態のときに捕虜の日本兵が掃除で入ってきても驚かない場面が登場する。日本人女性が猫に裸を見られても恥ずかしく思わないと同じ感覚なのだ。ビルマ人にとって、同じ支配者でも、家畜扱いするイギリス兵と横柄でも人間扱いする日本兵に好感を抱くのは、ごく当たり前のことだと思う。
単純かつ短絡的な私は、読み終わって、日本が米国に従属し、日本人がそれに慣れきってしまったことを思い起こし、本来の日本の、日本人のあるべき姿ではないと思い直した。
1956年度の経済白書に「もはや戦後ではない」と謳われたが、それは経済に限ってのこと。戦後70数年を経ても、まだ戦後は終わっていないと思い至った。
米朝の対立に関し、本ブログの2017年11月NO.78(「しゅうじん VS きゅうじん」)で、鼠(北朝鮮)に翻弄され猫(米国)の髭が切れて威厳を損なって終わるかもと書いた。狡猾な鼠とジャイアン似の猫が対等で核保有国同士のトップ会談をするとなれば、当たらずとも遠からずと言える。もっとも軍産複合体は儲けたと言わないまでも、元は取った。日本に核・ミサイル防衛関連機器を高値で購入させた。
やはり、米朝対立は茶番だ。シナリオがあろうとなかろうと。戦争の兵力としては前世紀の遺物。環境の時代の21世紀の戦力は、サイバー攻撃、AI軍事技術・兵器、国際条約で禁止の生物・化学兵器となろう。軍産複合体は無用の長物を巨額の既得権ビジネスとして持続させるために、核の脅威を演出する。北朝鮮の非核化と言っても、米国まで届くICBMの開発を中止させるだけで、20~60ある北朝鮮の保有核は見て見ぬフリをするのではないか(猫に丸腰にされた鼠は猫が豹に変わった場合もう窮鼠にはなれない。それでは会談は実らない)。核・ミサイルビジネスにとっては核の脅威の火種は残しておかねばならない。
また、平昌五輪の参加を機に北朝鮮が挑発から対話に舵を切り出したと見るや、危機回避ムードに水を差すかのごとく、米国は新型の小型核兵器(戦術的核兵器)等でロシアを挑発し新たな核の脅威を演出しようとした。
核の脅威が演出される度、馬鹿を見るのは今回もそうだった日本だろう。軍産複合体の眼には、トランプ大統領に追従する安倍首相の背中にネギが背負われているのが映っていることだろう。
日本が北朝鮮に名指しで非難する対象は拉致問題だ。核問題で圧力をかけるべきなのは、北朝鮮だけではなく、米国もロシアも同じだ。
やはり、核を持つべきではないし、持つこともできない日本が採るべき選択は、核兵器禁止条約に参加し、非核EU諸国たちと一緒になって核廃絶を目指して行くこと。それこそが、唯一の被爆国としての使命と国益に合致するものだと思う。
本ブログの2016年2月 NO.56(「ドイツ VS トイツ」)で、戯言だが“平和大三元論”を述べた。今の白牌(日本)は發牌(米国)の青いタトゥーが刻まれ、美しくない。タトゥーを削り、真珠の輝きをとり戻そう。そして發牌と対等になろう。しかし、現世界覇権国(最強軍事力+最上経済力)の發牌と次の世界覇権国を狙う中牌(中国)の狭間にある。NO.1を目指せば、両雄並び立たずの發牌と中牌が手を組み麻雀ゲームから白牌を追い出すだろう。白牌は美しく輝くOnly Oneになろう。それでも役満・大三元 (世界平和)には發牌と中牌と並んで白牌が不可欠という存在になろうではないか。
国内に目を転じれば、大企業トップが保身で不正を深刻化させる。政治家が我が身可愛さで首相にNOが言えない。最後の砦、日本の頭脳・財務官僚が公文書改竄、世も末だ。
今の財務官僚には大蔵時代と違い官庁中の官庁として自分たちが国を動かすという気概が見られない。なぜ賢者ならまだしもそうでないトップに隷従みたいなことをするのか。
朝日新聞に改竄をリークしたのは、大阪地検か財務省内部のどちらかとの憶測が飛び交っている。その中で、疑われている大阪地検が、わざわざ「電子鑑識で改竄後の文書であることは分かっていた」と後出したのは、地検の面子を守ったということだろう。
本省か近畿財務局(以下「近財」)かどちらかが(義憤の)リークをしたと私は見ている。首相夫妻に纏わる特例案件に対し、近財は、面従腹背し、決裁文書に本来残すべきでない特例事柄を書き連ねて近財組織全体で保身を図ったように私にはそう思える(昨年2/17に夫妻が関係していたら首相・議員を辞めると首相が後戻りできない発言をしてしまった後、何も知らない佐川理財局長が同2/24に国会答弁する為に改竄前の決裁文書を見たとしたら、驚愕したに違いない)。国益を損ない、いくらなんでも無理があると思うのであれば、近財は、腹をくくり、メディアに(正義の)リークをして潰してしまう方がよかったのでは。結果として、自分たちも守れず、財務省全体の権威を大きく傷つけてしまったのであれば。
詰め腹を切らされた佐川国税庁長官が辞めて、「大山鳴動して鼠一匹」では終わらない。自民党で唯一首相にNOを言い続けた村上誠一郎議員は「問題の出発点は安倍首相」と公言したが、今回は世論も同調している感がある。佐川氏の証人喚問がなされても真相解明が進むとは思わないが、加計問題でも今治市文書改竄が取り沙汰されている。首相から人心が離れていくのは避けられない。安倍政権は泥舟になり、鼠が逃げ出していくだろう。
新しい首相が誕生すれば、ぜひ上記白牌を目指してもらいたいものだ。ただ、現在の日本が米国に従属している状態からすぐさま抜け出せるものではない。
しかし、我々日本人一人ひとりの心持ちは変えることができるハズだ。敗戦を契機に、過信・盟主意識→自虐・属国意識に180度方向転換してしまった。国や会社の事ではなく、自身の事しか考えない。90度だけ元に戻そうではないか。