新潟への帰郷日記 今治〜松山
帰郷の旅も三日目です。
今日は四国を時計と反対周りに高知まで行こうと思っています。
今治といえば 鳴門海峡、関門海峡、と並ぶ来島海峡があり 日本の三大海流といわれています。
身のしまった魚介の宝庫 食べない訳にはいきません。(^∇^) ということで。

昨晩わたってきた しまなみ海道大橋ながめながら

海面とほぼ 同じ高さの お食事所 伊予水軍へ
注文したのはこれ

うーーん 見た事がありません。 こち系の魚でしょうか??
店員さんの強力なプッシュにまけて なごやふぐのお刺身も頼んでしまいました。

薄造りですね。さすがに身が締まってます。 四国は柑橘類が新鮮なのか 添えてあるポン酢がとっても美味しい。
これは お取り寄せしなくては(^O^)
そして おまちかねの アコの登場です。

釜飯にしました。

いい感じです。

頭のお吸い物がついてきます!!
出汁がいい感じです。 こちっていうか 金頭(カナガシラ)系の上品なあじ。
新潟だったら カナガシラでやったらいいかも。 かなり おいしく できるとおもいます(^-^)/
そして 今治を後にし目指すは 愛媛の八幡浜!!
ここに 激うまの じゃこ天があるらしいです!!
それをもとめて
行ってきまーす!!
今日は四国を時計と反対周りに高知まで行こうと思っています。
今治といえば 鳴門海峡、関門海峡、と並ぶ来島海峡があり 日本の三大海流といわれています。
身のしまった魚介の宝庫 食べない訳にはいきません。(^∇^) ということで。

昨晩わたってきた しまなみ海道大橋ながめながら

海面とほぼ 同じ高さの お食事所 伊予水軍へ
注文したのはこれ

うーーん 見た事がありません。 こち系の魚でしょうか??
店員さんの強力なプッシュにまけて なごやふぐのお刺身も頼んでしまいました。

薄造りですね。さすがに身が締まってます。 四国は柑橘類が新鮮なのか 添えてあるポン酢がとっても美味しい。
これは お取り寄せしなくては(^O^)
そして おまちかねの アコの登場です。

釜飯にしました。

いい感じです。

頭のお吸い物がついてきます!!
出汁がいい感じです。 こちっていうか 金頭(カナガシラ)系の上品なあじ。
新潟だったら カナガシラでやったらいいかも。 かなり おいしく できるとおもいます(^-^)/
そして 今治を後にし目指すは 愛媛の八幡浜!!
ここに 激うまの じゃこ天があるらしいです!!
それをもとめて
行ってきまーす!!
新潟への帰郷の旅 お城編
実は私 最近 お城にハマっていまして。
九州在住中にも 熊本城 小倉城 唐津城など 時間を見つけては出かけてました。
今回の帰郷に際して 最寄りの城には立ち寄りたいと思っていました。
まずは その第1弾

この林を抜けると どどーーん

来たー 広島城!!
1589年、毛利元就の孫 輝元が築城した 輪郭式平城です。
別名を鯉城といいます。 広島カープ (カープは英語で鯉(コイ))の由来もここからだそうです。
原爆で倒壊して 現在立っているのは 復元された物です。
城の周りのお堀がとても 大きくて 素晴しい お城です!!
その後 広島を後にし 車を走らせ
しまなみ海道を通り 四国 愛媛に 入りました。
今治といえば そう!!

今治城です!! マニアックだし はしごだし!!

築城の天才、藤堂高虎公の銅像です。 かっこいいー。
「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」彼の言葉です。
僕も 福岡で三度 お店を変えました。 その度に ここはいいとか これはよくないとか
色々と気づかされたものです。 すべてを前向きにとらえ 前進あるのみです!!
九州在住中にも 熊本城 小倉城 唐津城など 時間を見つけては出かけてました。
今回の帰郷に際して 最寄りの城には立ち寄りたいと思っていました。
まずは その第1弾

この林を抜けると どどーーん

来たー 広島城!!
1589年、毛利元就の孫 輝元が築城した 輪郭式平城です。
別名を鯉城といいます。 広島カープ (カープは英語で鯉(コイ))の由来もここからだそうです。
原爆で倒壊して 現在立っているのは 復元された物です。
城の周りのお堀がとても 大きくて 素晴しい お城です!!
その後 広島を後にし 車を走らせ
しまなみ海道を通り 四国 愛媛に 入りました。
今治といえば そう!!

今治城です!! マニアックだし はしごだし!!

築城の天才、藤堂高虎公の銅像です。 かっこいいー。
「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」彼の言葉です。
僕も 福岡で三度 お店を変えました。 その度に ここはいいとか これはよくないとか
色々と気づかされたものです。 すべてを前向きにとらえ 前進あるのみです!!
新潟への帰郷の旅 広島後編
世界遺産の宮島 厳島神社を後にして 再び 広島市内に戻ります。
この地を訪れたのならば 避けては通れない 悲劇の象徴へと

正直言って ここに来るまでは 教科書とテレビの中の物だと思っていました。
しかし 爆撃のあとは この地にしっかりと 残っています。
この建物の600m 上空で原子爆弾は爆発したそうです。
まわりの建物や人々はほとんどがふっとびました。 ただ この建物だけは 爆風が横からではなく
真上から来た為につぶれる事なく 形をとどめました。
ここに立つと どうしようもない 憤りを覚えます。
言葉にはなりませんでした。
平和な時間がつづくことは とてもいいことです。
そのおかげで 僕たちは 豊かに暮らしていけるのですから。
ただ 忘れてはいけないことが この地にはありました。
この地を訪れたのならば 避けては通れない 悲劇の象徴へと

正直言って ここに来るまでは 教科書とテレビの中の物だと思っていました。
しかし 爆撃のあとは この地にしっかりと 残っています。
この建物の600m 上空で原子爆弾は爆発したそうです。
まわりの建物や人々はほとんどがふっとびました。 ただ この建物だけは 爆風が横からではなく
真上から来た為につぶれる事なく 形をとどめました。
ここに立つと どうしようもない 憤りを覚えます。
言葉にはなりませんでした。
平和な時間がつづくことは とてもいいことです。
そのおかげで 僕たちは 豊かに暮らしていけるのですから。
ただ 忘れてはいけないことが この地にはありました。