久しぶりに若手と言われる階層の研修に数日間登壇する機会があった。
ここ最近、積極的に若手や目的別の研修は受注していなかったわけだが、色々な縁があったのでこれも巡り合わせと思い、登壇した。
全ての日程において終了後に拍手が起こった。
別にわたしがどうこうといいたいわけではなく、わたしは単なる触媒であり、彼らが起こした拍手は、学びや気づきそのものに対する彼ら自身への拍手喝采である。
そのときわたしは想った。
「そうだ、わたしは人の中の何かが変化する瞬間に立ち会うことが好きで、この仕事を志したのだ」と。
世界旅行をしているときの世界旅行用の名刺にも「人が好き。人との出会い」と書いていたことを思い出す。
現実世界におけるわたしのアイデンティティは組織人事コンサルタントであり、その中の一つのパーツ、あるいは役割の一つに研修講師があるわけだが、
人が変化する瞬間、意識レベルでの変化が起きる瞬間、行動変容を予感させる瞬間に立ち会えることは、まさに講師冥利に尽きる。
お金やフィーも大事だが、それ以上にもっと大事なものがあることを思い出させていただいた。
講師という仕事は基本的にハローグッバイだし、一対多の接し方であることには変わらないが、それでも限られた時間の中で1人ひとりと向き合うことは不可能ではない。
最近お付き合いが始まりつつある別のクライアントの方が、「ここで怖さを感じない人間が人の人事を左右してしまう仕事を担当してはいけないと思う」という趣旨のことを仰っていた。
まさにわたしも、このような畏怖を持つ方と組織や人に関わる仕事をしていきたい。
そしてわたし自身も「そのような畏怖と、その裏返しでもある矜持を常に携えながら自身の仕事に粛々と臨もう」と思えた瞬間であった。
「人の育成や評価に携わるという仕事は、常にどこかにその行為自体のいかがわしさに想いを来しつつも、それと裏腹にある畏怖や矜持を同時に持ち合わせる必要がある」と思うのは、果たしてわたしだけだろうか。