今年も山伏修行を終えて | 【広島】樹々と光の自然サロン 占いと風水とアロマ〈自分トリセツ占い/インテリア風水〉自然豊かな癒しのサロン
あっという間に毎日が過ぎていき
なかなかブログも更新できていませんが
4月の後半
20.21.22日の3日間で
今年も山伏修行に行ってまいりました
昨年に続いて2回目の私
実は、昨年末から
原因不明の股関節の痛みで
ずっと治療に通っており
普通に歩行するのも
困難だったりしたときもあったので
3日間、弥山の山を歩き続ける修行は
行く前まで
とても不安だったのです
でもね
山伏の
「うけたもう」
の精神で
できるか、できないかは
やってみて結論を出せばいい
※山伏の修行中は、基本しゃべってはいけなくて
「うけたもう」の返事しかしてはいけないの。
何でも受けてみて、経験してみて
それではじめて人生は答えがでるんだよ
という精神なのです
山形の出羽三山羽黒山伏の
星野先達と
弥山のお山にすべて委ねようって
覚悟を決めての参加でした
※出発前で、ちょっと緊張気味で気合の入っている私
当日は、お天気もよくて
暑いくらい
※修行の間は、スマホや時計やカメラなど
一切持たないのですが
岡山の山伏、三浦さんがみんなのサポートとしても
撮影隊としても今回も皆を撮影してくださいました
昨年はとにかくしんどくて
目の前の一歩のことしか
考えられないくらいだったので
今年も、また同じ経験を
すると思っていた私。
弥山の山を歩き
祈り続け
でも、今年は
何ひとつ、しんどくない
「私、もしや
ミラクルなカラダを手に入れたの??」
というくらい
あんなに不安に思っていたのに
修行が始まると
嘘みたいに身体が軽いのなんの
どんな原生林の急な上りの山道でも
一度も息切れすることもなく
むしろ
もう一歩一歩が楽しくて
浮足立ちそうなほどの
ワクワクでした
昨年の修行から
特別なトレーニングをしたわけでもなく
やっていることは同じなのに
いや、肉体的には
昨年よりもしんどいはずなのに
こうも違うなんて
本当にびっくりでした
なぜ?????と、思ったら
修行に参加することを、覚悟してからは
なんの恐れもなく
ただ、ひたすら
無になり
委ねることができたから
昨年の
修行の終わったあとの気持ちよさや
喜び、感動の思い出に
目の前のしんどさよりも
魂だけが
先に動いて
その素晴らしさを感じられていた気がします
人は
不安な妄想や恐れほど
心も体も疲れさせてしまうものはないのだね
そんなものは
本当に必要ないんだね
今となって思えば
昨年は
「何も考えないようにしよう」
「無にならなきゃ」
って、きっとそれを
考えていたのだと思います
1日目、山頂に登ったころ
見事なまでの沈みゆく太陽を見て
モロッコで見た太陽を思い出し
当たり前なんだけど
「あ~、世界ってひとつなんだな・・・」
って
その美しさにボロボロと涙が出てきました
山頂から見下ろす
瀬戸内の海と、原生林を見ながら
「私、空を飛べるかも」
と思ったほど
3歳のころ
「私、きっと空を飛べるはず」
と思った私は
自宅の2階の階段の上から
エイっと飛び降りたことがあって
偶然下で掃除機をかけていた母が
びっくりして、ものすごい勢いで
全身で受け止めてくれたおかげで
たいした怪我もせず
無事でいられたことがあったのだけど
そのときのことを
何十年ぶりかに思い出したくらい
「私、飛べるかも
」
って思ったのです
3歳のころの自分に戻れたように
魂がキラキラした瞬間でした
山伏修行と
普通の山登りは
何が違うかというと
そこに祈りがあるかどうか
自然に感謝し
他者のために祈る
インテリア風水の講座でも
お伝えするのですが
お掃除するときの
単なる拭く作業も
そこに気持ちが入ることによって
「磨く」という作業に変わるのです。
それによって
ピカピカになるのです。
きっと修行も同じ。
「祈る」という気持ちが入ることで
魂が磨かれるのだと思う
2日目の海での禊は
まだ冷たい水ではありましたが
私にとっては
ご褒美でしかない
ひたすら歩き続けて
自分を支えてくれている足が
海の中では
浮力で軽くなり
熱を持つ関節や体を
冷やしてくれるのですから。
最終日は
弥山の大聖院で護摩行をし
そのあと、火渡りをして
生まれ変わる
むっちゃ張り切って高く飛ぼうとしたら
着地したときは
空を飛べるどころか
現実の51歳の足腰で
派手に転んでしまいました笑
すべての修行が終わって
皆と記念撮影
今年の一緒に修行した女子たちもキラキラです
星野先達が、以前
「生きることも日常
死ぬことも日常
人は、何かを特別に考えすぎるんだよ」
と言われたことがありましたが
私にとって
もはや修行は
特別なものではなく
日常と同じものなのだと
改めて感じ、
とても嬉しくなりました
修行を1度やっただけでは
「知っている」のと同じであり
「している」わけではない。
あ~・・・
修行って、やりつづけることが
大切なんだ
そう思いました
まだ二度しか体験してない私が
偉そうに語ることでもないのですが
それでも感じることは違う
修行を重ねるにつれて
きっと
もっと
違うかもしれないし
反対に
特別なことではなく
淡々と日常と変わらないかもしれません
それも
やってみなければ
わからないこと
人は、知らないうちに
人生で
重い荷物を勝手に背負ってしまい
いつのまにか
それがどうにもならないものになっている
ツラくてツラくて
へとへとになってしまう
でも
修行し続けることで
ひとつ
ひとつ
その荷物を
降ろしていける気がします
きっと
それが魂が磨かれる
と言うことなのかもしれない
だからこそ
生涯、修行をし続けている星野先達は
いくつになられても
こんなにも
キラキラ素敵な人なのだと思うのです
そう言いながら
来年の弥山修行の日には
すでにインテリア風水の
講演会のお仕事のオファーをいただいており
参加できないのですが
でも、来年は山形のほうへ
山伏修行に行けたらと思っています
そして
再来年には、また弥山修行に戻ってこよう
広島の人間として
弥山に祈り続け、守っていく
ということは
とても大切
言葉にすることで
実現するから
本当に、素晴らしい
3日間でした
そして
弥山での山伏修行が、できるのも
広島の山伏さんの国好さん
そして、河野さん、山下さんたちが
ずっと準備をしてくださった
おかげです
そして、岡山の三浦さん
山形から先達とご一緒にこられた
聖さんのおふたりが
いつも皆を後ろから見守って
サポートしてくださいました
本当に本当に
感謝です