『雪国』の中で主人公島村が何度目かの村への訪問の際、
汽車の窓の外にはお婆さんの身の丈の二倍はあるであろう穂をみて薄だと思ったそうだけど、
実際は萱だった。
こう描写されていた。
島村が汽車から降りて真先に目についたのは、
この山の白い花だった。
急斜面の山腹の頂上近く、一面に咲き乱れて銀色に光っている。
それは山に降りそそぐ秋の日光そのもののようで、
ああと彼の感情は染められたのだった。
それを白萩と思ったのだった。
損得でこの状況を捉えるべきではないんだろうけど、
島村はすごく徳をしていると思った。
1つの場面しか対面していないのに、
薄も萱もみることができたんだから。
物語はこう続いていた。
しかし近くに見る萱の猛々しさは、
遠い山に仰ぐ感傷の花とはまるでちがっていた。
大きい束はそれを背負う女達の姿をすっかり隠して、
坂路の両側の石崖にがさがさ鳴って行った。
逞しい穂であった。

萱でも薄でもないけど、秋はいつもと違うものを魅せてくれるのかもしれない
2013.10.7
汽車の窓の外にはお婆さんの身の丈の二倍はあるであろう穂をみて薄だと思ったそうだけど、
実際は萱だった。
こう描写されていた。
島村が汽車から降りて真先に目についたのは、
この山の白い花だった。
急斜面の山腹の頂上近く、一面に咲き乱れて銀色に光っている。
それは山に降りそそぐ秋の日光そのもののようで、
ああと彼の感情は染められたのだった。
それを白萩と思ったのだった。
損得でこの状況を捉えるべきではないんだろうけど、
島村はすごく徳をしていると思った。
1つの場面しか対面していないのに、
薄も萱もみることができたんだから。
物語はこう続いていた。
しかし近くに見る萱の猛々しさは、
遠い山に仰ぐ感傷の花とはまるでちがっていた。
大きい束はそれを背負う女達の姿をすっかり隠して、
坂路の両側の石崖にがさがさ鳴って行った。
逞しい穂であった。

萱でも薄でもないけど、秋はいつもと違うものを魅せてくれるのかもしれない
2013.10.7
三島さんの『不道徳教育講座』の中には、
上記の様な表題があった。
他にも、
「大いにウソをつくべし」「弱い者をいじめるべし」等々、
表題はあらゆる良識家というか、
世間では受け付けがたいものみたいだけれども、
西鶴さんの『本朝二十不幸』にならって、
逆説的に道徳とはなんだろうと考えるエッセー集になっていた。
タイトルの「喧嘩の自慢をすべし」では、
こんな内容があった。
およそ自慢のなかで、喧嘩自慢ほど罪のないものはない。
人をなぐったとか、鼻血を出してやったとか、
成行はたいてい決まっているが、
これは話題として最上のもので、
あらゆる自慢話のなかで、
臭味のない自慢話はこれだけしかない。
外国旅行の自慢は、外国へ行ったことのない人をひがませるだけだし、
器量自慢や女にもてた自慢は鼻持ちならないし、
知識の自慢はおよそ貧乏ったらしいし、
勤め先の会社や役所の自慢は奴隷根性だし、
仕事自慢は退屈だし、
家柄の自慢は時代おくれだし、中略
子ども自慢は聞き苦しいし、
ガマ蛙のような顔のおやじが「うちの娘、俺そっくりだろ」と
自慢するなど哀れを催すばかりだし、
自動車自慢は安っぽいし、
こちらが住むわけでもない家自慢はばかばかしいし、
女房自慢は阿呆らしいし、
・・・・およそ自慢は聴き手を閉口させるだけですが、
喧嘩自慢だけはさわやかなものであります。
中略
社会的良識が無条件でプラスとみとめている事柄の自慢は、
どうしてもいやらしさを免れません。
中略
喧嘩はつまらぬことに腹を立てることから発生して大事にいたるのが通例ですが、
人生上の事件には、そんなに動機の軽重はないのです。
腹を立てるべき十分の理由があって腹を立てる喧嘩というのは、
ドラマチックではあっても、喧嘩の純粋な非効率性は失われ、
人間の行為を論理で押し固めた人工的なものにしてしまいます。
そんな喧嘩の自慢はつまらない。
さて喧嘩といえば、兄弟喧嘩をはじめるとき、
必ず弟が出刃包丁を二本持ち出し、
一本を兄にとらせて、丁々発止喧嘩するという話を最近きいた。
てっきり十代の兄弟かと思っていたら、
兄が30歳、弟が28歳ときいて、さすがの私もあいた口がふさがりませんでした。

