こんにちは、こないだ書いた記事のお礼ということで UNIVERSOUND の ayano さんから仏陀ヒーリングというのを受けて以来、妙にお通じの調子がよい(それまでずっと悪かったわけですが)、絶學無憂(せつがく・むゆう)です。

 

前回からの続きです。

 

陰と陽のバランスのバランスが取れたときに出現する魔法のドアは、電子(陰)と陽電子(陽)をぶつけたらこれらが消えて光が出る、というのに似てますね、というお話をしました。

 

 

 

 

 

ここまで来たときに、考えて欲しいのは、もし、悪循環サイクルのほうが無かったならば、好循環サイクルも無しになりますよ、ということです。両者は漏れなくセットになっているわけですから、そうなりますわな。好循環サイクルのほうだけちょうだい、っていうのは、おまけ付きのお菓子の「おまけ」だけください、というのと一緒で、ルール違反であります。

 

 

となると、これまでずっと嫌だ嫌だ、ネガティブだ、消したい、と思ってきた悪循環サイクルのほうですら、ネガティブだ、と言い切れない感じになってきます。だってそれがないと、ポジティブも消えてしまうのですから。このネガティブとかポジティブとかいう区別が意味をなさなくなってくるのが、二元性の統合が起きた状態ということになります。

 

 

 

この、淡々と現象が起こってはいるけども、どっちがポジティブとかネガティブとか、もはや言い切れないなあ、という視点こそが、ハイヤーセルフの視点に非常に近いのではなかろうか、と思っております。

 

「なんでもいいんですよ」って言ってますからね。

 

 

ことわざにいう「人間万事塞翁が馬」(じんかんばんじさいおうがうま)の塞翁(さいおう)の視点もこれに近いのでしょうね。この故事を書いた人は明らかに二元性を脱却することの重要性を理解した上で、それを教えるための教育ツールとしてこの話を作ったのでしょう。淮南子(えなんじ)の巻十八、人間訓が出典とされていますが。

 

昔、中国北方の塞(とりで)近くに住む占いの巧みな老人(塞翁)の馬が、

胡の地方に逃げ、人々が気の毒がると、老人は「そのうちに福が来る」と言った。
やがて、その馬は胡の駿馬を連れて戻ってきた。
人々が祝うと、今度は「これは不幸の元になるだろう」と言った。
すると胡の馬に乗った老人の息子は、落馬して足の骨を折ってしまった。
人々がそれを見舞うと、老人は「これが幸福の基になるだろう」と言った。
一年後、胡軍が攻め込んできて戦争となり若者たちはほとんどが戦死した。
しかし足を折った老人の息子は、兵役を免れたため、戦死しなくて済んだという故事に基づく。

 

 

 

 

好循環サイクルの中身については、この日、Kさんがこのワークに取り組む前までは、世界中の誰も見たことがなく、まさに本邦初公開であったわけですが、ハイヤーセルフには、好循環サイクルの中身も始めっから全部丸見えなのでしょう。

 

Kさんがずっと、最悪だ、ネガティブだ、と思ってきた内容ですら、始めっから全部丸見えのハイヤーセルフに言わせると、「別に、そう悪いとも言えないですけど.....チュー」となったり、むしろ「いやあ、素晴らしいですねラブドキドキドキドキドキドキ」となるわけです。見てるものが違うので。

 

 

セッションのこの辺では、ガハハハとか、ワハハハとか、笑いながら、非常に楽しく喋っておりました。

 

 

「これで分かりました。消す、消す、消す、とか言ってもあれですね」

 

とKさんがご自身で気づかれました。

 

どうなりたいのか(=ゴール設定)、がまったく見えないままに、消す、消すって言ってるんで(笑)」

 

 

これ、重要な気づきですね。

 

そうなんです。

 

対症療法というのは、悪いものだけ見て、これが消えればよし、とだけ考えて努力することです。

 

 

 

どうなりたいのか?っていうゴールは、実はこの反対側にあるんですよ。対症療法ではこの中に踏み込みませんね。

 

どうなりたいのか?っていうのが無い、っていうことは、無目的だということです。目的がないから、「悪いものを消す」というのが目的になっちゃうのが対症療法

 

沈みかけの船に乗っていって、やばい!と言って、必死に穴を塞いだり、水を汲んだりするのが対症療法。死んだら元も子もないという意味では、もちろん行動すべきですが。人生という航海で同じことをやるときに、穴を塞ぐのに一生懸命になるあまり「あれ、この船はそもどもどこへ行くんだっけ?」というのを忘れるんですな。すると行き先不明で、沈まないために水汲みをしながらグルグル回る船になっちゃいます。

 

 

まあ、こういうと語弊はあるでしょうが、セラピー業界、ヒーリング業界、治療家業界といっても、9割ぐらいはこの黒い方だけをみて、それを消してナンボ、みたいな感じではないでしょうか。優秀な感情解放技術というのはいろいろありますが、ESRだろうが、EFTだろうが、レイキだろうが、エモフリだろうが、音叉だろうが、般若心経だろうが、黒い方だけを見てそれを消そう、という発想で使っていたら、全部、対症療法になってしまいます。

 

二元性の中で感情解放をやるとだいたいそういう感じに陥りがちです。

 

 

これに対して「じゃあそれが消えたらどうするの???本当はどうしたいの?」っていうのがゴール設定です。反対側の白い方を見ていくわけです。

 

 

黒い方だけを見て、消すつもりでやっていても、何かの弾みでバーンと深い解放が起こってしまうことはあると思います。そういうとき、結果的に見ると、この白い方に対する気づきがちゃんと得られている、というケースが多いのではないかと思います。これは二元性の中で第2ステージのつもりで技術を使ったのが、結果的に、第3ステージにおける深い体験になってしまっているのだと思います。

 

 

悪いものを消す、っていうのも、きっかけとしては、悪くないんですけどね、「消す」というその意識のままでなんとかしようと思っても難しい、というのはこういうことです。

 

 

次回、ようやく、この日のセッションのエネルギー調整の部分について書きます。

 

よければ「いいね!」を押してくださいね。

 

  • 私、絶學無憂は、テキストチャットと遠隔レイキによる手軽な感情解放セッションをココナラで受け付けています。
  • Zoomを使った、本当に使えるレイキのオンライン個人講座も開いております。ココナラでのセッションでやっているのと同じ技術を伝授いたします。zetsugaku.muyu アットマーク gmail.com までもしくは Facebook でご相談ください。
  • その他、込み入ったご相談がおありの方は、Zoomでのオンライン個人セッションも受け付けていますので、zetsugaku.muyu アットマーク gmail.com まで、もしくは Facebook でご相談ください。