ことばの物語
≪がー我・蛾・餓・峨≫
我思う故に我あり
近世哲学の祖デカルトは全てを疑った。
その疑っている自分は否定できなかった。
この命題について、色々と議論されて来たようで
すが、凡夫の私には考えるのが人であれば、考
えることを人生の楽しみとすればいいと確信する
のであります。つまりフィロソフィ<知を愛する>
西周が訳した希哲学でありますね。
ここで、仏教の無我について簡単にではあり
ますが、調べてみました。
<我はアートマンの訳語で、本来インドの諸哲学
では実体的自我、永遠なる自己というべきも
の、実際゛を説いた。
これに対して釈迦は我でなてものを我と見ること
を否定し、我という観念を取り除いた・・・。
自我に対するとらわれを離れるという実践的目
的として我を排除、否定したのが無我である。>
(暮らしのなかの仏教語小辞典/ちくま学芸文庫)
つまり、我という固定したものはないということの
ようです。
そう「我思う故に我あり」ですら、思いは変化するも
の、変化の中にあると思えば、我を苦とするか楽と
するか。おのれを楽しむ努力が肝心でありますね。
屁理屈を理屈にしてしまえであります。
我の字の成り立ちは「刃がぎざぎざになった戈(ほ
こ)を画いたもの」で、昔自分のことを「ガ」と言った
ので我の音を借りて代名詞を表す仮借文字。
我武者羅(か゜むしゃら)
他のことは構わず夢中で行動すること。
「ガムシャ」は向こう見ずの振る舞いということで、
それに接尾語ラが付いたもので、漢字は全て
当て字。
我利我利亡者(がりがりもうじゃ)
自分の利益ばかりを追求して、情味のない人
浄美のない人。
ガリガリは難いものを噛む音で、亡者は成仏
できないでさまよっている人。是も漢字は当て字
ですが、それにしてはピッタリの当て字ですね。
我が子自慢は親の常。
我が子の悪事は見えぬ。
いじめっ子の両親ですね。こんな子に限って、
ではいい子ぶっています。けしからん餓鬼た
ちだ。何か言ったりしたりするといちゃもん付
けていじめる。町のチンピラ以下であります。
さらに悪いことに、それに気づいていない。
蛾ーガ
ぎざぎざの触角のあるガ。
ちなみに蝶は薄くて平らな羽虫という字。
蛾も蝶も分類上では昆虫網チョウ目またはガ目
とされ、明確な区別はないそうです。
おもしろいことに、小さな子供が蛾を蝶でといって
追いかけたりしますね。
蛾眉(がび)
細く長く曲がった美しい眉。または美人。
蛾の被に赴(おもむ)くが如し
蛾が火に身を投じて死ぬようなものである。
つまり、自分の身が滅ぶことも考えずに、利欲を
むさぼることを言います。
餓-うえる・うえ・ガ
字の成り立ちは、食べ物がなくなってやせ細り、
骨のギザギザが表れるうえの意味。
餓鬼(がき)
飢餓にあえぐ亡者。
仏教では六道の餓鬼道に住する者で、福徳の
ない者が陥り、常に飢えと渇きの苦しみに悩ま
されて、飲食を得てもこれを飲食しようとすると
火焔が発してそれができないという。
峨ーけわしい・ガ
字の成り立ちは、山頂がぎざぎさにかたどっ
た山という意味。
峨眉山
中国四川省にある山。
道教や仏教の普賢菩薩の聖地。
杜子春が仙人になるために教えを乞うたのが、
の仙人でありました。
今日一日幸運でありますように
誤字脱字ご容赦ください。
勉強の主な参考書
漢字源(学研) 漢語林(大修館書店) 成語林(Obunsha)
講談社現代新書ー漢字の字源・漢字の知恵
漢字の用法ー角川小事典(武部良明著)
動物シンボル事典ー大修館書店/ジャン=ポール・クレベール
英米故事伝こ説辞典ー冨山書房
中国の故事と名言500選 (平凡社/駒田信二・常石茂編
新明解「四字熟語辞典」 三省堂
ことばの事典(講談社/日置昌一・日置英剛)
新明解語源辞典(三省堂) ことわざ辞典(Gakken)
字訓:白川静著(平凡社)
暮らしのなかの仏教語小辞典(ちくま学芸文庫)
教辞典(誠信書房)
暮らしのことば 語源辞典(講談社)