自己満足のブログを書くのも気力がいる
2013.10.6
上記の様な表題があった。
他にも、
「大いにウソをつくべし」「弱い者をいじめるべし」等々、
表題はあらゆる良識家というか、
世間では受け付けがたいものみたいだけれども、
西鶴さんの『本朝二十不幸』にならって、
逆説的に道徳とはなんだろうと考えるエッセー集になっていた。
タイトルの「喧嘩の自慢をすべし」では、
こんな内容があった。
およそ自慢のなかで、喧嘩自慢ほど罪のないものはない。
人をなぐったとか、鼻血を出してやったとか、
成行はたいてい決まっているが、
これは話題として最上のもので、
あらゆる自慢話のなかで、
臭味のない自慢話はこれだけしかない。
外国旅行の自慢は、外国へ行ったことのない人をひがませるだけだし、
器量自慢や女にもてた自慢は鼻持ちならないし、
知識の自慢はおよそ貧乏ったらしいし、
勤め先の会社や役所の自慢は奴隷根性だし、
仕事自慢は退屈だし、
家柄の自慢は時代おくれだし、中略
子ども自慢は聞き苦しいし、
ガマ蛙のような顔のおやじが「うちの娘、俺そっくりだろ」と
自慢するなど哀れを催すばかりだし、
自動車自慢は安っぽいし、
こちらが住むわけでもない家自慢はばかばかしいし、
女房自慢は阿呆らしいし、
・・・・およそ自慢は聴き手を閉口させるだけですが、
喧嘩自慢だけはさわやかなものであります。
中略
社会的良識が無条件でプラスとみとめている事柄の自慢は、
どうしてもいやらしさを免れません。
中略
喧嘩はつまらぬことに腹を立てることから発生して大事にいたるのが通例ですが、
人生上の事件には、そんなに動機の軽重はないのです。
腹を立てるべき十分の理由があって腹を立てる喧嘩というのは、
ドラマチックではあっても、喧嘩の純粋な非効率性は失われ、
人間の行為を論理で押し固めた人工的なものにしてしまいます。
そんな喧嘩の自慢はつまらない。
さて喧嘩といえば、兄弟喧嘩をはじめるとき、
必ず弟が出刃包丁を二本持ち出し、
一本を兄にとらせて、丁々発止喧嘩するという話を最近きいた。
てっきり十代の兄弟かと思っていたら、
兄が30歳、弟が28歳ときいて、さすがの私もあいた口がふさがりませんでした。

