髙島屋は鈴木弘治会長の退任が発表されました。髙島屋の鈴木氏とH2O(阪急)の椙岡俊一氏(故人)、JFRの奥田務氏はほぼ同時期に活躍された戦友として知られていまして、最後まで残ったのが鈴木氏ということになります。


悲願の新宿開業の僅か3ヶ月前に「髙島屋事件」が

発覚、トップ辞任にまで追い込まれた。


鈴木氏の話に触れる際に、3代前の社長の頃の話をしなければならないでしょう。

髙島屋初の創業家以外からの社長に就任した日高啓(ひろし)氏。昭和62年(1987年)に創業家出身の飯田新一氏からバトンを受け取ったあとは、同社の悲願であった新宿出店計画を進め、新宿タカシマヤタイムズスクエア(渋谷区)の開店に結実します。社内評は「実務家」で、現場が取引先に対してライバル百貨店に出店しないよう圧力をかけたことを知るや、「そんなバカなことをするな!」と一喝してやめさせたというエピソードもあります。私はお会いしたことがないので、人物評はこれくらいに。


髙島屋の登記上本店所在地である大阪店。

総会関係の事務は大阪で取り仕切っていた。


日高氏の命取りになったのは「髙島屋事件」と呼ばれる総会屋への利益供与が平成8年(1996年)に発覚したことでした。氏が東京店長(現:日本橋店)の頃にリゾートクラブの会員権販売を巡って顧客とトラブルになった際、大阪の暴力団組長であった西浦勲氏(事件発覚当時には刑事被告人)に仲裁を依頼、それ以降、摘発対象になっただけで8000万円、通算で8億円もの利益供与があったとされています。西浦氏はじめ総会屋関係者のみならず髙島屋も時の総務部長ら複数幹部が逮捕され、日高氏も刑事責任は免れたものの引責辞任を余儀なくされます。

この日高氏と犬猿の仲だったのが当時労組委員長を務めていた鈴木氏で、この事件と日高体制の崩壊で鈴木氏は一気にトップへの階段を駆け上がることになります。


鈴木氏は事件発覚から5年後の平成13年(2001年)に社長に就任。労組委員長出身の企業トップの権力は凄まじく、00年前半の博多駅ビル出店による九州進出、09年ごろに企図した丸井今井の経営権取得による北海道進出の双方に失敗(博多駅には阪急が出店、丸井今井は三越伊勢丹の傘下入り)、また阪急本店擁するH2Oとの統合構想の破談するなど失策が続くものの、13年に亘って社長を、そして社長・会長通算では23年もの間、企業トップとして君臨しつづけました。ただし最後に触れたH2Oとの統合交渉は当時、出店準備をしていた三越伊勢丹の大阪出店に備えたブランド囲い込みのための両社による「スタンドプレー」という見方もあって、実際に平成23年開業の「JR大阪三越伊勢丹」は主力ブランドが欠けた影響で僅か4年強で退店に追い込んでおり、一定の「成果」は挙げたといってよいのかもしれませんが。


↓↓髙島屋は本店である大阪で係争を抱えている↓↓



先に挙げた「三羽烏」すべてが去ることになった百貨店業界。一般論でいえば、かつてほど労組と経営は争い合っておらず、結構大きな企業においても双方のカウンターパートで飲みに行く事例も承知をしております。そんな中での鈴木体制の終焉。これが同社にとって、また百貨店業界にとって、どのような変化をもたらすのか、暫く見てまいりたいと思っております。



※次回の記事は3/1(金)に公開します。


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