全国一之宮巡りとは、日本各地に点在する

「一之宮」

を巡りながら、

日本に流れ続ける

“良い氣”

を辿る巡礼の旅です。

 

 

一之宮とは、かつて各地域で最も格式が高い

とされた神社で、

全国に約100社存在します。

 

私は8年半をかけて、すべての一之宮を参拝しました。

 

この旅を通して強く感じたのは、

一之宮の多くが千年以上もの間、

人々の祈りによって守られ続けてきた特別な場所だ

ということです。

 

戦乱や災害、時代の変化を乗り越えて

今なお残っているのは、

多くの人々がそこに心を寄せ、

良い氣が積み重なってきた証だ

と感じました。

 

一之宮には、

家族の平安、

五穀豊穣、

国の安泰など、

無数の感謝と祈りが蓄積されています。

 

その目に見えない氣は、

参拝者にも静かに伝わり、

心を整えてくれます。

 

全国一之宮巡りは簡単な旅ではありません。

 

山間部や離島など交通が不便な場所も多く、

時間・体力・計画力が必要です。

 

私自身も仕事や人生の節目を挟みながら、

少しずつ巡礼を続けました。

 

それは短期間で終える旅ではなく、

人生と並走する旅でした。

 

また、一社ごとに空気感や感じる

"氣"は異なります。

 

大神神社では山そのものを拝する静寂を、

氷川神社では安定した穏やかな"氣"を、

鶴岡八幡宮では歴史と人の流れが交差する力強さ

を感じました。

 

すべてを巡り終えた時、

特別な称号が得られるわけではありません。

 

しかし、日本を自分の足で巡り、

千年の祈りに触れ続けた経験は、

自分自身の内面を整え、

「人生の軸が一本通った」

と思える深い達成感を与えてくれました。

 

全国一之宮巡りは、

日本文化に触れる旅であると同時に、

自分自身と向き合い、

人生を整えていく旅でもあるのです。

 

それでは、また。(^_-)

毎日少しずつ易経を読んでいます。

 

 

「時に及ばんことを欲するなり。」

 

機が熟し、時が満ちた時に過不足なく

相応の実力を身に付けていることを目指し、

日々邁進する。

 

一日一日の積み重ねが、

来るべき時の成功を約束するのである。

 

​『易経一日一言』(致知出版社)竹村亞希子編より

 

その通りですね。

日々の積み重ねが大切です。

 

それでは、また。(^_-)

 

本書は、「ダサい」という感覚が単なる個人の好みではなく、

時代や社会、共同体の価値観によって形成されること

を分析した本です。

 

著者たちは、ファッションやデザイン、

若者文化、SNSなどを題材に、

「なぜ人は“ダサい”を恐れるのか」

を文化論・社会学的に読み解いています。 

 

本書ではまず、「ダサい」は絶対的な基準ではなく

時代によって変化することが示されます。

 

例えば、昭和時代には流行の最先端だった

肩パッド入りのスーツや

派手な原色ファッションも、

後の世代から見ると

「古臭い」

「ダサい」

と評価されることがあります。

 

逆に、一度「ダサい」とされたものが、

数十年後には

「レトロでかわいい」

「Y2K風で新しい」

と再評価される現象も起きています。

 

つまり、「ダサい」は固定された価値ではなく、

社会全体の空気や文脈によって変動する

相対的な概念なのです。

 

また、本書では「ダサい」が共同体への

帰属意識と深く結びついている点

も強調されています。

 

学校で流行している服装や言葉遣いから外れると

「ダサい」

と見なされることがありますが、

それは単なる美的評価ではなく、

「仲間のルールから外れている」

というサインでもあります。

 

例えば、若者文化ではスニーカーのブランドや髪型、

スマホケースの選び方まで細かい“空気”が存在し、

それに敏感であるほど

「センスがいい」

と評価されます。

 

逆に、流行を追いすぎると

「頑張りすぎていてダサい」

と見なされることもあり、

この矛盾した感覚が現代人を

疲れさせていると指摘しています。

 

さらにSNS時代になると、

「ダサい」

の判定速度は極端に速くなりました。

 

InstagramやTikTokでは、

数カ月前まで流行していたものが

急速に古く見えることがあります。

 

例えば、一時期大流行した加工写真や特定のポーズが、

すぐに「古いネット文化」として扱われる現象です。

 

著者たちは、現代社会では

「他人からどう見られるか」

が常時可視化されているため、

人々が過剰に“ダサさ”を恐れる

ようになったと述べています。

 

一方で、本書は「ダサい」を否定的にだけ

捉えていません。

 

むしろ、自分らしさや個性は、

周囲から「少しダサい」と思われる

勇気の中から生まれると説きます。

 

例えば、世界的デザイナーやアーティストの中には、

当初は奇抜で理解されなかった表現を貫いた結果、

新しい価値観を作った人が少なくありません。

 

つまり、「ダサい」とは新しい文化が生まれる

前段階でもあるのです。

 

本書は、ファッション論に留まらず、

「人はなぜ他人の目を気にするのか」

「流行とは何か」

「個性とは何か」

を考えさせる一冊です。

 

そして、「ダサい」を恐れすぎるより、

自分が本当に好きなものを持つことの大切さ

を教えてくれます。

 
ダサいと思われるか否かは
流行りがあって、
時代と共に変わるのですね。
 
私は学生のころからずっと
"トラッド"ですので、
ダサいと言われようとも
"トラッド"でいきますね。
 
それでは、また。(^_-)