自己満足のブログを書くのも気力がいる
2013.10.6
『どん底』を読んでて、
おっさんになったらまた読みたいな、と思った箇所があった。
これまた40代のおっさんサーチンが、
例えば『カラマーゾフの兄弟』のゾシマ長老だとか、
『戦争と平和』のプラトン・カラターエフと比べられるらしい、
ゴーリキーの思想の代弁者とも言われるルカのおじさまから聞いた話を
誇らしく熱っぽく語っていた。
彼サーチンが人間はなんのために生きてるのかと聞いたそうで。
するとルカは、
そりゃお前さん――人間はよりよき者のために生きてるのさ!
中略
それがみんな――ちりあくたのような人間だ・・・
ところがその中から一人が生まれる・・・
それまでに見たこともないような、中略
彼が仕事に独特の新しい型を教える・・・・とその仕事が20年ぐらいの進歩をする。
ほかのことだってみんなこれとおなじさ・・・
錠前屋だって靴屋だって、そのほかの職人だって・・・百姓だって・・・
人間はだれでも、自分のために生きてるように考えているが、
実は、よりよきもののために生きてることになるのだよ!
まあ百年か・・・ひょっとするとそれ以上も、
中略
生きてる者はお前さん、みんな、よりよきもののために生きてるんだよ!
だからこそ、どんな人間でも、尊敬しなけりゃならんのさ・・・
だって、それがどういう人間で、なんのために生まれてきて、
何をしでかすことができるのか、
それは、わしらにはわかってないんだからね・・・・
ひょっとするとその人は、わしらを幸福にするために生まれて来たのかも知れないし・・・
また、わしらに大変な利益を与えるために生まれて来たのかもしれないからね!
・・・とりわけ、子どもというものは、尊敬しなくちゃならん・・・小さな子どもはな!
小さい子どもたちには――ひろびろとした自由というものが必要だ!
お互いに、子どもの生きる邪魔をしてはならん・・・
子どもは尊敬しなくちゃならん!
今受けてるような新鮮な気持ちがおっさんになってもまだあってほしいと思った。

おっさんになって彼は『どん底』を書いた
2013.10.3
おっさんになったらまた読みたいな、と思った箇所があった。
これまた40代のおっさんサーチンが、
例えば『カラマーゾフの兄弟』のゾシマ長老だとか、
『戦争と平和』のプラトン・カラターエフと比べられるらしい、
ゴーリキーの思想の代弁者とも言われるルカのおじさまから聞いた話を
誇らしく熱っぽく語っていた。
彼サーチンが人間はなんのために生きてるのかと聞いたそうで。
するとルカは、
そりゃお前さん――人間はよりよき者のために生きてるのさ!
中略
それがみんな――ちりあくたのような人間だ・・・
ところがその中から一人が生まれる・・・
それまでに見たこともないような、中略
彼が仕事に独特の新しい型を教える・・・・とその仕事が20年ぐらいの進歩をする。
ほかのことだってみんなこれとおなじさ・・・
錠前屋だって靴屋だって、そのほかの職人だって・・・百姓だって・・・
人間はだれでも、自分のために生きてるように考えているが、
実は、よりよきもののために生きてることになるのだよ!
まあ百年か・・・ひょっとするとそれ以上も、
中略
生きてる者はお前さん、みんな、よりよきもののために生きてるんだよ!
だからこそ、どんな人間でも、尊敬しなけりゃならんのさ・・・
だって、それがどういう人間で、なんのために生まれてきて、
何をしでかすことができるのか、
それは、わしらにはわかってないんだからね・・・・
ひょっとするとその人は、わしらを幸福にするために生まれて来たのかも知れないし・・・
また、わしらに大変な利益を与えるために生まれて来たのかもしれないからね!
・・・とりわけ、子どもというものは、尊敬しなくちゃならん・・・小さな子どもはな!
小さい子どもたちには――ひろびろとした自由というものが必要だ!
お互いに、子どもの生きる邪魔をしてはならん・・・
子どもは尊敬しなくちゃならん!
今受けてるような新鮮な気持ちがおっさんになってもまだあってほしいと思った。

