こんにちは✨
今日は父の在宅介護の際に
自分のバランスをとるために
していたことを書こうと思います
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今回、父の在宅介護がヒト月延びまして
最終のヒト月が、ショートステイなしのヒト月だったもんだから
ヘロヘロ。。。
でも、その最中に、たまに土いじりをして、
キュウリやトマトを作り、
草を抜いたりしていると
カラダに溜まった疲れとか、静電気とか色々と
抜けていくようで心地よく(ただ、暑いのが難点
)、
何とか無事に父の入所日に
こぎ着けることが出来ました。
やっぱり、自然
アスファルトではなく、
土がいいんだ。と思いました。
アスファルトは人が考えた知恵。
わたしたち人間は恩恵は受けているけれど、
地面が呼吸できてないんだな…と思う今日この頃。
そして、最近思ったことの1つに、
草抜きってそんな意地になってするものでもないなぁと。
ここ最近雨が降っていなくて。
だからこそ、草抜きやすいわ~と思っていた。
キュウリやトマトを植えているところは、
結構な草ボーボー地帯で💦
草抜かなきゃ‼️と思い抜いていたけど、
雨全然降ってないのに、土湿ってるわと。
この雨の少ない時は無理に抜かなくても、
最低限で良いのでは?!と思いました。
そう思ったら、
何かそこは、もう豊かな森でしかなくて。
(個人的に自分が小さくなった氣分で書いている)
色んな意味で豊かだったんだわと。
わたしは、そこにある自然の生態系を
自ら潰そうとしていたんだと思いました
(土が干からびたら、植物は生きていけないので。。。)
何事も極に寄りすぎるのは危険なのだと、
思いました。
(こりゃきっと、すべてにおいてに言えることだわ)
道理にかなうか、かなわないかは、
人に教えてもらうよりも、
自分で體感するのが一番よくわかるのだなと思いました。
↓追記
※今年はキュウリが鈴なりで
そして、今は亡き祖父が、今から10年以上前に
植えたイチジクが鈴なりに実をつけ、
先日、初めて1つ収穫出来たので、
仏壇にお供えした後、
母と半分こしていただきました
とても美味しかったです
(キュウリを植えている直ぐそばは、
草は抜いているけれど、周りにはえている草は
土が隠れるくらいは放置。
イチジクの木の下には、
いつの間にか、アヤメの葉っぱとともに
草もはえているけれど、見た目小綺麗には
するけれど、そのまま放置。
雨がたくさん降ってきたら、群れ予防と、
虫予防や病氣予防のため
風通しだけは、よくしてあげようと
考え中(自己流
)
天の恵み
大地の恵み
大地の微生物ちゃんたちの働きと
受粉させてくれる虫たちのおかげだなと
せっせと水やりをして、
いただける実は美味しく、
ありがたさで満たされる。
人は食べないと生きてはいけない。
生きることに直結するから、
自然の中の循環を尊び、
その循環に潤いを感じ、
ありがたいという氣持ちに満たされる
のだとも思う。
昔の人は、こうして自然に近かったから、
いつも感謝とともに生きてきたのだろうなと思う
今日この頃。)
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今日もこうして目を通してくださった皆さん、
ありがとうございます