人生には、生き方や考え方に大きな影響を与えてくれた人が必ずいるものです。
私にも何人かそういう方がいますが、その中の一人とは某サーキットで知り合いました。
最初はとても怖い印象でした。同じブルーバードに乗る先輩と話しているところに来て、その先輩に何やら話しかける。私は自分が話しかけられたと思って、緊張しながらも何か答えようとすると、「いや、違う」。
…怖っ。見た目も、立ち方から怖いです。
車はハチロク。当時珍しいオールペン仕様。ムラサキ色でした。
「したっけ、風呂入って帰るわ」
「お疲れっす!」
ただ黙っている私。
「…誰なんすか、あの人」
「ん?ウチラのアタマ。な~んまら速いよ」
通って通って通っている内に、少しずつ慣れてきました。色々な話をしてくれるようになりました。そして、私のブルーバードも運転してくれました。
「どうしてもあそこの直線で○○○㌔出ないんです」
「ちょっと貸せ」
あっさり出てしまいます。私が運転する横にも乗ってもらいました。
一言、「ヒール&トウをもっと練習しれ」
…必死に練習しました。
私がブルーバードで雑木林に突っ込んで入院した時、ほぼ毎日見舞いに来てくれました。私が次の車を選んでいる時、こう教えてくれました。
「スーツには革靴。山登りはトレッキングシューズ。用途ごとに最適な靴がある。ブルーバードみたいなセダンでスポーツするのは大変すぎるぞ。スポーツするにはスポーツカーでなければ」
その言葉を聞いて、シルビアにしようと決めました。
退院し、シルビアを買ってからもパーツ取付けを教えて(やって?)くれたり、横に乗って走りを教えてくれたり…。仲間内が仲良くなって「喋り」に時間を費やす人が多い中、私は時間を惜しんで走りました。日々、走りました。
そんな私をその師匠は本当に可愛がってくれました。
「お前は走れ。とにかく走れ」
師匠に憧れ、日々走りました。私はまだまだ遅く、チームの看板を背負って走れるようなレベルではありませんでした。
「俺らジャンパー作る事になったんだけど、お前どうする?」
「え、俺いいんすか」
「俺がイイって言やあイイんじゃないの。ただ、ステッカーはまだダメだぞ。もっと速くなってからだ」
それからも日々走りました。ステッカーを許可してくれたのも師匠でした。
今は師匠も走りを引退してしまいました。お子さんも大きくなり、重機を運ぶトレーラーに乗っているそうです。そして今はセレナに乗っているそうです。
「あんなに嫌ってたミニバンに乗ってるよ」
「ハチロクはもう乗らないんすか」
「じゃあ買ってくれって話よ・笑」
寂しい話ですが、仕方ありません。師匠が築き上げた某サーキットの、チームの火を消さないよう、私は一人になっても走り続けます。子供が産まれたら、師匠の名前を戴こうと思っています。
本当にたまにしか連絡をとりませんが、私の心の支えです。
そんな出会いがあるのも、走り屋の醍醐味ですね。