もりフーフの世界一周旅日記〜夫婦で世界2周2年66カ国訪問のその後〜

もりフーフの世界一周旅日記〜夫婦で世界2周2年66カ国訪問のその後〜

人と組織を元気にする世界2周の中小企業診断士、もりフーフの夫が主に綴った世界2周のブログ。


2011年1月から2013年1月まで妻と2人で2年で世界2周、
合計66カ国を訪問したもりフーフが世界に出るまでの足跡、
夢を実現した世界2周、そしてその後の歩みを綴るブログ。

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1年目に訪れた国:合計36カ国

0:日本(成田)→1:オーストラリア→2:ニュージーランド→3:タヒチ(仏領ポリネシア)→4:イースター島(チリ)→4:チリ→5:ボリビア→6:アルゼンチン→5:チリ→6:アルゼンチン→7:ウルグアイ→6:アルゼンチン→8:パラグアイ→5:ボリビア→9:ペルー→10:エクアドル→11:コロンビア→12:ベネズエラ→13:メキシコ→14:キューバ→13:メキシコ→15:アメリカ→16:カナダ→15:アメリカ→17:イギリス→18:フランス→19:ベルギー→20:オランダ→21:ドイツ:→22:ポーランド→23:チェコ→21:ドイツ→24:オーストリア→25:スロヴァキア→26:ハンガリー→27:スロヴェニア→28:クロアチア→29:モンテネグロ→30:ボスニア・ヘルツェゴビナ→28:クロアチア→31:イタリア→32:サンマリノ→31:イタリア→18:フランス→33:モナコ→18:フランス→34:スペイン→35:ポルトガル→36:モロッコ→17:イギリス→0:日本(成田)

※太字は世界一周航空券(グローバルエクスプローラー)を利用

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2年目に訪れた国:合計30カ国

0:日本(関空)→37:フィリピン語学留学→38:香港→39:中国→39:チベット→40:ネパール→41:トルコ→42:グルジア→43:アルメニア→44:イラン→41:トルコ→45:イスラエルおよびパレスチナ→46:ヨルダン→47:エジプト→48:ケニア→49:ウガンダ→50:ルワンダ→51:ブルンジ→52:タンザニア→53:マラウイ→54:ザンビア→55:ジンバブエ→56:南アフリカ→57:スワジランド→56:南アフリカ→58:レソト→56:南アフリカ→59:ナミビア→60:ボツワナ→56:南アフリカ→61:マダガスカル→56:南アフリカ→62:インド→63:タイ→64:ミャンマー→65:ラオス→66:ベトナム→0:日本(羽田)

※2年目は全てLCC(ローコストキャリア)か車か鉄道か船で移動

ブログ、再開します。

たぶん、当面は過去の振り返りを中心に、不定期更新の予定です。

 

 

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あの旅に出たのは、2011年1月。

日本に帰国し、日本での生活を再開したのが2013年1月。

 

私たち夫婦にとって、あの2年間の世界旅行は何だったのか。

 

年月にするとわずか6年前だが、もはや隔世の感がある。

あれは本当に現実だったのだろうか、どうにもリアリティを感じることができない。

がしかし、こうしてこのブログが残っていることが、あの旅がリアルであったことを認識させる。

 

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そもそもの旅の始まりは、結婚した15年前。

今後の人生をどのように歩んでいきたいかを夫婦で時間をかけてじっくりと話し合った。

そうして得た結論。

 

「世界旅行に行こう!そして、帰国後は、2人の人生で成し遂げたいことを全部実現しよう!そのためにも、まずは中小企業診断士の資格を取得しよう!」と誓い合った瞬間から私たちの旅は始まった。その決断を下した時点で、もう後戻りはできなかった。

 

訪問国は計66か国。南極以外の全ての大陸を訪問した。

「楽したい、楽しみたい」のみにフォーカスするなら、旅をするのがイージーな国や大陸はいくらでもある。がしかし、これは周囲からよく「意外ですね~!」と言われるのだが、「若いうちにしか行けない場所に行きたい。南米やアフリカに行きたい。」と言い出してきかなかったのは私の妻である。

