こんにちは、絶學無憂です。

 

先週、キネシオロジーつながりで知り合った友人から、コロナウイルスのワクチン使用についてどう思いますか、という問い合わせがありました。イギリスの新聞記事で、ワクチンに反対するのソーシャルメディアへの投稿を政府が禁止するかも知れない、というのがあり、私が現役の科学者だということを知った上で、こういう動きをどう思うか?ということでした。

 

これに対して、私はこういう態度ですよ、というのをお返事していたら、今度は、国際ブレインアップデート協会の田仲真治さんのブログ記事(リブログ元)、にもワクチンの件が出ていました。

 

真治さんから、直接この記事の意見を聞かれたので、こんな反応はおそらくまったく期待していなかっただろうと思うのですが、自分の思ったことをそのまんま伝えました。

 二元性でいうと、この記事は、私には「アンチ西洋医学」に傾いているように見えるんですよね。たとえば、最前線の医師や看護師の救命活動を讃えるような部分があってもよいと思います。

 西洋医学を全否定してきたセラピストは、イタリアやスペインの危険地帯の病院に行って(あるいは遠隔で)、医者の代わりにICUの患者を相手して下さい、と言いたい。

 それでイタリアやスペインの死者増加をピタリと止められるなら認めよう、と。

代替医療やセラピーをやっている人で、「アンチ西洋医学」に傾いている人はものすごく多いと思います。私も一旦そちらへ傾いて、賢い嫁さんが「わっ、キモガーン」と言って、スタコラサッサと逃げ出してくれたおかげでやっと目が覚めました。が、ちょっとした違いで、今でも「アンチ西洋医学」に傾いていた可能性はあります。

 

真治さんはさすがに、極性の分離・再統合を私に教えてくれた張本人ですので、私のツッコミに対して素直に反応してくれました。

 人は、どんなに「まんなかを生きている」つもりでも
どうしても、自分の世界の中での「まんなか」なので
他の人の意見に謙虚に耳を傾けることでしか
「まんなか」」に戻ってくることは難しいものですね!
 
ということで、「医者という現代戦争の兵士(ヒーロー)
という項目を付け加えました。

 

 

10.医者という、現代戦争の兵士(ヒーロー)
 
********《「医者という、現代戦争の兵士」から引用》***********

 今回、新型コロナウイルスとの戦いで、人類のその被害は、第三次世界大戦が勃発したほどのインパクトだと言われている。しかもたった3ヶ月ほどで、世界中を征服した新型コロナウイルスに、人類は完全敗北がすでに確定しており、あとは、被害をどれだけ抑えるかの戦いに突入中という。

 今後も起こる感染病という現代の世界大戦において、医師や看護師という職業は、最前線で戦う兵士という認識にかわるのかもしれない。

 だからこそ、世の中のヒーローも、この職業の中で生まれてくるのかもしれない。ナイチンゲールのような、歴史に刻まれるヒーローが、医療従事者や、その周辺職業の中に。

《「医者という、現代戦争の兵士」から引用》


https://note.com/425/n/n559f6b50ab19

 

確かに、この緊急事態において、自分の身の危険も顧みず働く

医療関係者、運送業者、スーパーマーケットで働く人達などなど

現場で活躍している皆さまのご苦労を考えた時、

自宅で待機してパソコン見ながら安全な場所で偉そうに物申している自分を謙虚にさせてくれました。

 

フランクル博士の名言

「真の勇気が試されるのは逆境のときではない。

幸運なときどれだけ謙虚でいられるかで試される。」

とう言葉がズッシリきました。

 

 

私のブログを読むような方は、代替医療はセラピー、スピリチュアルに感心のある方がほとんどでしょうから、必然的に、このコロナウイルスに関しても、西洋医学を否定するような記事を目にすることが多いでしょうし、ご自身でもそのようなお考えをお持ちだという方が大半かもしれません。

 

西洋医学と、代替医療というのは、陰と陽として、見事に二元性の両極を形成しています。これ以上のベストな例はないかもしれないくらいです。

 

 

ほとんどの人は、医学といえば西洋医学、という常識からスタートします。

 

この状態では一極しかないので、それなりに調和の取れている世界です。

 

 

ですが、いろんな経緯によって、西洋医学の限界というのに直面し、またそこで代替医療に救いを求めた結果、改善を体験したりして、代替医療、つまり西洋医学の範疇に入らないような医療、というもう一つの極ができます。

 

 

この状態が、極性の分離です。もともと一個しかなかったところに、対立するものが現れることによって、二元性の対立軸が作られました。

 

このときに、もともと西洋医学を信じていたのに、裏切られた、という思いがあるので、反対方向、代替医療のほうへとぐっと傾きます。

 

そして、いろいろ詳しくなってくると、ホメオパシーが弾圧されてきた歴史だとか、ワクチンは全部有害だとか、そういう話に出会うのはほぼ時間の問題で、どんどん代替医療のほうへ傾きます。

 

どういう状態かというと、西洋医学の良い面というのが見えなくなってきます。そして、自分の信じている代替医療が「正しい!!!ムキー」という、正義感が出てきます。

 

 

反対側へひっくり返ってしまったようなものです。ですが、スタートのときと違うのは、もう両極があるということを知ってしまっています。知ってしまった以上、もはやあんな単純な平和な世界には戻れない、っていう感じです。

 

この状態にあるかどうか、ひとつの見分け方としては、やはり正義感に注目するのがよいと思います。正義というのは悪なしには存在できない、極性の分離の産物である、と考えています。正義を振りかざすと、どうしてもが出てきます。そして、平安ではいられなくなります。どうしても心が揺れます。

 

 

