オールを取り戻すまでの話 48 | 勤続38年 ベテラン管理栄養士が提供する「病院勤めのストレスが消えて、生きててよかった!で満たされる」コーチング広場

勤続38年 ベテラン管理栄養士が提供する「病院勤めのストレスが消えて、生きててよかった!で満たされる」コーチング広場

ずっとずっと頑張っているのに「なぜか、うまくいかない!」「何か違うかも?」「私の何がいけないの?」と迷子になっていませんか。「誰か私を助けて!」「正解はどこにあるの?」と右往左往しているのなら、私と一緒に探し出しましょう。あなたの本当の人生を!

 

毎週日曜日は

オールを取り戻すまでの話を

書いています。

 

 

 

 

 

 

 

前回の話はこちらから

オールを取り戻すまでの話 47

 

 
 
 
 
第1話はこちらから
 

自分の人生を引き受ける の巻

オールを取り戻すまでの話 1

 

 

 

 

 

簡単に終わらせるつもりだった

自己啓発の話ですが、書き出すと

色々と思い出してしまって・・・(笑)

という事で、今週もまだ続きます。

 

 

 

 

 

ビッグトレーニング、その2です。

 

 

 

細かい事は忘れてしまったのですが

そのトレーニングの開始場所は

有名酒造メーカーが蒸留所を持っている

京都の某所。その近くのJR駅に集合。

時間は夕刻を過ぎていました。

「軽く腹ごしらえをしておけ」

と、言われました。

 

 

 

何をするのか、全く知りません。

まぁ、でも・・・

ここまで色々なことを体験してきたので

何をやらされても「なんとかなるか」と

かなり開き直っていました。

 

 

 

ざわざわしていた所に

コーディネーターから発表がありました。

「ここからトレーニング会場のある

新大阪まで、全員で徒歩で移動!」

 

 

 

え~~~~~~~~~~!

何キロあるん?

道、わかるん?

水は?

食糧は?

いったい、何時間かかるん?

 

 

 

一瞬のうちに

様々な疑問が渦巻きました。

私自身が特に困ったなと思ったのは

・・・当時のグループメンバーの一人に

車いすの男性が1名、いました。

 

 

 

自分のことだけでも精一杯になる。

そんな状況が予想出来るのに、

更に、他人の助けを必要としている

そんな存在がいること。

私の正直な気持ちを書くと・・・

「めんどくさいな」でした。

 

 

 

きっと、

一晩中歩くことになるんだろうな。

どんな道を歩くのかわからんけど

舗装道路ばっかりではないだろうし

階段とかどうすんねん!って

まだ、そんな状況になってもないのに

未知の不安を先取りして

不機嫌になっていた記憶があります。

(おバカですね・・・笑)

 

 

 

後からわかったことですが、

私達が歩き通せる為にと、

本当に多くのサポートが

準備されていましたし・・・

既にトレーニングを終了した人達が

ありとあらゆるところで見守って、

差し入れし、サポートしてくれて

応援してくれていました。

 

 

 

見知った顔が車で横を通り過ぎて

「がんばれよ~!」って、わざわざ

声をかけてくれたりもしました。

 

 

 

水分補給・食料補給はもちろん

要所要所でのトイレの場所が

確保されていました。

特に女性は大変な場合もあるのですが

そういう面で困る事はなかったです。

 

 

 

 

 

でも、やはり長距離の歩行は

なかなかに厳しいものがありました。

最初は意気揚々と歩きだしたのですが

だんだんと無口になっていきます。

「一晩中歩く」以外に、

何をしていたのか記憶にないのですが

普段はゆっくり話せていないメンバーと

いろんな話をしていたのだけは

覚えています。

 

 

 

街灯もあまりないような暗い道。

そんな場所を歩きながら、

普段は話さない秘密の話しを

こっそりとしたり・・・

参加生とはちょっと距離をおいている

コーディネーターとじっくり喋ったり・・・

歩き続けるのはしんどかったですが

いつもとは違う楽しさもありました。

 

 

 

差し入れにはおにぎりやバナナ。

あと、水とかお茶がありました。

休憩できるのは嬉しいのですが

止まると・・・次に動き出すのが

苦痛に感じることもありました。

 

 

 

そして・・・例の車いす君。

実は、私は彼の事が大嫌いでした。

甘ったれで、我儘で、自己中で・・・

 

 

 

でも、こういう特殊な状況では

彼が援助を求めているのは事実。

彼に、「自分一人で動けよ!」と

放っておくことはできません。

 

