言葉の物語
<観-みる・カン 視ーみる・シ>
見る、観る、視る!
「見」は、人が座った姿に目を強調したもので、
見るということ全般に適応します。
「観」は「全体を広くよく見る」ことで、
「視」は「意識して一か所を見る」、すなわち注視すること。
<「観」の元字は「觀」で、「雚=目の周囲の赤いこうの
とり」に「見」で、こうのように目を大きく開いてよく見る
の意味を表す。>
なぜこうの鳥なんでしょうか。
それらしき意味が別の辞書にありました。
<「雚」は「鸛=こうのとり」で、神聖な鳥とされ、鳥占い
などに使われたと思われる。雚を使って鳥占いをし神
意を察すること。
「みる、みきわめる」ことを観と言った。>
鳥瞰ですね。広い視野で全体が見れますからね。
<「視」は元と字は「示=ゆびさす」に「見」で、一点に
視線を集中させてみるの意味。>
観感興起(カンカンコウキ)
目に見て心に感じ、感動して奮起すること。
絵を描く時はまさしくこれですね。
感じたことを表現していますから、見る側も感じるこ
とですね。
あまり意味を求めてもしょうがありまません。
ただ、宗教画や歴史画は象徴が隠されていますので、
それらの謎解きは、また別の意味で面白いものです。
ただ、根本は見て感じることですね。
観自在
仏教では、迷いがなく観ずることが自由自在ということ。
また、観音菩薩のこと。
観音様は慈悲の化身で、聖観音様が求めに応じて
様々な菩薩様に変身します。
「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時・・・・
色即是空 空即是色・・・・」
空、空。空です。
大乗仏教の真髄がこの「般若心経」二七六文字に
説かれます。解説をしていくと、一冊の本になる多大な
内容が含まれています。
観取(カンシュ)
見て真理を察知する。心眼ですね。
声なき声を観る。禅ですね。
観象(カンショウ)
自然現象を観測すること。
占いの易の結果を見ること。
観相(カンソウ)
人相を見ること。
世相について詠んだ連句。
観念(カンネン)
「観念しろ」なんて、あきらめろってこと。
元は仏教で、真理、または仏を観想思念すること。
視れども見えず
視線はその方向を見ているが、心が囚われていれば
そのものがよく見えない。
人は自分が見たいものを見るってことで、視野に入っ
ているからと言って全て見えているとは限らない。
みたいものを脳は認知します。
逆に、恐怖などにとらわれると、見えないものが見え
たりしますよ。
「ほら、あそこに何かが・・・・」てことになって。
視息(シソク)
見ることと息をすること。
この世に生き永らえているってこと。
視聴(シチョウ)
こちらは、経験することですよ。
今日一日 幸運でありますように!
誤字脱字ご容赦ください。