糸は糸を束ねた形から成り立ち、
氏とは倒れ掛かったものを支える形でうすく平らな様子を現すとか。

紙のない時代、
生糸や繊維をうすく平らに伸ばしたものに字を書いていた。

そのから紙という字に。


ああ、彼は元気だろうか。彼女は元気だろうか。
と、ふと生糸や繊維を何日もかけうすく伸ばし、
ていねいにそれを広げてから書いた文というのは、
なんだか単なる手紙とは違うような気がする。

手紙というのは、
送った相手が同じ視線でそれを眺めるんだろうから、
紙を通じて伝わるものは文字だけではないのかもしれない。


やり直す
手で書くときにもしかしたらみているものも描かれているのかも


2014.4.29
「本源の光の色さまざまな反映、それがわれわれの生なのだ」
とはゲーテの言葉なんだとか。

人には色があるように、
年にも色合いというものがあって、
その人らしい色というのは年を重ねるたびににじみ出てくるようなものなのかも。

ただその都度その色をぼかしてばかりいたら、
自分の色をも失うこともあるかもしれないから、
他の色と比べてみて自分の色を確かめることも時々必要なのかもしれない。


色合い
毎日顔合わせるこの瞬間も毎日色合いをかえてくる


2014.4.28
葛飾北斎は富嶽百景の奥付けに次のようなことを言ってるんだとか。

6歳から物の形を写すことに興味を持ち、
50歳頃ぐらいから世間に評判なるものをおおく残したが、
70歳までの作品には取るに足らない。
73歳にしてやや鳥や獣、虫、魚などの姿かたち、
草木の育ち方をどうとらえるかの勘所がわかってきた。
そういうわけで、
80歳になればひとかどの線にまで進めるだろうし、
90歳になればその道の奥義を究め、
100歳では人間離れした神技の域に達するだろう。
110歳ほどになればどこからどうみてもあたかも生きてるように写生をものにできるだろう。

人生50年の時代に、
ここまで言い放ってしまうのはユーモアと将来への明確なビジョンがあったればなのかな。

これまで
彫刻家ロダンはまた彼の言葉に感銘をうけ、
優れた頭脳になると生存の最終端に至るまで自分を育て自分を豊かにしてゆき得るものだ
と言ってるんだとか。

みえない波の轟く音や空の奥行きや水の冷たさのようなものは、
絵に現すこと以上に至福のときだったんだろうか

「ここまで」とやってみても「これまで」という終点がなかったのだから、
何歳になっても続けられるのかな



2014.4.27
デカルトは『情念論』のなかで、
日本語では僅かに一言しか違わない高邁と高慢の心について記述してるんだとか。

死の直前に彼は人の心そのものをテーマに考えていたんだろうかな。


高邁な心とは、彼によれば自身の内なる価値、強く気高き精神によって立つことを意味するらしい。
その人は、自身が最善とするすべてを実現せんとの確固不変の意思で動き、
その意思をどのような状況でも捨てない。
欲望、執着、羨み、憎しみ、恐れ、怒りの感情に決して動かされないとか。

高慢な心とは、自分の内面以外の才能、美、富、名声によって自らを保とうとする
卑しい感情を指すらしい。
それに陥ってしまえば、他の人をも卑しめるきっかけになる。
その感情によって絶えず、憎しみ、羨み、執着、怒りによって欲望の奴隷になってしまうんだとか。


高邁と高慢
自分のためにまわってきたかと思うかそうでないか
全然違ってみえるのかもしれないおひさま


2014.4.26
テコの原理を提唱したアルキメデスは、

「われに『テコ』と『足場』を与えよ。
 しからば、地球をも動かしてみせよう」
と2千年前以上に謳ったんだとか。


これを用いてかつてケネディ大統領も、

「この地球とともに住む諸君よ。
 この各国の集会場を、
 われわれの足場としようではないか。
 そしてわれわれの時代に、
 この世界を正しい永続的な平和に向かって
 動かせるかどうかやってみようではないか」

と語ったそうで。

今日、オバマ大統領来日。

テコ
出会いを足場にするかどうかは自分のテコ加減によるのかも


2014.4.23
何事にも10年間の時間というのは、
その道を究めることに必要な時間なそうで。

1年間は8760時間
1年間は31,536,000秒
1年間は大体52週

数にすると味気なくなるような。

今日の1日と10年前の1日は同じだっただろうかな。

加速していくように感じる時間は、
淡々と何かを続けていくなかで重なる層になっていくのかも。


うすさ
うすい紙も重なり続けていくと見上げるほどになる
遠い先とその場に居続けるか、とりあえず続けてみるかはみえ方も大分変わってくるのかも


2014.4.22
なんだかんだでやり直しは楽観的な土台を作るんだろうかな。
やめたらそこで終わりだなんて、
自分で自分の耕すべき土地を軟弱なものに創りかえてしまうのかも。


やり直す
太陽もまたなんだかんだで毎日やり直して出直してくる


2014.4.21
今という漢字は、
上部は人があつまってくる様子をあらわし、
下部はどこまでも続く様子なんだとか。

今という時間の心地よさは人のなかで生活するという
ながれに逆らっては培えないものなんだろうか。


ながれ

ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。 よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。 世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。
とは方丈記の有名な抜粋で。
昨日見とれた夕日のあった同じ空に、今日はきれいで力強い雲がありました



2014.4.20
医療現場には、
オッカムのかみそりとヒッカムの格言という2つの尺度があるそうで。


前者は「一つの原因は観察されるすべての事象の源である」と考えるのに対して、
後者は「どの患者も偶然に複数の疾患に罹患しうる」と考えるそう。

一般的にはその患者が若いかどうかで考えるんだとか。


尺度はたくさんあればそれにこしたことはないのかと。
1つの尺度では必ず限界があるんだろうから。

尺度
どんな今日であっても空をみる時間はあったらいいな


2014.4.19
何かを伝えるためには多くの手段があるんだけれども、
なんだかんだで言葉で伝えることは伝わる以上にものが伝わることも。

万葉集には富士の美しさを伝えるのに、
白い富士と表現するだけで、
青い空も表現することに。

写真以上に読み手にすっと伝わることも。

新古今和歌集にも序文には、
歌は天地を動かす、
とあるそうで。


美しさや強さはなにか削ぎ落とされた先にあるのかもしれない。