おっさんになって彼は『どん底』を書いた
2013.10.3
ロシアの昔の人ゴーリキーの書いた『どん底』。
タイトルの通り、社会のどん底に生きるさまざまなタイプの人々を描いた四幕劇。
この作品でゴーリキーという名を不朽のものにしたんだとか。
登場人物の1人の40代の役者がこう言っていた。
教育なんて――くだらねえもんさ、大事なのは天才だ。
おれが知ってたある役者なんざ・・・
書きぬきを読むにも一字一字ひろって読むくらいだったが、
それでいて、主役が立派にこなせて――
小屋はいつも、見物の喝采でわれかえる騒ぎだったよ
中略
ところで、天才ってのは、自分を信じることなんだ、
自分の力を信じることなんだ・・・
また54歳の賃宿の亭主コストゥイリョフは、
冗談なもんだな・・・いったい親切がなんてものが金で買えるとでも思ってるのかね?
親切――ってものはな、どんな宝よりも尊いものなんだ。
そして40代のサーチンは、
仕事が楽しみなら、人生は極楽だ!
仕事が義務なら、人生は地獄だ!
おい、サルダナパール!(アッシリア王の名、役者をみながら)
そろそろ行こうぜ。
等々、生活からの言葉を発していた。
最終学歴小学校5ヶ月の作者は、
過程の不遇から10歳になる前から働いている。
町のくず拾い、靴屋の小僧、製図製の徒弟、ウォルガがよいの船のコックの見習い、
聖像絵師の下職、パン工場の職人、荷揚げ人足、番人、放浪者等々、、、
ただ、なんだろう。
どん底の渦中にいる彼らの言葉は後ろ向きではなかった様な気がする。
言葉を借りることしかできないぐらい難しい内容でもあったし、
まだ読み込めないんだろうと読み終わって更に感じた。

以前いつも読書しているマックに昨日クビになったという男性がいた
彼はいろんな人に電話をかけて、
その度にさよならと言っていた
ポルシェをもっているらしい彼は身なりを綺麗にしていた
客観的に観察している自分が嫌になった
自分がそんな境遇じゃないから彼と自分を比べていたんだろうか
そんな彼をまた同じマックで見かけた
なんだかほっとした自分がいた
2013.10.2
タイトルの通り、社会のどん底に生きるさまざまなタイプの人々を描いた四幕劇。
この作品でゴーリキーという名を不朽のものにしたんだとか。
登場人物の1人の40代の役者がこう言っていた。
教育なんて――くだらねえもんさ、大事なのは天才だ。
おれが知ってたある役者なんざ・・・
書きぬきを読むにも一字一字ひろって読むくらいだったが、
それでいて、主役が立派にこなせて――
小屋はいつも、見物の喝采でわれかえる騒ぎだったよ
中略
ところで、天才ってのは、自分を信じることなんだ、
自分の力を信じることなんだ・・・
また54歳の賃宿の亭主コストゥイリョフは、
冗談なもんだな・・・いったい親切がなんてものが金で買えるとでも思ってるのかね?
親切――ってものはな、どんな宝よりも尊いものなんだ。
そして40代のサーチンは、
仕事が楽しみなら、人生は極楽だ!
仕事が義務なら、人生は地獄だ!
おい、サルダナパール!(アッシリア王の名、役者をみながら)
そろそろ行こうぜ。
等々、生活からの言葉を発していた。
最終学歴小学校5ヶ月の作者は、
過程の不遇から10歳になる前から働いている。
町のくず拾い、靴屋の小僧、製図製の徒弟、ウォルガがよいの船のコックの見習い、
聖像絵師の下職、パン工場の職人、荷揚げ人足、番人、放浪者等々、、、
ただ、なんだろう。
どん底の渦中にいる彼らの言葉は後ろ向きではなかった様な気がする。
言葉を借りることしかできないぐらい難しい内容でもあったし、
まだ読み込めないんだろうと読み終わって更に感じた。

