言葉の物語 <欲ーよく>
物欲、性欲、金銭欲、名誉欲などではなく、
元は、より神聖な神を切望することであったと。
それが左の「谷」に隠されているといいます。
例によって、辞書を一つずつ調べていきたいと思います。
果たして何番目の辞書に見られるでしょうか。
第一の辞書
<「欠=大きく口を開けること」と音を表す「谷(こく)=穀物」を
合わせて、食べたくて大口をあけてほしがる。>
これは食欲が元ということですね。
第二の辞書
<「谷」は八型に流れる型、それに「口=あな」の会意文字。
それに「欠=体をかがめたさま」を合わせて、心中に
空虚な穴があり、腹が減っているさまを表したのが「欲」>
心中に空虚な穴が腹が減ってると?
解らない。でも、これも食欲説。
さて、祭司にめっぽう強い第三の辞書によると、
<音符は「谷=よう」。「容=よう」は先祖を祀る廟(みたまや)
の中に祝詞(のりと)を入れた器を入れて祈り、その器の上に
微かに表れた神霊の姿。その姿を見たいと思うことが「欲」>
右の「欠」の説明が抜けていますが、別の本によると
この場合は、人が前に向かって大きな口を開けている姿の
象形文字で、神の姿が神殿に現れるよう声を出して求めている
となる。
そして、廟に現れた姿が「容」であるとな。
神事に携わる人のゆったりとした衣裳が「裕」。
神殿に参上するための禊が「浴」。
こう考えると、これが本説らしいですね。
俗な欲をかきすぎると神罰が降るですか。
もう一つ、現代的と思われる解釈ありました。
<「欲」の左は「谷」で、ここまでは一緒です。
「口」は穴。此れも同じ。次が変わります。
「八」は「心」で、心に空虚さや不満など、何か足りないという
穴があり、これを埋めようと渇望した状態を意味する。>
どこかに、空虚感を抱える現代人そのものですね。
解釈的には深みがありますが、昔々のことを考えれば
もっと単純に、生命本能の食欲が第一とも思えます。
人は欲に手足の付いた物ぞかし
井原西鶴ですね。
欲にきり無し、地獄に底なし
なれど、
欲を知らねば身が立たぬ のも事実。無欲では生きて行けない。
欲は無くてはならないですが、強欲であってはならないし、
執着してはならないと釈迦はいう。
<おいしいものを食べたい。そして食べる。これをもう一度
食べたいと思うところから執着が生まれる。
「ああ、おいしかった」で済ませろと言ってます。>
一度二度三度となると、飽きてしまって「もっとおいしいものを」
ど欲求不満になってしまいます。そして、次の物へと。
これの繰り返しで、欲望は尽きることが無い。
でも、「わかっちゃいるけど、止められない」ですね。
今日一日 幸運でありますように!
誤字脱字ご容赦ください。
