実在と実存 3  無明によりて行がある・・・ | たこなぐりの宗教ブログ

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宗教の古典の紹介
この世での生活状況

比丘たちよ、無明によりて行があるのだ。

この世の生存は苦なのだ。

 

 般若心経は空だけを説きました。もっと虚しいのは、四諦の法門です。この世は生老病死の四苦があり、苦しいのです。これもVRを説こうとしていたのにすぎません。
「この世はみな生老病死で消えていってしまうのです。宇宙は成住壊空です。すべてのものはバーチャルなんだよ」と言ってもわからないから、まず、一つ一つ考えさせたのです。「生あるものは必ず死す」どのような意味でしょう。生ある者は必ず老いて、最後は病気になって死ぬのです。人生は虚しいのです。これも言ってみるとバーチャルを説いているのです。

 

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人はどこから来て、どこへ往くのか。

鎌倉仏教の始祖たちも悩んだだろうが。

明確に解答は書いてあるのか。

 

念仏宗

極楽浄土があるというのは信仰の世界であって。

親鸞も弟子といっしょにゴチャゴチャ悩んでいる。

あんたの弟子筋が戦国大名を悩ませるのよ。

徳川の時代になって、幕府政治の下に宗教が置かれた。

戸籍の管理や死亡・出生届

 


説き方が実際の実相を明らかにしているのです。それを進んでくると竜樹が空と言い出したのです。「すべてはバーチャルである」と思えばよいのです。なるほど、空をそのように説いたのです。今の人にはバーチャルだと言ったほうがわかりやすいのです。
では、バーチャルだということは、何もないのでしょうか。バーチャルの奥に本当にあるものとは何でしょう。それは一念心です。一念心が三千です。三千は実数です。その中で感じているものは三千であり、出てくるものは一念であり、それに三千が出てきていると説いたから、天台大師はすごいのです。
三千が実存です。犬も猫も馬も人間も三千という数が大宇宙の根本にあり、それから出てくる一念です。それが人間なら人間の人生を歩むのです。馬も三千、人間も三千です。馬になると馬しかわかりません。人間になると三千の部分がすべて出てくるのです。そのような違いがあります。できている本体は三千に違いありません。
お釈迦様の法華経はもっと詳しくつくられたのです。三千のことを妙法といったのです。不思議な法です。三千があり、出てくるのは一念心です。宇宙には、実存しかないのです。
 これを天台大師は一念三千といい、法華経の中心は妙法蓮華経です。妙法蓮華経は一念三千のことを言っているのです。これから出てくるのです。日蓮様は、もっと法門を深められて、「南無妙法蓮華経」と言われたのです。ここでは説明はしません。
 仏教の流れはそのようになっています。まず、人生を見てください。有る時は楽しみ、有る時は苦しみ、有る時は悲しみ、有る時は希望に燃え、有る時は落胆して人生を送っています。生まれた者は必ず死に、生ある者は必ず老いて、最後は死ぬのです。この生老病死の中に人間は生きています。
 人間は錯覚して「ここに楽しみがある」「ここにグルメがある」と楽しみを追い求めて生きているのです。人生は泡のようなものであり、この楽しみを得て、 この楽しみがなくなり、次の楽しみを得て、泡のように次から次へといろいろな楽しみを求めていきますが、それは泡のようなものでつかむことはできません。
 自分が何をやっているのかもわかりません。一生を送って死に、また次の泡になるだけの人生です。それをお釈迦様は最初に教えられたのです。「生まれたものは必ず老いて、病になり死ぬのだ」それがわかるならば、この虚しい人生にしがみついて、それを「現実」と錯覚して命を賭けて戦ったり、殺し合ったり、奪いあったり、愚かなことをするはずがありません。