こんにちは、絶學無憂です。

 

先日の記事で紹介した、サーブのやり方に口出しをしてくる大先輩の件ですが、口出しされても腹が立たなかったというのは前回書いたとおりなのですが、その後もこの出来事のことが繰り返し繰り返し思い出されてきました。

 

「ははーん。と、いうことは、何か解決すべき問題があるということだな。」と分かったので、怒りを感じないのに、なぜ心が揺れているんだろうと思って調べてみましたが、別のことで極性を作ってしまっているから、というのが分かりました。

 

この大先輩はずっとテニス歴が長いにもかかわらず、サーブのプロネーション(ボールを打つ瞬間の前腕の回内運動)についてはあまり理解しておらず、しかも完全に諦めている、それに対し、テニス歴の浅い自分はある程度プロネーションで打てるようになりつつあるし、自分のほうが知識的には既によほど詳しい、ということがやり取りから判明したわけです。

 

つまり、何のことはない、私はこの大先輩に対して「優越感」に浸っていたのですな。優れている、劣っている、という極性・二元性の世界です。

 

こうやって自分の中に極性を作り出してしまうと心が揺れ続けます。

 

何度もこの事件のことを思い出したのは、さっさとこの件にまつわる観念を浄化してくれ、極性を統合してくれ、という体からのメッセージ、あるいはリクエストだったのだな、と分かりました。

 

手の平の上にこの大先輩と自分とを並べて、その空気感を味わった後に、8の字をグルグルと描いて、極性の再統合を行いました。

 

兎にも角にも、スポーツの世界というのは極性ダラケですな。