楽譜にだって休符っていう音のない音がある。
人だって休まなきゃ、次の音を出せない。


だから、
休んでいるようにみえても、
それは音のない音でしかないんだろう。

次に音が出るための、
大切な呼吸なんだろう。


休符だってないように思えて、
ずっと鳴り続けている。


音はずっと続いている。


$5udaのブログ-音のない音
出会いという音も続いていくんだろう



2013.1.3
フランス語で、

「最近どう?」

っていう意味の語。


もっと詳細に言うならば、

「あなたの最近みている美しい世界はなんですか?」

といったような意味らしい。


純粋持続に習って言い換えてみるならば、
毎日なんて今日という1日の単純なつながりではないはず。

だったら同じようにみえる毎日も、
日々過去と未来のあらゆる方向とつながっていくんだろう。


忙しさに紛れて心のゆとりがないときに、
ふとその落ち着きを取り戻してくれるようなこの言葉が、
最近好きになりました。


$5udaのブログ-フラ語
きっと美しい世界をみている子ども


2013.1.2
ベルクソンの生命哲学の時間に関する概念の、特徴的な考え方なんだとか。

昔を思い出す場所
懐かしい匂い
忘れられない音
記憶とともにある味
目を閉じると浮かび上がる風景
覚えている温かいぬくもり

そういった心の中の時間の感覚を指すものなのかも。


通常、時間は線を描くかのように1時間、1日、1年って時系列で考えられたり、
1DKよりも2LDkと、空間を図るように足していけば増えるもののように考えられるかもしれない。
けれどもベルクソンさん的には、
時間はもっと人間の内面の奥底にある直感的なものらしい。

時間の瞬間瞬間はバラバラではなく自分の中でそれらは繋げられていて、
それら1つ1つの瞬間という音は1つのメロディを奏でるそう。

時計的な時間の流れでは別の時点で発せられた音の余韻が残り、
それが自分たちには同じときに混ざり合ってそれをメロディと感じるけど、
時計の時間とは異なる、計量できない時間の流れを彼は表現したかったんだろうか。

そう時間の観念を捉え直すと自分たちは、
時計が伝える時間とは違う世界を生きてることになるし、
過去も単に通り過ぎるものでなく、
記憶も過去の出来事ではなく、
それを思い出すとき過去を生き直していることになるんだとか。

生き直すというのは、
過去や記憶に意味や存在が与えられる、という風に考えられるんだろうか。

だったら例えば、映画でも読書でも序章だけでは分からない出会いや場面は、
後に大きな意味を持っていたという、
伏線に似たようなことが現実世界でも起こっていると言えるんだろうか。
その瞬間、その記憶は眠った頭から引き出されるのではなくて、
過去にその存在を残したまま、生き直されていることになるんだろうか。

過去は過去として存在する。
ただその過去はまた、この先ずっと自分の中では生き続け生き直し続けるのかもしれない。


純粋な持続なんてあるんかとか、
結局空間的でない時間の捉え方をどう説明するんかとか、
未だ議論されるらしい彼の定義だけど、
時間が単線的でないかもしれないと言ってくれるだけ、
毎日がすこしずつ変化していくのかも。