以前いつも読書しているマックに昨日クビになったという男性がいた
彼はいろんな人に電話をかけて、
その度にさよならと言っていた
ポルシェをもっているらしい彼は身なりを綺麗にしていた
客観的に観察している自分が嫌になった
自分がそんな境遇じゃないから彼と自分を比べていたんだろうか
そんな彼をまた同じマックで見かけた
なんだかほっとした自分がいた
2013.10.2
三島由紀夫の『青の時代』では、
自己反省癖と自意識過剰の凄まじい青春を過ごす主人公の誠にこう言わせていた。
彼は文学を教養として読んでいたが、漱石と藤村とジイドとヴァレリイとシェークスピアと
バイロンとゲーテとハイネとの佃煮からどういう栄養がとれるかには無関心であった。
あらゆる絵の具を混和すればパレットは真黒にしか彩られない。
教養とは何か真黒けなものであろうか。
それならいっそ真白のほうがましではあるまいか。
そういってしまえば身も蓋もないので、
誠には先天的に文学がよくわからなかったのだというほうが当を得ている。
そしてこれこそは小説の主人公たりうる第一条件なのである。
教養の代表と称されるような人たちを並べて、
真っ向からシニシズムを描いているような箇所に感じるけれども、
彼は冒頭でこういう小説を書きたいと言っていた。
何が知性なんだろう
何を読んだ何を知っているとかを露呈するぐらいなら、
文字ばかり追いかけているなら、
いっそ彼みたいに割り切ったほうが清々しいんだろうか。
いや結末を読んだら、
何だか少しはその佃煮を噛み砕いて味わったほうがいいような気がした。
それもまた三島さんが味わったもんなのかな。
ちょうど旨いそれを口に頬張っていたのかも。

魚は魚でも佃煮にすべき魚とそうでない魚があるんだろう
2013.9.30
自己反省癖と自意識過剰の凄まじい青春を過ごす主人公の誠にこう言わせていた。
彼は文学を教養として読んでいたが、漱石と藤村とジイドとヴァレリイとシェークスピアと
バイロンとゲーテとハイネとの佃煮からどういう栄養がとれるかには無関心であった。
あらゆる絵の具を混和すればパレットは真黒にしか彩られない。
教養とは何か真黒けなものであろうか。
それならいっそ真白のほうがましではあるまいか。
そういってしまえば身も蓋もないので、
誠には先天的に文学がよくわからなかったのだというほうが当を得ている。
そしてこれこそは小説の主人公たりうる第一条件なのである。
教養の代表と称されるような人たちを並べて、
真っ向からシニシズムを描いているような箇所に感じるけれども、
彼は冒頭でこういう小説を書きたいと言っていた。
何が知性なんだろう
何を読んだ何を知っているとかを露呈するぐらいなら、
文字ばかり追いかけているなら、
いっそ彼みたいに割り切ったほうが清々しいんだろうか。
いや結末を読んだら、
何だか少しはその佃煮を噛み砕いて味わったほうがいいような気がした。
それもまた三島さんが味わったもんなのかな。
ちょうど旨いそれを口に頬張っていたのかも。

魚は魚でも佃煮にすべき魚とそうでない魚があるんだろう
2013.9.30
この国では木の葉が落ちて風が冷たくなるころ、寒々と曇り日が続く。
雪催いである。
遠近の高い山が白くなる。
これを岳廻りという。
また海のあるところは海が鳴り、
山の深いところは山が鳴る。
遠雷のようである。
これを胴鳴りという。
岳廻りを見、胴鳴りを聞いて、雪が遠くないことを知る。
主人公の島村は、こんな文章をかつて読んだことをふと思い出した。
『雪国』には、冬だとか雪だとか寒さだとか、
そういった読み手にもなんだかその冷たい何かが伝わってくる描写が多かった。
例えるならなんも読み飛ばしてしまったから覚えてないけど、
いつか自分が幼い頃過ごしていた北海道のあのトマムの寒さを、
まだこの毛先が覚えているんだということを知ったし、
冬の休日まだ布団に入っている自分らを見ながら、
換気だと言って存分に冷え切った外気を取り入れながら掃除する母の姿も思い出した。
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
という冒頭はあまりにも有名で、
日本語の美しさの代表のような立ち振る舞いだけれども、
ほかにもっといい表現があるんじゃないかと意地汚い心を前面に押し出しながら読んでいたら、
結構あった。
芸者の駒子やほかに出て来る女性たちの声を
悲しくも美しい声、
と何度も表現していて、
きっとこの川端さんの聴覚的世界なんだろうけど、
なんだか川端さんにしか聴こえない声なんだろうし、
そして自分もそんな声を予期せぬ時には聴いているのかもしれないと思った。
生きることに切羽詰っている女とそれと対面しようにも対面できない男の物語みたいだけど、
解説には、
初歩の読者はそこに特有の難解さを感ずるであろうし、
進んだ読者は自己の人間観の汚れを残酷に突きつけられる、
とあった。
あまりにも澄み切った心を保った言葉のやり取りは、
確かに自己反省を自然と促されるし、
かといって抽象的な描写には脚注がないとどうしても読み進められない。
なんにせよ、
この本はもうちょっと年老いてからもう一度手に取るのかな。
そうしたらまだ分かることが多いのかもしれない。

