無量寿経 63   仏の智慧を信じる力 | たこなぐりの宗教ブログ

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(44) また弥勒よ、他の仏がたの国のさまざまなすぐれた菩薩たちも、さとりを得ようとして無量寿仏を見たてまつり、その仏をはじめとして菩薩や声聞たちに至るまで敬い供養したいと思うのである。
これらの菩薩たちも、命を終えて後に無量寿仏の国に生れ、七つの宝でできた蓮の花におのずから化生するのである。

*
『他の仏がたの国』
如来は複数いる。霊光線の色もさまざま。
『無量寿仏』が誰を指すのかいまだにわからないが。
イエス系統の白色光線と仮定しておく。

 弥勒よ、よく知るがよい。化生のものは智慧がすぐれているが、胎生のものは智慧が劣っていて、五百年の間まったく無量寿仏を見たてまつらず、教えを聞かず、菩薩や声聞たちを見ず、また他の仏を供養することもできない。菩薩の自利利他の修行ができず、功徳を積むことができない。よく知るがよい。これらのものは、過去世において智慧がなく、仏の智慧を疑ったからにほかならない 」

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[胎生の説明]
無量寿仏の五種の智慧を知らず、この智慧を疑って信じない

[化生の説明]
無量寿仏の五種の智慧を疑いなく信じてさまざまな功徳を積む

化生の方が胎生に比べてなんとなく霊的な感じ
物質界では明確に示すことができ、それを確認できる。
この世を超えた世界は、信仰によるしかない。

パウロや親鸞の信仰態度
(イエスや阿弥陀仏や念仏を)あれほど信じることができるか。
著作を読めばわかるけど。
普通の人間感覚ではとてもついていけない信じる力の深さ
化生なんでしょう。

あとがき
結論を言えば、「信ぜよ信ぜよ、仏の智慧を信ぜよ」
釈迦やイエスの言うことを信じなさい。言う通りにしなさい。
「信じる者は化生となるのだ」
[化生の説明]
 これに対して、無量寿仏の五種の智慧を疑いなく信じてさまざまな功徳を積み、まごころからその功徳を持ってこの国に生れようとするものは、ただちに七つの宝でできた蓮の花に座しておのずから生れる。これを化生といい、たちまちその姿を光明や智慧や功徳などを、他の菩薩たちと同じように、欠けることなく身にそなえるのである。

「菩薩の霊格に至る」ともとれる。