私は沢木耕太郎の「深夜特急」で旅に目覚めたクチなので、そもそもユーラシア大陸にしか興味がなかった。譲って北米大陸。

むしろ、どこか恐ろしげな匂いがする南米やアフリカには二の足を踏んでいた。

がしかし、結果的には夫婦2人で2年間を駆け抜けるように、南極以外の全ての大陸を訪問した。これは、今だからこそ言えることだが、最良の判断の一つだった。

 

しかし、そうして回った実際の世界旅行は、出発前に想定していたほど甘いものではなかった、むしろ壮絶な経験だったというのが正直なところである。

 

もちろん、この上ない至福の時を過ごした経験も山ほどある。一方、それと同じくらい、「もう二度と繰り返したくない」という経験も山ほどあった。

命がけの場面も何度も発生した。旅の一定期間を過ごした大切な友人が、彼の地で還らぬ人になった。

 

日本に帰国してからの現実の立て直し。

ある程度覚悟はしていたものの、その後に訪れた試練の数々は世界旅行の壮絶な経験すら上回った。

 

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翻って今の私は、自分自身が天職と心から思える仕事で生活の糧を得ることができ、家族と幸せな時間を過ごすことができている。

そのこと自体に、あるいは今こうして生かされていることに対して、万物に対して感謝をしている。

 

私たちが残りの人生で、再び世界をめぐる旅をすることはないだろう。

あれは命がけの旅だった。もう二度と繰り返す必要のない過去の経験は、甘美な想い出として楽しむことができる。

 

旅中は寝る間を惜しんでこのブログ記事を綴り続けた。

これは当時、旅立ち前から私自身が心に決めていたことである。

私は自分たちのリアル世界旅行を楽しむと共に、将来この世に存在するであろう我が子や、未来の誰かに向けて何かを残すためにこのブログを一緒に旅させたかった。

ブログの旅も帰国まで完結させる必要があった。

誰かに言われて始めたことではなかった。むしろ私がブログを書き続けることで旅の貴重な時間を圧迫し、そのことで妻と深刻な衝突を起こすことも幾度もあった。

 

がしかし、それでもブログ上の旅を帰国まで無事に完結させなければならなかった。

それは自分のためや誰かのためというよりも、「使命感に駆られて」といったほうが近いかもしれない。

 

そしてその決断は正解であったと、今あらためて思う。

リアルで世界旅行をしているときに想ったこと、感じたことは、そのリアルの中に自己が存在するときにしか書くことはできない。

完結した物語は、誰かの何かの一歩を後押しすることができる。

むしろ、私自身も過去の自分から、未来に向けて今を生きる勇気を与えてもらっている。

 

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今、私には「師」と認識している人が何人かいる。

そのうちの一人は、その専門分野において学術領域の最先端にいる人である。

他の一人は、まれにみる変人さん(良い意味で)である笑

 

偶然なのか必然なのか、二人とも人の内面世界に存在する「何か」を追求している。彼らの辿った足跡を後から追いかける私は、彼らから受け取るメッセージがユングの集合的無意識を示唆しているように思えてならない。

 

そもそも人類は普遍の智慧、すなわち真理に到達することができるのか。

少しでもそこに近づこうとする道のりは、ひょっとしたら今の私にとって世界旅行そのものより夢中になれるものかもしれない。

 

学問の始まりは哲学である。

哲学は「そもそも人とは何か、世界とは何か、我々はどこから来てどこに向かうのか?」という問いに端を発している。

 

これらの問いの立て方は、ややもすると言葉遊びや空想ごっこになりかねないが、本質的な問いであることには変わりない。

そうした「本質的な問い(潜在)」と「リアルの世界に顕在する課題」を如何に架橋していくか、その取り組みそのものが今の私を夢中にさせるし、それが今の私の仕事である。

 

自らのアイデンティティに基づいた仕事で誰かの何かに貢献することができ、そのうえで自分も家族も生活の糧を得られることは、ひょっとしたら人にとって至上の幸福なのではないだろうか。

 

リアルの中に自分自身が存在すること、「今ここ」を生きること。

それは、単に物語を読むよりよほどしんどくて辛く、そして面白い。