こんにちは、5月頃のクソ暇な第一次ロックダウンが懐かしい、絶學無憂(ぜつがく・むゆう)です。
前回の続きで、第2ステージの何がいけないのか?っていう話をしてみたいと思います。
いけない、というと語弊があるかもですね。
被害者のステージをやめて、自己責任で人生を切り開いていくというのが第2ステージで、私個人の場合は20代の後半ごろに自分ではっきりとこのステージに移行したのを自覚しました。
ステージがあがったら、いろいろとそれまではまったく可能性が見えていなかったようなところから道が開けたりしまして、そんな中で、妻とも出会って結婚もしたわけです。
それでもう被害者意識の第一ステージの戻ろうなんていうことは到底考えられませんでしたから、その後はどんどん右肩上がりで道が開けていくのだろう、って思ってました。
実際最初の数年はそんな感じだったんですね。なので安心していました。
しかし、皆さんご存知のように、まったく予期しない形でその状態から転落を経験します。
いろいろな知識や技術を学んで、ヒーリングや感情解放ということも自分でできるようになったにも関わらず、です。
この図に、「癒やしてあげる側」と書いてあるのですが、このステージにいると、自分が抜け出してきた、被害者意識の地獄にいる人達がすごく気になります。
自分はそこから出る方法を知っている!!!
って思うし、その地獄の記憶も生々しいから、助けてあげよう、癒やしてあげよう、っていうスタンスで関わろうとしがちです。いや、一体何度この同じ過ちを犯したことでしょうね。
そして、答えを知っているはずなのに、なぜか助けようとしてもあまりうまくいきません。
さらに「敵を倒すともっと強敵が現れる設定」とありますが、技術を学んで、課題を1つクリアしたと思ったら、もっとすごいのが出てきて、しょうがないからもっと凄い技術を学ぶことになります。
このループを繰り返していくと、どんどん先鋭化していって、マニアックになっていきます。そして、セミナー難民みたいになったりもします。
この方向で行けるはず!だって、あの壁を乗り越えたんだから、と思って、どんどん努力するのですが、なんだかキリがない、という徒労感が出てきたりもします。
このステージ、自己責任のステージの何が限界かというと、それがこのシリーズのテーマそのものなんですが、二元性の中にいたままで、自己責任、つまり自分の思い通りに引き寄せを実現しよう、っていう設定になっているところです。
二元性の中にいる、という意味は、一番分かりやすいのは、「被害者意識のステージの人」 VS 「被害者意識を脱して自己責任で人生を切り開いていく私」っていう、上下の対立軸ですね。これに囚われているからこそ、「下」にいる人を助けたい、という感覚になりがち。
この二元性っていうのは、本当にこの世界のあらゆるところに見つかりますし、人間の思考がまたそういう風に動くようになっているので、なかなかそこから外れるということは難しいのです。
たいていの自己啓発やセミナーの類は、おそらくこの第2ステージの観点で語られているので、どんな技術を学んでも、学んでも、第2ステージの中でどんどんオタク的に、マニアックに先鋭化していくばかりで、ブレークスルーがなかなか見つかりません。
BUオンライン・コーチング参加前の私は、まさにそこにハマっていまして、どんどんオタク的にセラピーの技術に詳しくなるのだけど、皮肉にも、どんどん夫婦関係が悪化していく、というそういう状態でした。
で、第三ステージっていうのが実はあるんですよ、ということを知らされました。
次回は、第三ステージの特徴について書いてみましょうね。
- 私、絶學無憂は、テキストチャットと遠隔レイキによる手軽な感情解放セッションをココナラで受け付けています。→とは言うものの、現在多忙に付き、一時的に対応できない可能性もあります。ご了承ください。
- Zoomを使った、本当に使えるレイキのオンライン個人講座も開いております。ココナラでのセッションでやっているのと同じ技術を伝授いたします。zetsugaku.muyu アットマーク gmail.com までもしくは Facebook でご相談ください。
- その他、込み入ったご相談がおありの方は、Zoomでのオンライン個人セッションも受け付けていますので、zetsugaku.muyu アットマーク gmail.com まで、もしくは Facebook でご相談ください。