こんにちは、絶學無憂です。
この呪さん改め祈さんシリーズの7回目です。前回からの続きです。
祈さんからこういうコメントを頂いたのでした。
私は毎回何年も同じことを繰り返してしまうのですが
いつもそれがネガティブな結果になってしまう傾向があり
(どうしても自分でその結果を選んでしまう)
それを観察していくと
瞬間瞬間のタイミングで何かが意識上にのぼり思考化し
体は無意識に動きやはり無意識の中の潜在意識などがそうさせているように
るように思いました。
脳科学でもありますが
意思よりも体が先に動いているような感じです。
全ては瞬間のタイミングであり
どうも何かに操られているような気がしています。
それは何か見えない力なのか
ただの自分の思い込みなのか
先日心屋仁之助さんのブログで
「コーチングvsカウンセリング」というのを
読んだんですが、やはり「前提」の部分が大事で
そこが変わらない限り同じ事を繰り返す日々にあります。
何らかの体感でもない限り変えられないものでしょうか?
祈
そこで前回は瞑想について、私の経験と考えをご紹介させていただきました。
この後、このやりとりでは観念や感情の解放についてお返事したのですが、今読み返してみて、心屋仁之助さんのくだりをちゃんと拾っていなかったな、というのに気がついたので、今回はそこを扱ってみようと思います。
祈さんが読まれたという心屋仁之助さんの記事はこちらです。
ここで心屋さんが書いておられる「前提」というのは、私の理解ですと、自分の出生に関しての観念、と表現できそうです。
「僕が生まれたからお母さんが幸せになった」
も前提ならば
「生まれてきてごめんなさい」
「わたしは迷惑をかけるイキモノ」
も前提です。
自分が生まれたということを、両親(特に母親ですかね?)との関係の中でポジティブに捉えているか、ネガティブに捉えているか、という違いですが、これが影響して、もともと問題のないものをもっと素晴らしいものにしていこうというコーチング的な発想になる場合と、もともと問題だらけのものをその問題を解消していきましょうというカウンセリング的あるいはセラピー的な発想になる場合とに分かれるのではないか、というお話です。
「僕が生まれたからお母さんが幸せになった」
という前提にあると
きっと、批判コメント(やっともどった)が来ていたとしても
批判コメントに「見えない」んじゃないか?!
と思ったわけです。
これで7回もネタにしている呪さんからの「あんたが一番エゴに取り憑かれとるわな」コメントですが、さすがに私もこれは批判だな、と受け止めましたし、批判的なエネルギーをばっちり受け取って、数時間とはいえグルグルと思考しました。
そうなんですが、今の私の世界観は、こういうものが来るということは自分の中にそういう要素(波動と言っても良いです)があっての引き寄せである、と見ますし、ネガティブ感情は不要な観念を知らせるためだけに存在している、と見ますし、更に前提として、これだけネガティブに見えるものであっても、それは見る角度によるだけであって、常に精妙に陰と陽のバランスは取れているはずだ、と見ます。
批判コメントは批判コメントに見えますが、それが悪いと100%決めつけてはいない、という感じでしょうか。あるいは決めつけていても、まずそこをいろんなエネルギワークその他で外します。
そこが、思考のグルグルから脱出するためのきっかけになっているように思います。
そして、この「前提」ですが、「生まれたときに両親がどういう思いでいたか、ということで決まってしまうのだから自分にはどうにもならない」、と思っている方が多いのではないかと想像しますし、上のコメントを書いた時点での祈さんもまた、「そこはなかなか変えられませんよね」と思っておられた様子が伺えます。
ですが、私はこの「前提」をあまり特別なことだとは思いません。ただの観念なので、気が付きさえすれば、様々な感情解放テクニックで結構簡単に外せるのでは、と思ってしまいます。もっともセラピストしての症例の経験数は鼻くそ程度ですので、まだ難しいケースを知らないだけかも知れません。そうは思うのですが、キネシオロジーで扱うとすれば、むしろかなり扱いやすいテーマじゃないかと思います。だいたいどういう流れでセッションすればよいか見当がつきます。
そもそも「生まれたときに両親がどういう思いでいたか、ということで決まってしまうのだから自分にはどうにもならない」という発想そのものが、完全に他人軸基準であり、自分で選択をしていく、という任脈のエネルギーが乱れます。
両親がどういう思いでいたかということと、自分が自分の出生をどう捉えるかということを必ず関連づけなければいかない、なんていう法律は、幸いにしてないわけです。ここからして思い込みの世界です。
カウンセラー・セラピストとコーチの違いについては、私もだいたい同じような区別を持っており、既に何度か書いていますが、本来、誰もが幸せであればカウンセラー・セラピストのような職業は要らないのです。
ほとんどのカウンセラー・セラピストの考え方というのは、「問題という悪いものを取りましょう」というものです。これはこれで意味があるのですが(私もこういうスタンスでセラピーをやることもあります)、問題というは悪いものだ、という認識はそのままだったりします。ちょっと対症療法的なんですね。痛み?取りましょう!みたいな感じです。
悪いものを取ってもらった!バンザイ!あれでも、また他の出てきちゃいました〜
という調子で揺れてしまったりしがちなんじゃないかと思います。
そうではなくて、解消できたその時点では、最初悪いもの=問題、と思っていたものが全然問題ではなくなってしまう、むしろ大切なギフトだったんだと思えてしまう、というほうがセッションが深いと言えるんじゃないでしょうか。
実際に田仲真治さんのセッション動画の中に
「これって何か問題あります?」
「ないです.....」
っていうやり取りがあったんですが(笑けました)、これですよ。これを自問して、「ないです....」となったらそれはブレないでしょう。
問題=悪いもの、という意識が抜けない間は善悪の二元性の世界の中にまだいるので、いくらでも両極の間で感情の振り子を揺らすことができるんです。ですが、問題がギフトになってしまうと、二元性の両極が統合されているのでもうその振り子は揺れないでしょう。
そうやってゼロ=まんなかへたどり着いて、そこからさらに自分の目指す方向へ向かって動いていこう、というのが、タッチフォーヘルスでいう「ゴール設定」です。このゴール設定を中心に扱うならば、感情解放などで同じ方法論を使っていても、セラピーというよりはコーチング的になっていきます。セラピーに関してはリピーターになってしまっては困るわけですが、コーチングであればより高みを目指していく、ということの反映となるので、リピーター歓迎となります。ビジネスとしては、コーチングのほうがそういう意味で健全なように思います。
私が受講したブレインアップデートの講座も途中から名称変更してオンライン・コーチングとなりましたが、これは田仲真治さん自身が、お悩み解決ばかりでは物足りないので、人間の才能を開花させて社会で大きく活躍できるようにコーチングへ軸足を移したい、という意識があってのことだったんじゃないか、と推察しています。本当のところはご本人に聞いてみないとわかりませんが。
ただし、これをビジネスとしたときに難しいのは、悩みまくって切羽詰まっている人は必死なので、お金を払ってでもなんとかしたい!と思う人が多いのですが、別に心の悩みっていうのとは違うんだけど、もっと仕事で活躍したいんです、というような人は、危機的状況にないだけにあまり素性の知らない相手からサポートを受けたいとわざわざ思わない人が多いんじゃないかと。エネルギワークみたいなものの認知度が低いということもありますが、そういうものをコーチングで使うといった場合に「受けてみたい」と思う人は現状では少ないかも知れません。
キネシオロジーをプロ・スポーツ選手に対して適用したらめちゃくちゃおもしろいことになる、とずっと思っているのですが、現状ではそれを希望するプロ選手は少ないでしょう。
次回は、感情解放テクニックについてです。