仏説観無量寿経 3  正定、釈迦の瞑想指導 [夕日の観法] | たこなぐりの宗教ブログ

たこなぐりの宗教ブログ

宗教の古典の紹介
この世での生活状況

阿難よ、そなたはこれから私が説く教えを忘れずに心にとどめ、多くの人々に説きひろめるがよい。

*
如来の説く教えをひろめるのが、菩薩の役割
『パウロ(親鸞)よ、そなたはこれから私(イエス、釈迦)が説く教えを忘れずに心にとどめ、多くの人々に説きひろめるがよい。』

イスラム教では
アラーが「コーランを読誦して信ぜよ」と直接言っている。
伝道について、なんと言っていたか忘れた。
唯一絶対神の自信
わざわざ伝道することもないらしい。

アラーを信じないのは、人間ではない。
預言者マホメットと天使と来世も
彼らから見たら、日本人は人間ではないのか。


さらに釈尊はイダイケに仰せになった。
「 そなたは愚かな人間で、力が劣っており、まだ天眼通を得ていないから、はるか遠くを見とおすことができない。しかし仏には特別な手だてがあって、そなたにも極楽世界を見させることができるのである 」

 そのときイダイケが釈尊に申しあげた。
  「 世尊、私は今、仏のお力によってその世界を見ることができます。でも、世尊が世を去られた後の世の人々は、さまざまな悪い行いをして善い行いをすることがなく、多く苦しみに責められることでしょう。そういう人たちは、いったいどうすれば阿弥陀仏の極楽世界を見ることができるでしょうか 」

*
「悪をなしたり怠けたりしたら、地獄へ行く」
この事実がストレートにわかったら、この世の時間を無駄にできんだろう。
正しい時間の使い方、正命
管理人はその確信がないから、怠けたり、ダラダラ過ごしている。

以下の瞑想修法、観法
法然や親鸞は信徒に指導したのか、不明。
おもいきり省略したら、念仏になるのかな。

[夕日の観法]
(9) そこで釈尊はイダイケに仰せになった。
「 そなたや未来の人々は、ただひたすら西方に思いをかけて、その世界を想い描くがよい。では、どのようにして西方を思い描くのだろうか。それにはまず、生れながら目が見えないのでない限り、目が見えるものはみな日没の光景を見るがよい。
その観を始めるにあたってはまず姿勢を正して西に向かって座り、はっきりと夕日を思い描くがよい。そして心を乱さず、思いを一点に集中して他のことに気をとられずにいられたなら、次に、夕日がまさに沈もうとして、西の空に太鼓が浮んでいるようになっているのを見るがよい。
それを見おわった後、目を閉じても開いても、その夕日のすがたがはっきりと見えるようにするのである。このように想い描くのを日想といい、第一の観と名づける。

*
今度夕焼けを見る機会があったら、やってみよ。