こんにちは、へんちくりんな科学者、絶學無憂(ぜつがく・むゆう)です。

 

引き続き、昨年のお盆に行われた、Universound の Ayano さんによるグループ・チャネリング・セッションより、トップバッターのKさんの話について、今回からは、私が気づいたことをウダウダと書いてみようと思います。

 

まずは、冒頭のKさんのリクエストの内容に注目します。

 

Kさん

はい。自分の中の、自己肯定感や、というか、否定感、が低かったり、なにかをするときに上手く行かないというところが子供の頃からあって、そういうところ、自分に必要のないもの、振り落として行きたいんですが。まあそういうふうなのがどうしてずっとつきまとってなかなか消えないのか、いうのがあるのと。

そこがどうしてなのか。そういうのも一緒に含めて自分なのかな、っていうのをちょっと知りたいなあと思っています。

 

 

私のレイキ講座の中でも、そういったお話は多少伺っていたのですが、今になって思うと、やや気になっていたのは、Kさん、会話の中でしばしば「こういう不要な観念を消したい」というような表現をしばしば使われるんですよ。

 

なんとなく気にはなっていながら、この方なりの表現、言葉遣いなのかなと思って、聞き流していました。

 

完全な後知恵ですが、今になって思うと、やはりこの短い言葉の中に、すでに世界観が表現されている気がします。その世界観というのは、もちろん二元性の世界観です。やっている行為というか方法は同じなのですが、私が観念を手放す、というときのイメージ、考え方とはちょっと違うんですよ。

 

なので聞くたびになんとなく、ちょっとした違和感が残ります。

 

このきわめて微妙な違いが、いわゆる第二ステージと第三ステージの世界観の違いを反映していた、というように今では思いますね。「邪魔なものを消す」「悪いものを取る」という(第二ステージの二元性の中での)認識で消そうとすると、実は消えにくいというか。

 

「邪魔である」というその認識そのものが、二元性の軸を前提にしているので、この動機で感情解放を進めても、

 

「はい、二元性の軸を守ったまま、その範囲の中でストレスを除去したいのですね」

 

というように、宇宙に理解される、と言いましょうか。

 

そういうリクエストだからちゃんとそのまま二元性の軸が残されちゃうんですね。バーンとした深い解放には至りにくい。

 

別な言い方ですと、対症療法的なアプローチになってしまっているんですよ。

 

要するに私が自分のレイキ講座で一番伝えるべき内容を、またしても伝え損なった、という失敗談を今お伝えしている、とも言えますけれども。照れこれについてはまた後に触れたいと思います。

 

たしかに邪魔ですし、だからこそ消したくなるわけで、動機、きっかけとしては悪くないです。そう思わないとそもそも何も起こりませんから。

 

でも、邪魔だから消す、という、そのままの認識では限界があるんですね。

 

それですと、「その邪魔な観念」を持っていたことによって、どういうポジティブな影響があったか、ということが見えていない、と言いましょうか。「その邪魔な観念」はもう「100%邪魔だ」という限定された見方から離れられていないのですね。

 

こういう感じです。

 

 

陰陽の陰のほうしか見えてない。

 

反対側のもう半分が失われたままなわけです。

 

 

これが陰と陽、両方揃うと、円になって、統合されて、もうまるごと消えてしまう。そもそも何が問題でしたっけ?という話になります。

 

ところが、「邪魔なやつを消す」という意識のままだと、消しても消しても、またこの同じ模様が出てくると言いますかね。

 

 

なぜ、そうやって繰り返されるかというと、そもそもそういう現象が実生活に起きてくる意味というのが、「反対側を見てみなさいよ」というメッセージであるから、と考えると納得しやすいのではないでしょうか。

 

 

気づくべきは、反対側の白い半分にはいったい何があるか、なのに、

 

 

黒い方だけを問題にして、これをいろんなテクニックで消そうとしている、というのが、大方、たいていのセラピーがやっていることでしょう。

 

残念ながら、一番肝心な部分を外しているので、効果が限定的に留まってしまいます。

 

これが第2ステージの限界、というわけです。で、多くの人は第2ステージの先に第3ステージがあることを知らない。

 

簡単におさらいしますと、こんな風になっています(田仲真治さんによる説)。

 

ステージ どんな状態? どんな世界?
1. 被害者のステージ 可愛そうな私を癒やして欲しい 二元性
2. 自己責任のステージ 癒やしてあげる側 二元性
3. 大いなる存在に委ねるステージ 半神半人 ワンネス
4. 創造主と一つになるステージ 神人合一 ワンネス

 

 

第3ステージに到達できていれば、「邪魔なやつを消す」という言い方にならない、というのは、なぜだか、もうお分かりでしょうか?

 

二元性を超える、ということは、「邪魔だ」「大切だ」とか、「良い」「悪い」という判断をしなくなるからです。人間万事塞翁が馬、というやつですね。

 

第3ステージにいる人であれば、「邪魔な観念」がギフトに見えてきたり、悪いと思っていたものが、何よりもかけがえのない教えを与えてくれるということが分かると、何が良くて、何が悪い、ということが、簡単に言えなくなってきます。

 

まったく同じテクニックであっても、第2ステージの人が使えば、そういう設定でエネルギーが流れますから、ストレスが減っても、問題意識は残る。

 

まったく同じテクニックを第3ステージの人が使えば、問題意識そのものが消えてしまう。

 

レイキがよいとか、音叉がよいとか、そういう話ではないのです。どんなテクニックも効くという意味では全部同じです。世界観のほうがむしろ鍵です。

 

中には、ビギナーズラックみたいなもので、第2ステージの人でも、第3ステージの体験をできてしまうこともあります。そういうときでも、変化の様子をよく見ると、二元性を超えていて、悪いと思っていたものが悪いとは思えなくなり、取り消したいと思っていた過去がかけがえのない体験だった、という認識に変わります。第3ステージ体験の特徴ですね。

 

一番最初の、問いかけの中に、この第2ステージ「あるある」問題がもう滲み出ていたのですね。

 

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続きます。

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