駒子は16歳か17歳から日記をつけていて、
それも色んな読書日記をつけていた
誰が登場してどういう内容だったかというもの。
また日記を書こうと思った
2013.9.29
雪催いである。
遠近の高い山が白くなる。
これを岳廻りという。
また海のあるところは海が鳴り、
山の深いところは山が鳴る。
遠雷のようである。
これを胴鳴りという。
岳廻りを見、胴鳴りを聞いて、雪が遠くないことを知る。
主人公の島村は、こんな文章をかつて読んだことをふと思い出した。
『雪国』には、冬だとか雪だとか寒さだとか、
そういった読み手にもなんだかその冷たい何かが伝わってくる描写が多かった。
例えるならなんも読み飛ばしてしまったから覚えてないけど、
いつか自分が幼い頃過ごしていた北海道のあのトマムの寒さを、
まだこの毛先が覚えているんだということを知ったし、
冬の休日まだ布団に入っている自分らを見ながら、
換気だと言って存分に冷え切った外気を取り入れながら掃除する母の姿も思い出した。
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
という冒頭はあまりにも有名で、
日本語の美しさの代表のような立ち振る舞いだけれども、
ほかにもっといい表現があるんじゃないかと意地汚い心を前面に押し出しながら読んでいたら、
結構あった。
芸者の駒子やほかに出て来る女性たちの声を
悲しくも美しい声、
と何度も表現していて、
きっとこの川端さんの聴覚的世界なんだろうけど、
なんだか川端さんにしか聴こえない声なんだろうし、
そして自分もそんな声を予期せぬ時には聴いているのかもしれないと思った。
生きることに切羽詰っている女とそれと対面しようにも対面できない男の物語みたいだけど、
解説には、
初歩の読者はそこに特有の難解さを感ずるであろうし、
進んだ読者は自己の人間観の汚れを残酷に突きつけられる、
とあった。
あまりにも澄み切った心を保った言葉のやり取りは、
確かに自己反省を自然と促されるし、
かといって抽象的な描写には脚注がないとどうしても読み進められない。
なんにせよ、
この本はもうちょっと年老いてからもう一度手に取るのかな。
そうしたらまだ分かることが多いのかもしれない。

駒子は16歳か17歳から日記をつけていて、
それも色んな読書日記をつけていた
誰が登場してどういう内容だったかというもの。
また日記を書こうと思った
2013.9.29
中国の故事に助長という言葉があるそうで。
自分はなんだかこの言葉が好きだし、
それというのはなんだかしっくりくる言葉だからなような気がする。
よさだと思ってあえて引っ張るおとなは多いし、
自分もその1人だろう。
ただこの言葉を思い出すとき、
そうはなりたくないとも今再び考えさせられる。
もうおとなへの階段を着実に登り始めている時分に、
懐の深い、そして知性と経験を積んだよきおとなとはなんだろうと思うこのごろ。
人情の機微とか、挫折を知ってるだとか、
そういう雑学と言っていいのか分からないけど、
そういうものに長けているおとなになりたいなと秋の訪れを感じて思った。

