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栄華を誇る阪神電鉄

幾多の困難を乗り越えて同社初の都市再開発事業「ハービスOSAKA」を成功させた阪神電鉄。その後は平成11年(1999年)に梅田の隣の駅、阪神福島駅の地上駅跡地開発「ラグザ大阪」を竣工させます。オフィス・飲食店街・賃貸マンションに加えて梅田から「ホテル阪神」を移設、梅田の中心部から離れたにもかかわらず、近傍のリーガロイヤルホテルから支配人をヘッドハンティングして全室天然温泉供給と気軽に入れるレストランを売りにした新感覚なシティホテルとして初年度から好業績を叩き出します。西梅田から福島にかけてのエリアを「WEST UMEDA STORY」と銘打ち、ニーズの異なるオトナのエリアを着々と構築する阪神。先に触れた茶屋町再開発に加えて中島(大阪市西淀川区)・彩都(大阪府箕面市/茨木市)などの大型開発が軒並み失敗し、梅田地区において新築はおろか老朽化施設の更新すら遅れていた阪急に代わって「梅田の盟主」たる地位を早晩得るのではないのか、という論調まで飛び出しはじめる中で、現在の「ハービスENT」となる阪神西梅田開発2期事業がスタートします。


2004年、ハービスENT開業へ

「ハービスENT」では頂部の特徴的デザインを踏襲

しつつもコストダウンが図られている。


敷地はもともと阪神電鉄本社・新阪神ビル・ホテル阪神が建っていたエリアの道路を付け替えて纏まった区画として開発を進行させます。1期事業(ハービスOSAKA)からさらに大阪駅に近い好立地のため、2期事業においては1期で得たノウハウをベースにSCの面積を増やすとともに、劇団四季の専用劇場やジャズライブハウスであるブルーノートを併設することで、高い文化性を併せ持つ〈Urban Entertainment Conplex〉として構想されました。ハービスENTの"ENT"はここから取られた名称です。


オペラ座をイメージしたと言われる豪奢なインテリア。

音環境にも配慮されたエスカレーターホール。


「ハービスENT」の竣工は平成16年(2004年)11月。ファサードこそコストダウンを図ったもののインテリアではオペラ座をイメージした絢爛なものに。ハービスから〈グッチ〉など一部のラグジュアリーが移転拡張、また〈ティファニー〉〈ブルガリ〉〈マックス・マーラ〉などを新規導入。ハービスには代わって〈エンポリオ・アルマーニ〉などが入居、さらにハービスENTの隣には吉本ビルディングによる「ヒルトンプラザ・ウエスト」も同時開業、西梅田はラグジュアリー路面店が集積する一大拠点になります。これで延床面積25万㎡、総額1100億円を投じた阪神西梅田開発は華々しくグランドオープンを迎えたのです。


しかしながら、その開業から1年経たぬ間に、阪神電鉄を揺るがすとんでもない大激震が襲うことは、この時、誰も予測すらしていなかったことでしょう。


ファンドによる買い占め、そして…

平成17年(2005年)は阪神電鉄開業100周年、阪神タイガースも序盤から快進撃が続き、前年のチャンピオンチームであった2位の中日ドラゴンズを大きく引き離し優勝するだろうという目前。1株400円前後だった株価は夏頃から上がり始め、9月下旬には1000円に届くところまでに達していました。阪神電鉄社内ではタイガース優勝のご祝儀相場として何ら対策は講じていなかったそうです。


しかしながら、9月27日の村上ファンドの大量保有報告書に阪神電鉄株の26.67%、および10月に阪神電鉄の完全子会社化に向けて株式交換が予定されていた阪神百貨店株の18.19%を取得していることが判明します。翌年には村上ファンドの阪神株保有割合は46.82%にまで増えたことで、実質上、村上ファンドが阪神電鉄の経営権をほぼ掌握している状態にまでなっていました。


村上世彰氏率いる村上ファンドはわが国における、所謂「モノ言う株主」の奔り。着眼したのは阪神タイガースという全国的に名の知れたコンテンツと、成功した西梅田開発の含み益だったといわれています。


