コーラン 第45章 跪(ひざまず)く章  信じない者たち [再掲] この世は苦界か? | たこなぐりの宗教ブログ

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この世での生活状況

読み返してみて思うに。生々しい霊界通信だこと。
なんらかの霊がマホメットに語りかけ、それをマホメットが伝えている。
「何を今さら」と言われるだろうが。

神や霊界の存在、人間が永遠の魂である(コーランでは不明瞭)ということ。
地上生活を送っているとぐらつく。
事実なんだろうが、地上では信仰という確認方法しかない。
へこんだ時は、コーランか。
聖書や仏典でもいいけど。

死ぬことより執着を残す方が怖い。
不成仏霊
永遠の生命(時間)を生きているが、ああなりたいとは思わん。
恨みの塊。性欲の塊。物質欲の塊。
他人の愛が欲しい欲しいと思っている、餓鬼状態なんだって。
苦しくても、へんてこりんな(真理に反した)欲望や執着は持たない方がいいみたい。
*
とにかく信じない。宗教を信じない者はどうしようもない。
本文で言っているように、地獄で嫌になるまで (意識を失うまで)焼かれるか。
意識しかないので、その業火の熱さは強烈。
釈迦やキリストの死後の魂は神でしょう。
そういった「天使の霊格を持った人霊たち」が通信を送っている。

www.geocities.jp/theeguu/quran/s040.htm 管理人が少し修正
ハー・ ミームの省略語で始められている。いずれもマッカ後期の啓示とされ,年代順では前章の直後に続く啓示である。この一群の諸章に共通する内容から帰納して, ミームは事物の終未,最後の審判に関する内容を表わし,ハーは事物の初めを意味し,現在の信仰の将来における終末論的要素を強調すると解される。またハー はハイヤ(生),ミームはカイューム,すなわち,永生的自存者に対し,来世,最後の日を表わすなどの諸説がある。実に不信心に対する信仰,信仰の拒否に対する啓示,悪に対する拳,虚偽に対する真実,あるいは生命と復活,来世と永遠の不滅は,この一群に共通している内容であるが,以上のよう な解釈は単なる推測であり,もともと深遠なこの省略語の真の意味はアッラーだけが御存知であられる。

人間には過去世があって、今世があり、今世があって、来世がある。
キチガイ扱いされるから教えたくないと、釈迦も悩んだみたい。
しょせん地上の人間にはわからん。
2000年に1人出るような人はやっぱりすごい。
ものの見方が全く違う。

1.ハー・ミーム。
2.この啓典の啓示は、偉力ならびなく英明な、アッラーから下されたものである。
3.本当に天と地には、信者たちにとっての種々の印がある。

ハー・ミーム
源初よりある存在。不生不滅。
人間の魂は永遠だ。とか、いろいろ解釈があるんでしょうね。

霊界サイドから見ても、指導霊たちの意見や考え方はいろいろ。
わざと多義的な意味を持たせたのか。
マホメットが地上の言語に翻訳しきれなかったのか、真相は不明。