こんにちは、絶學無憂です。

私はいわゆる英語ペラペラに相当します。

で、これはずうっと自覚があるのですが、私は英語が苦手な日本人や、訛りのものすごい外国人に対して、態度がかなり厳しい。もうちょっと優しくてもいいじゃないかと思うけど、なぜか厳しいな、と思ってました。この理由がやっとわかった気がします。そこで、今回はまず英語学習法について私の意見を紹介した上で、なぜ私が他の人の英語に妙に厳しいのかという謎に迫ってみたいと思います。

英語学習法についてはそれこそ沢山指南書が出ていますし、今更私が何を言うか、という感もありますが(その割にペラペラの日本人はあまり増えていない気もしますが)、ペラペラになった人がどういう心境の変化を経て、それがペラペラになった後にどういう後遺症を残すか、という分析はかなり珍しいのではないかと思います。

ペラペラと言ってもTOEFL iBTでの最高点は106 (120満点。聞き取りと読解は満点。発話と作文はしくじりました。)なので、まだまだ私の上を行く人はたくさんいるでしょう。まったく試験対策をせずに受けたので、もっと取れた可能性はありますが。

留学前には82点でしたから、数年間で120点満点において24点アップしたことになります。日本語のアクセントは多少残っていますが、イギリス人が聴いてそれと分かるようなイギリス英語です。発表・プレゼンなどでも、英語がわかってもらえないという心配は殆どゼロで、むしろネイティブの英語よりも表現がシンプルなだけに(語彙が少ないから)分かりやすいだろうと思うくらいです。

なんか自慢ばっかりみたいですいませんが、イギリスで数年暮らしたからと言って英語がうまくなる人はそれほど多くありません。どうやって、私はこの英語力を磨いたと思いますか?実は、この答えがが、後半で分析する、なぜ他の人の英語に厳しいのかと関係してます。

私の発音や聞き取りがよいのは英語耳」という名著のおかげです。

 


簡単に言うと、英語の音というのは、日本語の音で代用できないものが多いのです。それをカタカナで凌ごうとするとどうしても無理があります。仮に、カタカナ英語でスラスラと喋れても(そういう達人も結構います)、今度はネイティブや他の外国人にすれば、「こいつはキツイ訛りで高速で話すぞ」ということであって、相手に聞き取りのためのエネルギーをかなり要求することになってしまいます。

「英語耳」という本では、英語の発音記号(IPA記号)別に英語のすべての音素についてどういう舌や口の形で発音するかを学びます。これは現在英語圏の国の義務教育の最初に行われているphonics フォニックスという新しい教育方針に非常に似ています。私の子供が現地の小学校で受けたフォニックスの英語教育は、アルファベットの綴りと音素との関係を学んでいくというもので、発音記号を使わない点を除けば、私の勉強法とよく似ていました。

 

昔から学校で「あいうえお」を習う日本人には意外ですが、フォニックスの登場以前は、ごくごく例外的な人を除けば発音記号を理解する英語話者などいませんから、辞書に載っている発音記号はあまり意味がなく、ほとんどの人にとっては綴りと音の関係を体系的に学ぶ機会はほぼ無かった模様です。経験に頼っていたということかな。


結局、私はほぼ1年をかけて英語の発音記号全種類について、発音法を習得しました。自分が発音できる音は自動的に聞き取れるので、これによって同時に聞き取り能力が飛躍的に向上しました。

 

そして英単語の発音を辞書の発音記号でいちいち調べて直していきました。カタカナ英語の影響ですが、実に多くの知っているつもりの英単語の発音が、見事に間違っていました。

ネイティブの英語の先生にもついて、私はどの音素の発音ができていないかを指摘してもらい、帰ってから「英語耳」で発音を練習しました。ネイティブの先生は、どの音が英語っぽくてどの音が英語っぽくないかを的確に指摘できますが、どうやって舌や口を動かしてその音を作るか、ということになると、実例を示すことはできても、説明はできないので、そこを本に助けてもらったわけです。

 

イギリス英語に対応する上では、「英語耳」とほぼ同じ考え方ながら、非常に正確なイギリス英語の情報が載っている「イギリス英語でしゃべりたい! UK発音パーフェクトガイド」がたいへん役に立ちました。

 


加えて、BBCのTVドラマを字幕付きで見ながら完全にセリフが聞き取れるまで何回も巻き戻して観る(オンデマンドのiPlayerなので巻き戻し可能なんです、しかも面白いドラマが沢山)ということをほぼ同じ期間続けていました。

おおよそ1年間に渡り毎日3時間英語に費やしたので、約1000時間の英語学習を行った結果、今の自分があるわけです。一般に語学学習ではこの1000時間というのが目安だそうで、たいていはこれだけやれば大きな変化が見られる、ということです。

そして、なぜ他人の英語に厳しいかという話に戻ると、彼らが同じように1000時間を使えば、私と同じように喋れるはずなのに、それをサボっている、というように見てしまうからです。この人達は怠慢だ、というように見てしまうのです。でもそう思ってしまうのは仕方ないよなあ、とずっと思ってました。ごく最近までは。

 

次回に続く