こんにちは。宇宙に近づきたいtikitiki☺です。
アメリカのホテルで、「わー何このお風呂」「なんでこんなシャワーかな」と思ったことある方、結構いらっしゃるんじゃないでしょうか。ワイキキビーチで砂まじりになってシャワーを浴びようと思ったら、シャワーが伸びないから、気持ちよくお湯を隅々までかけられない!!とか。
アメリカに暮らしていると、お風呂問題があります。特に、まだ小さい子供と一緒に入らないといけないと・・・。しかも、かなりの邸宅に住んでも、湯舟にだーだーお湯を入れてお風呂に入ることを想定していないので、お湯が足りなくなるんですね・・・。いつの時代のお風呂かと。
それで結局、子供をきれいにするために親が犠牲になると。子供二人を洗う時は、親は洗えず・・・。「お湯が冷める前に出るよーー」と。以前は、アメリカのお風呂問題を苦痛に感じていました。自己犠牲の気分に苛まれていたんですね。
そこで、深堀してみました。
①なんで苦痛なの?
何で苦痛なのかといえば、もちろん湯舟の深さが好みじゃないとか、お湯があふれるほど、生え際までお湯に浸かりたいとかもありますが、根本的には「アメリカのお風呂が」とかではなく、単純に「私もたまには気持ちよーーーく熱いお湯に浸かりたい」ということなんですね。
ということに気づいて、夫の出勤日で家族が誰もいなくなった午前は、気持ちよーく一人で湯舟に浸かることにしました。
②あれ?逆に、これって洗うだけの時間?
まあ、気持ちがいい。自分好みの熱いお湯に首ぎりぎりまで浸かって。でもふと気づきました。逆に、子供を入れるために入るお風呂って、その時に得られていたものって、親子の楽しい時間だったんだなって。
③気づけば、二つの幸せを得ちゃった。
「一人で入る朝のお風呂」の気持ちよさに気づいたら、同時に、「子供と入る楽しいお湯浸かり(じっくり洗えないので、敢えてこう呼びましょう」にも気づけたんですね。
というわけで、お風呂の不満が、なんと、二倍の幸せに変わったお話でした。