こんにちは、絶學無憂です。
遠隔レイキのサービス(現在はもうすぐ休暇なので受付休止中)で、感情ストレスの解放のお手伝いをさせていただいております。
感情ストレスのお題を教えていただくとともに、その感情を味わっているときに同時に出てくる「〇〇はXXでなければならない」「〇〇はXXであるべきだ」といった観念があれば教えてください、とお願いしているのですが、これまでのところ、「うーん、そんなのわかんない」と言った方はおられません。コレ自体面白いことですよね。
まだ数名とはいえ、全員がこういう観念が同時に出てくるとおしゃっています。
つい先日の記事でも触れたばかりですが、私は、ネガティブ感情というのは例外なく、この観念のほうが原因になっている、という考え方です。
私がやっているようなレイキだけでなく、EFTとか、エモーションフリーのような他の感情解放テクニックでも、観念を外すことで感情ストレスを軽減する、という仕組みになっています。
いろんな方の感情ストレスの中身を見ていくと、そこに横たわっている観念というのが、とんでもないような独りよがりの勘違いである、というのなら、ある意味わかりやすいのですが、そういうケースばかりではないということがはっきりしました。
「家はきれいにしなければならない」
「道にゴミをポイ捨てしてはならない」
というような、社会的、道徳的にほぼ100%正しい、とされるような観念が出てきたりします。誰に聞いてもこれは正しいでしょう、と思えるようなものです。
ところが、こういう社会的に「正しい」観念であっても、その人にとってはそれが感情ストレスの原因になっているようなのですね。
実際に感情解放を行うと、このような世間的に「正しい」観念に対して、ただの言葉だと感じるようになって、感情が発生しなくなります。
これはどういうことなのでしょうか?とっても面白いと思いませんか?
別段、
「家はきれいにしなければならない」
ということが間違っている、と言いたいわけでもないのです。少なくとも社会的には「正しい」。家はきれいな方が良いに決まっています。でもこれがストレスを生み出すということは、心がここに執着しているということですね。過剰に強く信じてしまっているという状態です。
そしてそういう執着を持っていると、「ほら、ダーリン、君はとっても『家はきれいにしなければならない』っていうことに執着してるんだね」と言わんばかりに、旦那さんが家の中を散らかしたりして、その執着部分をこれでもか、これでもか、と刺激してきます。
この部分も引き寄せの法則で説明できてしまいますね。執着して「家はきれいにしなければならない」と思っているときのなんだかイライラした、ストレスフルな感情があり、それに呼応して、阿吽の呼吸でもって、旦那さんがそのイライラを盛り上げるのに一役買ってくれるわけです。
たとえばですが、なんだかしょーもない言葉遊びのようですが
「家はきれいにしなければならない」
だと、命令されているようでちょっとプレッシャーを感じますね。
「家はきれいなほうが素敵だ」
だとどうでしょうか?プレッシャーあまり感じませんね。
「家はきれいにしなければならない」
でプレッシャーを感じていちょっと苦しくなる、ということは、この考えは、拡大したバージョンのあなたの望むところから外れているわけです。ワクワクしないわけですな。
全く同じことでも
「家はきれいなほうが素敵だ」
だと、むしろちょっとワクワクしてしまうというならば、この考えは、拡大したバージョンのあなたの望むところによく合っているわけです。
このような微妙な違いですが、これがストレスを感じる、感じないという違いだと思います。
「家はきれいにしなければならない」に執着を感じている状態、というのは、別な言い方をすれば、この考えが絶対的な真理だと強く信じているわけです。(私が使っている数値化では、絶対的な真理だと感じたら10、ただの言葉だと感じたら0です)
「正しい!」という思いというのは、実は分離エネルギーなんですよ。なぜか?間違っているものがあって、はじめて正しいものがあるわけで、陰陽の二元性なんです。
「家はきれいにしなければならない」というのが絶対的な真理だと強く(過剰に)信じていると、その人の中のエネルギーがまずアンバランスになります。筋肉反射テストでいうと、体の片側だけに力が強く入るような状態ですね。
そう思っている状態で、何かを散らかした旦那さんに対峙すると、どうなるか。
その人の体の中にあったエネルギーの分離、偏りが今度は、御本人と旦那さんの間で形成されてしまいます。これが戦争が起こる仕組みだと思っているんですが....
ぶっきらぼうな言い方をすれば、ストレスの多い人ほど「〇〇しなければならない」「〜するべきだ」というような観念を山程抱え込んでいます。この点で人類を代表できるのがおそらく私の姉ですが、もうこういうレベルになると、体中にプラスチック爆弾を貼り付けて歩いているようなものですから、本当になんでもないようなことですぐブチ切れたり、落ち込んだり、パニックになったり、なんかもう大変な世界になります。歩く地雷原ですね。
ごく単純化するなら、こういうのを全部箇条書きにして、片っ端から、EFTとか、エモーションフリーとか、ESRとか、私の遠隔レイキのサービスとか、般若心経の真言だとか、そういうものでもって、全部書き換えていけば、かなりスッキリすることだと思います。これを地雷撤去作業といいます。
とんでもない勘違いの場合は単に手放すだけでよし、内容的には間違ってないというような場合は「べきだ」とか「でなければならない」とかいう部分を外して、たとえば「好きだからそれを選ぶ」というように変えてみる。
そんなんでいいんじゃないかな。