いつの日か、
この1年が大きな意味をもつ伏線だったと気づけたらいいのになと。


$5udaのブログ-純粋持続
初日の出とともに思い出す何か


2013.1.1
「何事かに9回失敗したとしても、
それでも9回の結果を生んだではないか」

と、チベットの諺にはあるんだとか。

ダライラマもよく口にするとか。

ちょっと何かしてみるから、
少し自分の世界が広がって、
昨日とは違う世界をみることができるんだろう。

それが例えみたくないきたない景色だったとしても、
いいんだと思う。

いつかきれいでいつまでもみていたい景色に出会ったとき、
それがどれだけ素晴らしいかを、
身体全体で震えるように感じるんだろうから。


$5udaのブログ-アパッチ族
失敗を恐れない彼ら


2012.12.29
いろんな淘汰があって、
世界は今存在するわけで。

そこには大なり小なり、
たくさんの衝突があったのかと。

常に今存在するのは、
そこを勝ち超えてきた
強者といわれるものたちで、
勝ったものがまるで
真実で正義かのように振舞うのだろうか。

歴史には常に脇役がいて、
衝突した先に残ったものたちが
歴史に名を残す。

革命家のチェ・ゲバラは

「歴史を動かしてきた人々は、
 名を残してきた人たちではなく、
 その傍でじっと動いてきた人たちだ」

というようなことを言っていたそうで。

その脇役達がいたから、
彼らも名を残せたわけで。

どんな出会いが自分のためになってるなんかは、
後々気づくのだろうか。


$5udaのブログ-脇役
そこにいた人 いるだけで意味がある


2012.12.28
こないだ首都から車で50分ぐらいのところにある、
孤児院に行ってきました。

2004年にできた孤児院で、
院長の女性が二人のこどもを引取、
僅かな自己資金ではじめた場所でした。

現在、こどもは65人。
クリスマスを祝う国の特別行事にも、
歌や踊りで参加する子もでてくるように。

15人のこどもが、今年は中学校に行けるようになったとか。

帝王切開後、すぐに捨てられた現在4ヶ月の赤ちゃんがいたり、
上は17歳ぐらいのお兄さんお姉さんがいて、
みんなで和気あいあいと、
あたかもほんとの家族のように
暮らしてました。

日本でも毎年3万人以上、
児童擁護施設が必要なこどもはいるみたいだし、
戸籍に存在しないこどもがいる。
それ以上に身の回りの大人の助けが必要なこどもは、
統計以上にいるんだろう。

「こどもは、大人の世界の鏡」だと、
誰かが言っていたけど、
孤児院のこどもは何かを乗り越えたのか、
それとも沢山の何かいい人との出会いがあったのか、
強い心と温かい目を持っているように感じました。

いい出会いは、
次のいい出会いを導いてくれるような気がしました。

$5udaのブログ-孤児院
生後4ヶ月の子どもと見守る孤児の姉


2012.12.27
昨日、ナイロビの街中でタバコをぷかぷか吸ってました。

治安の悪い場所だし、
地球の歩き方でもいっちゃいけない場所で一応有名なタウン。

街中の路上タバコの悪質な取り締まりは有名で、
賄賂目当てで外国人をよく逮捕するんだとか。

本当にそうなのかと思ってやってみたら、
本当に手錠はめられました。

本当に警察だったか逆に調べ忘れたけど、
冷たい手錠でした。

真夏のクリスマスに、
はじめて季節を感じた瞬間でした。

馬鹿なことやってるなと、
改めて振り返ってみました。


$5udaのブログ-タバコの法律
逮捕された場所


2012.12.26
昨日タリバンを身内にもつ人と知り合いました。

お父さんと兄、弟が一族なんだとか。

現代のアンネと言われる、マララ・ユスフザイさんの話もあるから、
複雑な感じがしたけど、
彼らの生活の基盤になってるあれこれを
色々とおしえてもらいました。

自分の生い立ちをあえて認めているように、感じられました。
そのうえで、
「だから、タリバンは怖くない」
と言ってました。

家族の絆のようなものを感じました。

テロ集団とだけいうと、
なんだか伝わらない温かい何かを感じました。

だけれども、人の命は決して奪ってはいけない。

だから、争いの火種が消えるような
小さな出会いが続いていけばいいな、
と思いました。
そういえば、1年前新宿でサンタバイクをみた。
喧騒とネオンが白い息と混ざり合うアルタ前を、
サンタの衣装をきたバイク野郎女郎が、駆け抜けてった。


新しい空気がそこにはできていた。

何をするんでも空気っていうものは大事なんだろうか。

仕事もしやすくなるだろうし、
人間関係もよくなるだろうし、
自分や他人のいい面もアイディアもどんどんでてくるのかもしれない。

自分だけ好きな空気を吸うんじゃなくて、
他の人も吸って心地よい空気を意識してみると、
自分の吐く空気も変わるのかもしれない。


$5udaのブログ-サンタバイク
真夏のクリスマス


2012.12.24
昨晩はたくさんのものを盗られました。

携帯2台、電子書籍、時計、お財布等。

お金持ち風にどうしてもみえてしまうアジア人は、
気をつけなきゃいけないんだろうけど、やっちゃったなーと。


でもまあきっと、何かをすてるから、また何かが入ってくるわけで。

日常でも1日できる「器」は限られているんだし、
何かをする時間を「器」からすてるから、違うことができる時間がその「器」に生まれて。

お酒、たばこ、インターネット、ごろごろすること、漫画とか、
何か1日すこしやめると、また何かを始められるんだろうかと。


今回はものをたくさんすてたから、
すてて空いたところに、
いつか何かが入ってくるんだろうと。


$5udaのブログ-すてる
この景色もそろそろ自分の「器」からすてることになる


2012.12.23