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江川家の想い出

江川家家族の思い出をアルバム風に綴ります。

生徒たちの大半はどうやって受験校を決めるのかというと、担任の先生が決めてしまうことが多かった。もちろん本人の希望があれば合格できそうだったらその高校になるが・・・。

 

Yさんの希望は京都女子高校だった。彼女の大阪五ツ木の偏差値は中3、9月の時点で52~54、京女に合格しようと思えば1類で64くらい、2類だと72くらいが必要だった。

 

地元の公立高校には行く気はまったくなかった。京女に落ちた時のために入試日が異なるKNを併願で受けるように薦めた。担任はKNを受けるなら京女に挑戦していいということになった。

 

偏差値は社会が45くらい、他はすべて50以上だった。5教科の通知表はオール5。2学期の中間テストが終わって、京女とKNの赤本を買ってきてもらった。

 

11月になった。宿題にして赤本をやってきてもらった。京女に対しては合格最低点のマイナス60点、KNに対してはマイナス10点。これならKNは合格確実だろう。京女も合格可能な点数だと思った。入試まで残り3ヶ月ちょい。

 

(つづく)

海星学院 塾長 江川進二

受験学年の中学3年になった。

 

数学はお盆前までにすべてが終わる。英語もお盆前。理科は7月中に終わる。社会は8月いっぱいまでかかった。

 

Yさんはとても頑張る子になった。勉強の苦手な子にやさしく気軽に教えてくれた。

 

夏休みは朝9時から夕方4時半までが中3の授業。全科目私一人で教えていた。土日は休みだが、金曜日になると決まって喉がらがら、声がかすれた。

 

夏休みの最終日に志望校アンケートをした。当時は生徒保護者向け説明会など皆無で、受験当日まで学校を見に行く機会はなかった。学校から塾に何も送られてこない。中学校で一枚のリーフレットが配られるだけだった。インターネットはあったが、スマホはない。公立も私立も学校のHPなんぞない時代。だから選ぶ方法は中学校で配られるリーフレットだけだった。公立高校は学校案内がなかった。

 

 生徒たちが書く志望校は京都女子・洛南・立命館・同社などなど、全員他の学校名をしらなかった。

 

(つづく)

 

お父様が夜逃げして1年以上が経った。ボストンバッグも貯金通帳も家からなくなっていたそうだ。

 

Yさんは相変わらず勉強を頑張っていた。中2の2月。全員に五ツ木の模擬テストを受けさせた。全員初めて受ける模擬テストだから偏差値50を越えるのは数人しかいない。

 

Yさんは偏差値48くらい。当時、五ツ木の模擬テストを受けるのは勉強のできる子に限られていたし、まして中2だからさらにできる子しか受けない。まあ予想通り。しかし、塾生たちは相当ショックだったみたい。志望校判定は軒並みE判定。

 

志望校は全員まだ決まっていない。だから志望校として記入するのは知っている名前の学校しかない。

 

当時、受験できる公立高校は八幡高校のみ。八幡市内の中学生が通える公立は八幡高校しかなかったから、勉強のできる子はほとんどが私立高校を第一志望としていた。

 

塾ではスピードアップして、夏休み中に中3内容を終わらせ、2学期からは偏差値を上げるための受験勉強をやらせていた。いまの中学生より、はるかに宿題は多いし毎週5科目ともテストがあるし、レベルも高かった。私立高校は合格するための倍率3倍 前後あった。ほとんどが専願受験だった。

 

そして中学3年生が始まった。