心根なんてそんな簡単には育たないだろうし、
これで育つというならそれは一時的な曖昧なものになるのかとおもう。
ああ、いい人に出会うことは心根のいちばんの栄養なんじゃないかと、
ここにくると思い出す。
2013.9.27
自分はなんだかこの言葉が好きだし、
それというのはなんだかしっくりくる言葉だからなような気がする。
よさだと思ってあえて引っ張るおとなは多いし、
自分もその1人だろう。
ただこの言葉を思い出すとき、
そうはなりたくないとも今再び考えさせられる。
もうおとなへの階段を着実に登り始めている時分に、
懐の深い、そして知性と経験を積んだよきおとなとはなんだろうと思うこのごろ。
人情の機微とか、挫折を知ってるだとか、
そういう雑学と言っていいのか分からないけど、
そういうものに長けているおとなになりたいなと秋の訪れを感じて思った。

心根なんてそんな簡単には育たないだろうし、
これで育つというならそれは一時的な曖昧なものになるのかとおもう。
ああ、いい人に出会うことは心根のいちばんの栄養なんじゃないかと、
ここにくると思い出す。
2013.9.27
凌ぐというのを調べてみると、
1 押し分けて前に進む。乗り越えて進む。「波濤(はとう)を―・いで行く」
2 困難や苦境などにじっと堪えて、なんとか切り抜ける。辛抱して乗り越える。また、防いで、堪え忍ぶ。「飢えを―・ぐ」「ピンチを―・ぐ」「風雨を―・ぐ」「日本の夏は―・ぎにくい」
3 人を侮る。
「何処(どこ)までも人を―・いだ仕打な薬売は」〈鏡花・高野聖〉
4 能力・程度などが他のものを追い抜いて上に出る。他よりまさる。「壮者を―・ぐ元気」「前作を―・ぐ傑作」「山頂雲を―・ぐ」
5 押し伏せる。おおいかぶさる。
「高山の菅の葉―・ぎ降る雪の消ぬとか言はも恋の繁けく」
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/99620/m0u/
と。
意味の通り見た目ばかりが荒々しくインパクトのある言葉のように感じるけれども、
凌ぐ背景には実はそれ以上の意味があるように感じられた。
静かに凌ぐともし使えるなら、
どんな場面であっても静かに凌げる余裕がほしい。
凌ぐだけでは見逃してしまいそうな、
大事な何かを静かに凌ぐことで見失わないでいられるだろうから。

山だって動きたい時もあるだろうから何とも言えないけど、
吉川栄治の『宮本武蔵』には富士を仰ぎながら、
あれになろう、これになろうと思うよりも、
ああやって不動になれと言っていたシーンがあったような。
2013.9.25
1 押し分けて前に進む。乗り越えて進む。「波濤(はとう)を―・いで行く」
2 困難や苦境などにじっと堪えて、なんとか切り抜ける。辛抱して乗り越える。また、防いで、堪え忍ぶ。「飢えを―・ぐ」「ピンチを―・ぐ」「風雨を―・ぐ」「日本の夏は―・ぎにくい」
3 人を侮る。
「何処(どこ)までも人を―・いだ仕打な薬売は」〈鏡花・高野聖〉
4 能力・程度などが他のものを追い抜いて上に出る。他よりまさる。「壮者を―・ぐ元気」「前作を―・ぐ傑作」「山頂雲を―・ぐ」
5 押し伏せる。おおいかぶさる。
「高山の菅の葉―・ぎ降る雪の消ぬとか言はも恋の繁けく」
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/99620/m0u/
と。
意味の通り見た目ばかりが荒々しくインパクトのある言葉のように感じるけれども、
凌ぐ背景には実はそれ以上の意味があるように感じられた。
静かに凌ぐともし使えるなら、
どんな場面であっても静かに凌げる余裕がほしい。
凌ぐだけでは見逃してしまいそうな、
大事な何かを静かに凌ぐことで見失わないでいられるだろうから。

山だって動きたい時もあるだろうから何とも言えないけど、
吉川栄治の『宮本武蔵』には富士を仰ぎながら、
あれになろう、これになろうと思うよりも、
ああやって不動になれと言っていたシーンがあったような。
2013.9.25