比叡山開発を進める京阪と六甲山に強みを持つ阪神は

かつてから広域観光連携に向けて協議されていた。


阪神は村上ファンドからの株の引き取り手探しに奔走 します。そして路線網が競合しておらず、規模的にもイーブンな関係が築ける京阪電鉄に自社株の引き取りを依頼、京阪サイドも当初はポジティブに動いたものの、京阪・村上ファンド双方の提示する株価に開きがあったため(京阪は1株800円程度、村上ファンドは1000円以上を提示していたとも)、ご破産に。公共交通を担う企業として大株主がファンド、という状況を脱さなければならないことは明白な中、あるひとつの企業にスポットライトが当たります。


それが、阪急ホールディングスです。


阪急の軍門へ…

関西においては抜群なブランド力を誇る阪急も、

この時はバブル期の損失処理に追われる状況に。


阪急電鉄が(2003年)に持株会社化されている同社は、鉄道・不動産・流通など広範な業種で争い合っていた仲でした。阪急サイドにしてみれば、規模的に経営のイニシアティヴが握り続けることができる上に、西梅田事業等において阪神が持つ3000億円超の含み益を自社の経営再建に充てることができる、千載一遇の機会。


ただし、阪急にはカネがなかった。


そこで、阪急は立場上「ホワイトナイト」でいるために、まず阪神側から自社株取得の依頼を受けたかたちで、阪急による阪神株の1株930円でTOBを実施することを決定。この際にTOB成立の可能性をより高めるために買取制限を設けなかったのですが、その総取得価額がいくらになっても融資を受けるという後ろ盾を得ます。こんな聞いた事もない融資を通じて阪急の後ろ盾となった金融機関は、同社のメインバンクである三菱東京UFJ銀行(現:三菱UFJ銀行)ではなく、サブである三井住友銀行。もともと三和系であった阪急を三菱から引き剥がそうとする住友陣営の画策もあったのかもしれませんが、ともかくも阪急は阪神株取得額の全額を融資で賄い、1年後にシンジケートローン(協調融資)に切り替えるという荒技を駆使して、結果的に1銭も使わずに

(※企業買収にかかる手続等における拠出は除く)阪神電鉄を掌中に収めます。


平成18年(2006年)6月にTOBを成立させ阪神電鉄を子会社にしたあとは10月1日付で阪急ホールディングスと阪神電鉄の間で株式交換を実施、阪神を阪急の完全子会社として阪神の上場は廃止、親会社の名称を「阪急阪神ホールディングス」と改称するとともに阪神サイドからも役員を受け入れます。ただし会長・社長は阪急サイドから出され、役員数も阪急が多く、阪急サイドが経営の決定権をグリップしたかたちであることから、「阪急阪神」を名乗れど、実質は「阪急」。阪神電鉄社内ではホールディングスの事を「阪急」と呼ぶ人が多いのはそのためです。


「阪急阪神ホールディングス」本社前には、

阪急のロゴと「Hankyu Corporation」の表札が。


中島地区・彩都・阪急宝塚山手台(兵庫・宝塚市)など阪急が開発した、あるいはしようとした広大な敷地を阪神の戸建ノウハウで活性化することを建前に阪急から阪神に所有権を移転させます。彩都東部地区の開発中止に関する690億円にも及ぶ特損計上は阪神を子会社化して僅か1年半後の08年3月期決算。この他の事業整理についてもおおよそ5年以内に矢継ぎ早に実施され、その穴埋めには阪神の預貯金や含み益が使われました。もはや阪神のファイナンスすら阪急に握られていたわけです。


向かい合う「大阪梅田ツインタワーズ」は、

阪急阪神統合のシンボリックな存在とされる。


まとめ

統合した以上は過去の恩讐は超えて、阪急も阪神もなく一枚岩で企業を成長に導くことこそ、マネジメントとしてのステークホルダーに対するあるべき姿勢であるとは強く思います。しかしながら、バブル崩壊や天災による艱難辛苦を経て事業を成功に導いたことで手にしたおカネが、何故、バブル期の事業に失敗した「他社」の損失補填に充てられなければならないのか、という矛盾までもを消失できるものでは断じてありません。「正義」とは何たるやかを改めて考えさせられます。


阪神電鉄による西梅田開発、および阪急ホールディングスによる阪神電鉄の子会社化について、記せるのはここまでです。ご質問やより深く知りたい方は↓までお送り頂ければ、もう少し見聞きしたことはお伝えできるかもしれません。


(了)


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