 

 

「私は彼の事が大嫌い」

でも、その事は横において・・・

彼の車いすを、何度も押して歩きました。

でも、一度も車いすを押さずに

最後まで彼に関わらなかった・・・

そんなメンバーも、中にはいた様です。

 

 

 

私はそれができませんでした。

「嫌い」でも「関わらない」という

選択をしてはいけない。と

当時の私は考えていました。

そして、

「嫌い」だから「関わらない」と

決めて行動している人を

ちょっと軽蔑して・・・

でも、ちょっと尊敬しました。

正直やな~って・・・(笑)

 

 

 

この車いすの彼は、私にとって

トレーニングの最後の最期まで

とっても気になる「嫌」な存在でした。

結局、彼は途中でリタイアしたのですが

私達のトレーニングが終了するまで

なんだかんだと顔を出していました。

そして、たしか・・・

トレーニング終了時のお祝いの時に

「彼も頑張ったんだから仲間に入れよう!」

という声があがった記憶があります。

 

 

 

その時だけは、私が猛烈に反対しました。

彼なりに頑張ったのかもしれないけど

何も成果を上げてないじゃないか!

彼がどんなエンロールをしたのか?

どんな動きをしていたのか?

何も伝わってはきていませんでした。

 

私は成果を上げる為に

夜通し車を運転して岡山まで走ったり

和歌山のメンバーの家まで応援に行ったり

自分の時間もお金もとことん注ぎ込んで

やっとの思いで、

このトレーニングを終了させたのに!

中途半端は動きしかしなかった彼を、

私と同じステージに立たせたくない!

と、この時だけは腹黒いと言われようが

自己中と言われようが

「嫌」なものは「嫌」!と言い切りました。

 

 

 

そんな自分を見せてくれることになった

この車いすの彼ですが・・・

この夜間長距離歩行でも

まわりのサポートを一身に受け

私達と一緒に最終ゴールを踏みました。

 

 

 

 

 

ゴールに着いたのは朝の6時頃・・・

あっ!思い出しました。

この長距離歩行には

時間制限が設定されていました。

朝の7時だったか・・・6時だったか・・・

どちらかはっきり思い出せませんが、

ゴールが見えているのに

時間に間に合わないかも!って全員で

猛ダッシュした記憶が出てきました。

 

 

 

ここまで全員で歩いて来たのに

時間が守れなければ成功とは言えない。

 

足がパンパンに腫れあがっていて

普通に歩くのも痛いのに・・・

途中で足の豆がつぶれて、

引き摺りながら歩いていたのに・・・

メンバーの中で一番力持ちの男性が

例の車いすを全力で押しながら・・・

全員で走って、全員でゴールしました。

泣きながらの全員でのゴールでした。

 

 

 

 

 

このトレーニングの目的は、

仲間同士、どうサポートしあえるか。

そして、仲間が互いにサポートしあい

全員でゴールする、という体験。

ここにあったんでしょうね。

 

 

 

 

 

淀川の河川敷には

大きいブルーシートがひかれていて

いろんな差し入れが所狭しと

並べられていました。

全員、くたびれ果てていたのですが

ゴール出来た喜びと

暖かい飲み物や食べ物・・・

そしてなにより、自分の紹介者

私だったら「弟」の出迎え・・・

それらに癒されてみんなニコニコ顔。

 

 

 

私は当時、Hさんという女性と

とても親しくさせて貰っていました。

Hさんは、

他の自己啓発のトレーニング終了者で

別のチームのアシスタントとして

よく顔を合わせていました。

マッサージが大好きな彼女で

歩き疲れてパンパンの私の足を

丁寧に丁寧にマッサージしてくれました。

ありがたかったです。

 

 

 

当日は家に帰って

泥のように眠り続けました。

 

 

 

 

 

こんなトレーニングが続く中・・・

私自身のエンロールも続けていました。

大きなトレーニングでは

そこそこの成果を感じられた私ですが

日々のエンロールは

本当に苦戦だらけでした。

 

 

 

父親に続いて母親。

そして、伯母。いとこのお姉ちゃん。

高校・大学時代の友達たち。

職場の後輩。

そして、そして・・・Y氏。

 

 

 

多くの人に連絡を取り、

会いたいと伝え、

日程調整して、実際に会って、

こんなトレーニングがあるのよ~

と、喋るわけです。

色々なドラマが勃発しました。

 

 

 

 

 

続きはこちらから