この、「自分としてはどう考えても正しいことを信じて、発言し、また実行しているんだけど、なぜか心が揺れる」というときは、ほぼ100%、まんなかから外れてしまっていて、それを知らせるためのサインとして、心が揺れている、と言えると私は思います。

 

ホメオパシーについてはニュースにもなったのでご存じの方は多いと思いますが、ホメオパシーを信奉するあまり、通常の医療を行わなかったことで赤ん坊が亡くなった、という事例があり、このことがかえって日本におけるホメオパシーの立場を非常に悪いものにしました。

 

私の古い方のブログはまさにこういう戦うエネルギーで書き始めたので、ちょっと禍々しいエネルギーが流れているのを、敏感な人なら察知するかもしれません。恥晒しのために残してあります。

 

 

多くの人はこの二元性の中に留まってしまうのが実情ですが、ここで実はもう一度、選択の機会があり、それこそが、極性の再統合です。

 

陰と陽を見極めること。陰と陽の間に、常に完璧なバランスがあることを見出すこと。思弁的にはそういうことになります。太極図の外側の輪郭線を意識する感じですね。

 

 

ここで視点を変えることができれば、それだけでバランスを取り戻すことができますが、どっぷり二元性の中にいるとそれが難しい場合があり、そのために、いろいろなおまじないのような調整技術があります。私の知る範囲でも、音叉しかり、レイキしかり、ESRしかり、EFTしかり、8の字テクニックしかり、エモフリしかり、般若心経しかり、トーラスしかり、フラワー・オブ・ライフしかり、などなど、たくさんあります。

 

極性の再統合された状態ではどうなるかというと、まず内側が穏やかになります。極性というのは、西洋医学 vs 代替医療という、外側に存在しているもの、と思いがちですが、実は必ず内側にエネルギーの分離・葛藤を生じています。これがもちろん、心が揺れる原因なのですが、ふたつに分離していたエネルギーの再統合に成功すれば、調和を体験する、というのは、いわば当たり前のことです。

 

そして、可能ならば西洋医学でも、代替医療でもどちらでもよいものは取り入れよう、という感じで、二元性の中にいるときよりも軽やかになります。とはいえ、西洋医学も代替医療もそれぞれに問題を抱えているので、判断が難しいことは出てきます。そこは覚悟するしかないかな、と思っています。

 

 

ワクチンについての話でした。

 

私は医者でも無く、専門的な知識があるわけではありませんが、普通に考えるならば、なんらかのワクチンか治療薬なくして、今回のコロナウイルスのパンデミックからの出口戦略を考えるのは非常に難しいです。

 

中国のように力技で封じ込めに成功しても、パンデミックでウイルスが世界中に広がっている以上、いつ外から、無症状・無自覚の患者を経由して再びウイルスが持ち込まれるか分かりません。封じ込めの外側の領域では、免疫を獲得していない人ばかりになるので、無防備であり、全く同じようなエピデミックをその地域内で繰り返す、ということに陥りかねません。

 

夏になれば収まるだろう、という話については気温の高い地域でも感染が広がっているので、否定的な意見が多い。

 

ワクチン有害説に立って反対するならば、それもひとつの考えとしてはありですが、ワクチンを利用せずにこのコロナウイルス禍から脱出する「出口戦略」を提示して欲しいものです。

 

 

より一般的に、私個人がワクチンというものを有効と認めるかと聞かれると、逃げのようかもしれませんが、真相を判断するのは難しい、というのが答えです。

 

ワクチン反対派の主張、たとえば内海聡氏の「ワクチン不要論」なども読んだことがあります。この本を見れば、たしかにワクチンの効果に懐疑的、あるいは否定的な結果を示す研究は探せば結構な数あるようです。ですが、専門家でもない自分には、自らデータを取得して検証するような機会もなく、どの論文の証拠が強く、どの論文の証拠が弱いのかなどを批判的に判断することは正直とても難しいです。臨床医・経営者として多忙な内海氏が、彼は研究者ではないので論文の査読のトレーニングはおそらく受けていないはずで、そのような実に面倒くさい、アカデミックな、嫌になるほど地味な作業を、この本のすべての参照文献に対して行った、とは正直思えなかったです。もし、間違っていたら、申し訳ないですが。

 

精製した異物(この場合はコロナウイルスのスパイク=棘の部分のタンパク質など)を注射したら、血液中に抗体が産生が産生されて、それが次に同じ異物が侵入してきた時に結合して、除去のために働く、という免疫学の基本的な部分については私はなんら疑いを持っていません。たとえるならば、ボールを離すと地面に落ちるのが当たり前、というのと同レベルです。むしろ、効果が出ないとしたらなぜかなと不思議に思っています。

 

ずるいように聞こえるかもしれませんが、結論を出すのは難しい、という宙ぶらりんの状態のまま、物事を長い間考えることができる、というのは科学者としてトレーニングを積んだことのよい側面かなとも思っています。

 

 

先日も書きましたが、陰謀論についても、同じことが言えます。ほとんどの陰謀論については、決着が出ることがほぼありません。証拠になるような物証なども少なく、推論の域を出ない、という話がほとんどです。決して答えの出ないことについて、それが真実なのかどうなのか、あまりエネルギーを使いすぎるのもどうか、と思っています。趣味程度ならばよいのですが、「これが正しいのだ!!!」っていうシリアスな感じが出てきたら、それは極性を作ってしまっているというサインですね。

 

といいつつ、Naokiman Showは、面白いな、とか思っちゃって、たまには見てしまいますが。ちなみに彼のよいところは、「これが正しいのだ!!!ムキー」っていう感じで語っていないというバランス感覚です。「こういうヤバい話がありますが、皆さんどう思います?」っていうあれは、いいなと思います。