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今日からは2回に分けて、金沢のおすすめ観光スポットとして人気のエリアをご紹介していきます。今回は「伝統を受け継ぐまちなみ」として徒歩で往来できる4ヶ所をご紹介します。


ひがし茶屋街

金沢のキーヴィジュアルに用いられるのがご覧の「ひがし茶屋街」です。

正式名称は「金沢市東山ひがし伝統的建造物群保存地区」。地区全体で1.6haもあり、金沢三大茶屋街(他に、にし茶屋街・主計町茶屋街)として最大の規模であることから、平日でもご覧の賑わいです。


ここは藩政時代から明治にかけての茶屋建築が今に残っている希少性が評価され、京都の祇園新橋などと同じく、文科大臣指定の重要伝統的建造物群保存地区、いわゆる重伝建に指定されていて、極めて高いレベルでまちなみの保全がおこなわれています。


日本三大銘菓に数えられる「長生殿」を生んだ加賀藩の御用菓子司〈森八〉のカフェにお邪魔することにしました。

同様に重伝建に指定され茶屋街建築が残る祇園新橋(京都市)では多くの置き屋が現存し、一見さんお断りの料亭など高級感漂うオトナな雰囲気なのに対して、こちらは気軽に中に立ち寄れるお店が多く、観光客、とりわけ若年層のニーズにマッチしているため、結果としてSNSにおけるブランディングにおいては京都を超える成果が現出している、あるいは今後それが高く期待できる地域であることを実感しました。


和スイーツの食レポについてはグルメ特集で触れます。


尾張町界隈

ひがし茶屋街を後にして、中心市街地に向けて歩を進めると、たいへん立派な建築物を多く目にすることができます。


「尾張町」の名の由来は、まさに尾張名古屋の出身である前田利家が金沢に入城した際に、利家の出生地である名古屋の荒子から御用商人を呼び寄せ住まわせたことに由来していて、長らく商人の街として発展を遂げてきた地域。この建物は「三田商店」として1930年に建てられたもので、現在では絵画や骨董品を扱う〈ギャラリー三田〉として営業されています。


香林坊に向けて歩くと「町民文化館」。

入場無料とのことなので中に入ってみましょう。


黒漆喰仕立ての和風なファサードからは想像すらできない洋風な空間。明治40年(1907年)に「金沢貯蓄銀行」として建てられ、その後、「北陸銀行尾張町支店」として昭和51年(1976年)まで使われていたそう。その後は県に寄贈され、昔の銀行の佇まいそのままに見学することができます。


こちらは応接室。実際に座ることもできるので、見学がてら軽く休息を取るのも一興。(見学施設なので長居は禁物。。)


地下には金庫室もあって、庫内には建物の歴史や貴重な貨幣資料が展示されています。


近江町市場

金沢市の観光統計で旅行者の目的トップは「食」。その意味で金沢の台所たる近江町市場は主たる観光スポットのひとつといえます。




「近江町」の名の由来は諸説ありますが、近江出身の商人たちがこの地に住んだことが有力説のひとつです。城内各地の市場を江戸時代中期の享保6年(1721年)にこの地に集約したことが近江町市場のはじまりで、一昨年2021年に300年を迎えた歴史ある市場です。



卸売市場の開設後はほぼ小売という今の形になり、観光客向けの飲食店が多くありますが、地元の方もちらほら見受けられました。一時期は黒門市場(大阪市)同様、住民の寄りつかない市場になったと言われましたが、この近江町市場のある武蔵ヶ辻エリアには多くの高級分譲マンションが建ち出していることから人口が増えてきているようすで、その影響もあるのかもしれません。

観光客に特に人気の海鮮丼の食レポについてはグルメ特集で触れます。


尾山神社

金沢においでの際に忘れてはいけないパワースポット、それが尾山神社です。

神社そのものの創建は明治6年(1873年)と比較的新しいといえますが、この神社の前身となる卯辰八幡宮から数えると400年以上の歴史を持ちます。


「尾山」とは金沢の別称。金沢が山の尾にあたる地形をしていることが由来とされ、前田利家の入城の際に「金沢」の地名に代わって、出身地の「尾張」に通ずるこの名称を用いたそうです。


和漢洋をミックスした堅牢な神門は明治8年(1875年)に造立されたもの。西陽に照らされるステンドグラスが印象的です。

ちなみにライトアップのようすも別途アップします。お楽しみに!



御祭神は前田利家とおまつの方。商売繁盛や必勝、文武両道、夫婦円満などの御利益があるとのこと。

美しい唐破風が印象的な拝殿です。


前田利家像。弓の名手といわれたことから馬に乗り弓を持つ出で立ち。その奥には落ち着いた神苑が拡がります。


神苑を抜けた先にある東神門は金沢城二の丸御殿にある唐門の移築と伝えられています。


一番のみどころはこの見事な彫刻です。前田家の家紋である「加賀梅鉢」の上部には、2匹の龍が睨み合っている力強い彫刻が施されています。二の丸の火災の時にこの2匹の龍の口から水が出たため、この門だけが焼け残ったという伝承もあります。


伝統が引き継がれたふたつの要因



京都や奈良にしてもそうなのですが、なぜ市街地にここまで伝統が引き継がれているのか、そのキーになるのは太平洋戦争における空襲であります。とりわけ軍需工場を備えた海辺の都市はその多くが米軍のB29による無差別爆撃にさらされ、焼夷弾で焼き尽くされてしまったり、広島・長崎に至っては原子爆弾が投下され、たいへん痛ましい被害をもたらしたことは皆さんよくご存じの歴史です。その一方で京都・奈良では市街地において大きな空襲がなく、まちなみや文化財が多く残ったことが知られていますが、金沢もまた米軍による無差別爆撃を受けなかった地域で、伝統的建造物の多くが戦火に遭うことなく残ったことが金沢にとって幸運だったといえます。さらに残った建造物を刷新することなく、大切に後世に残した金沢の人たちの心意気にも敬意を表さねばなりません。つまり「残った」だけでなく「残した」ことが、金沢のまちとしてのブランドを高め、さらに敷居を下げたことで若者、殊に女性に人気の高いまちへと進化を遂げた「このまち」の軌跡は、目を見張るものがあります。


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次回は金沢で最も多く観光客を受け入れている「兼六園」、そして一度廃城になったあとに歴史を蘇らせつつある金沢城、この加賀百万石・前田家の足跡残る2ヶ所のスポットを中心に取り上げます。


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