座頭市

★★★★

 

1989年(平成元年) 2月4日公開/三倶・勝プロ/116分/松竹配給    
脚本    勝新太郎・中村努・市川達巳・中岡京平    監督    勝新太郎
撮影    長沼六男    音楽    渡辺敬之
出演-勝新太郎・緒形拳・樋口可南子・内田裕也・陣内孝則・奥村雄大・三木のり平・蟹江敬三・片岡鶴太郎・江幡高志・ジョー山中


勝新主演の最後の「座頭市」。
劇場用映画版だと1973年の「新・座頭市物語笠間の火祭り」以来16年ぶり。

画面がとても映画的で引き込まれる。
樋口可南子との浴場でのシーンが素晴らしい。月夜なのか照明が暗転と明転を繰り返す。艶めかしい樋口と市との濡れ場。記憶に残る、名シーンとなった。照明技師は熊谷秀雄。

緒形拳との出会いのシーンも微笑ましく可笑しい。しかし、緒方のキャラクターは後半に向けて絡んで来ず、もったいない。
その他、狂気の陣内孝則。いま一つキャラがおとなしい奥村雄大。中途半端な出番になった片岡鶴太郎。それぞれ個性的なキャラになっているのだが、詰めが甘い。

勝新の着想は素晴らしいのだが、ラストの大円団に向かって人物たちが収斂せず、中途半端に終っていく。長年の付き合いのあった脚本家中村努が居てもそうなのだから、これはもう勝新の資質の問題で、仕方ないことなのだろう。

それでもラストの立ち回りは迫力満点。

多くの観客は、それなりに満足して映画館を後にした事だろう。

勝新、最後の「座頭市」であり、最後の監督作品。

1962年の「座頭市物語」以来27年の歳月が流れ去ったあとの、有終の美。

以下Wikiより転載
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勝新太郎主演で製作された最後の座頭市作品。勝は脚本・製作・監督を兼任。
制作当時、日本社会はバブル景気で、映画に投資を行う企業は多かった。こうしたなか、ゴルフ場建設会社「三倶」から制作を持ちかけられ、松竹が配給するという形で企画は始動した。
勝は『座頭市』シリーズを支えてきた中村努、真田正典、南野梅雄といった旧知のスタッフを招集。

1988年(昭和63年)正月明けから始まった企画は、勝が脚本作りを何度も振り出しに戻すうちに、半年を浪費するに及んで、ついに松竹は企画打ち切りの意向を伝えてきた。慌てた中村努は勝を説得し、形ばかりの脚本を松竹に提出し、なんとか制作に入ることとなった。ストーリーはすべて勝のイメージを中村努が後付けで文章にまとめる形で進められた。

しかし、テレビシリーズ最後まで制作現場としてきた旧大映の京都撮影所は数年前にマンションとなり、東京のにっかつ撮影所での制作となった。息の合う撮影スタッフはスケジュール上の都合で揃えることが出来ず、東京の映画スタッフを急遽集めなければならなかった。
また貸しスタジオのためパーマネントセットが組めず、撮影のたびに壊さなければならなかった。このなか映画の現場に不慣れな美術デザイナーは、巨大な博打場のセット(文化財家屋をモデルに使った)を組んでしまい、維持管理に莫大な予算を使い、このセットだけで5000万円を費やすこととなった。

「勝プロ」時代から、勝の映画作りは完全なワンマン体制で、勝のイメージがすべてに先行し、脚本は全く無視され、撮影ではアドリブでその場で演出が変わるのが恒例だった。旧来のスタッフはこれを熟知していたが、その他の新規スタッフは戸惑うばかりで撮影は円滑に進まなかった。

東京を本拠としたため、ロケ場所の選定もひと苦労だった。アドリブ主体の勝の撮影に対応した機材資材一切をトラック隊に積み、青森から広島まで、全国をロケ隊が回った。勝の意向で片岡鶴太郎はロケが突然中断されて別日に変更され、このため出演部分の撮影が遅れてしまい、ついにはレギュラー番組の出演を1回休むこととなった。

そんな中、殺陣のリハーサル中、五右衛門役の奥村雄大の持っていた日本刀(真剣)が子分役の俳優の首に刺さり死亡する事故が起きてしまう。
奥村に真剣を持たせたのは助監督で、時代劇経験のない、急遽集められたスタッフの一人だった。「真剣の使用における安全管理の問題」「重大事故の発生にもかかわらず撮影を続行する製作姿勢」などが問題視され、一大スキャンダルとして報道された。なお、奥村は勝の長男で、本作が映画デビュー作であった。

1月20日にようやくクランクアップした後、2月4日の封切りに、最終作業を間に合わないとみた松竹は公開延期を申し入れてきた。しかしここでついに大映時代からのスタッフの実績が発揮されることとなった。事件報道の集中砲火を浴びて満身創痍の勝は得意の三味線を即興演奏して劇中に盛り込み、徹夜を重ねたスタッフは見事にフィルムをまとめ上げた。そして公開されるや映画は大ヒットとなったのである。