はい。


限定とは、ラーブーな、そういうシーン、です。



「いとしき日々よ」はひたすらまーくんとにのちゃんのヤリたい盛りに任せていたし、「ギバーノココロエ」もお互いのすれ違いはカラダで埋めた節があります。


それには、理由があるのです。



BLを好む理由、ってところの根幹にかかわるハナシ。




結論から言うと「純粋な愛」だから、です。


ではなぜ、それを「純粋」と感じたか。


注意ここからはめんどーな自分語りです。





話は高校生の頃に遡ります。
確か、小論文の練習のためだったと記憶しているのだけど。
練習だからテーマは何でもよくて。
「同性愛」について書いたんだよね。

そのころは「BL」とか「腐女子」のカルチャーは今ほど市民権はない。ひみつの花園。「百合」についてはむしろ根強いていたかも。
カテゴリだってその時代でいえばBLなんて言わない「やおい」。
興味ない人は意味どころか、言葉さえ知らなかっただろうね。


じゃあなんで私がそれをテーマにできたかというと。


HIVポジティブの方のノンフィクション小説を読んだことから端を発して、発生源、感染経路から男性の同性愛者に感染者が多いとか、だからの偏見とか、宗教上のタブーのことだとか、そういうことをちょっと調べたことがあったのさ。

んで。

思考の枝葉を拾っては捨て、を繰り返しているうちに「同性愛者は、ヒトとしても、社会的にも、進化した人間」って説が私の中に生まれまして。

そもそも性交って、子孫を残す、生殖を目的とした行為。
性器に触れること自体が目的なのって、人間とボノボくらい。
(・・・だったはず。もっと厳密に調べたら情報はあるかもだけど、現時点で、私にはそれ以外の例が確認できてません)

性交には快楽を伴う「イク」という文字通りの辿り着くべき到達点があって。本来それは、男性は精子の排出、女性は体内のPHを変化させて精子が卵子に到達しやすくするための状態にすること。

少なくとも、異性でそれを行えば、子孫を残す可能性がある。精子と卵子が出会えばそれはいずれ起こるべくして起こる生命の神秘。「利己的遺伝子」の目的をかなえるため、また、その奇跡を起こさせる可能性を高めるため、人間にとっては生殖行為を快楽と認識させた。いっぱいやっちゃってくださーい、ってね。苦痛な行為だったら誰もしたがらない、滅びますから・・・。

まあ、
っていう前提があって。



じゃあ、同性同士、ホモセクシュアル、つまり、子孫を残す目的ではない性交ってなんのため?


って考えたら、それはもう、高度な社会性からうまれる感情表現。



そして、もしかしたら人口調整のために、遺伝子の複製をストップさせる進化の一手なのでは?


という、仮説。


さらに、性交が快楽であることをちゃんと覚えておかないと、いざ遺伝子の複製が必要になった時に再開できなくなったら困る。だからミームとして受け継ぐべく、子孫を残さない「ホモセクシュアル」という様態で保存したのではないか、と。

日本の社会として、一夫一婦制だし、結婚は異性同士でしか想定されてないし、家長制度の歴史から「家」ってモノがやっぱり子孫を残させたがる。今どきは変わってきているけど、それでも「できちゃった結婚」って言葉が表すように、こどもができたら結婚するって発想があるし、それは異性間でしか起こりえないことだったりする。



じゃあ、同性同士で家族になりたかったらどうしたらいい?
・・・って。

まだまだ考えなきゃいけないことがたくさん。


でもそういうことを考えた上でたどり着いた、わたしがラブシーンを書く理由は、いたってシンプル。



「子孫を残さないのにセックスをする理由は遺伝子の目論見を無視した快楽主義、そうでなければ愛」

「愛であるならば『愛してるから身も心もつながりたい』以外に理由がない」



そこに、「純粋さ」を感じたわけです。



このあたりの思想にもとづいた「生涯の伴侶」っていう想いは「Hit me!」の根底にあります。




そんなわけで、私の書くBLにはそういうシーンがかなり大事なんです。だから、濃いめに書きます。

だけど、マンガのように視覚に訴えることができないので、あれよあれよという間に、どんどんながーくなってしまうわけです。


胸焼けしちゃう方は回避してくださいね真顔ダッシュ