先日の記事の補足として
巨人の肩の上に乗るという感覚について
別の切り口から解釈を加えるとするならば
あえて全てをまとめて見ないようにする、というところがあります。
巨人の肩の上に乗るという感覚について
別の切り口から解釈を加えるとするならば
あえて全てをまとめて見ないようにする、というところがあります。
先日の話の抽象度エレベータでいえば
自分の問題解決に必要な問題に対して
必要な抽象度で使うという感覚です(^^)
自分の問題解決に必要な問題に対して
必要な抽象度で使うという感覚です(^^)
今月の定期セッションの式神の使役でも
触れていくところでもありますが
自分が必要な機能に対して
その都度アクセスするというアプローチのほうが
そのロジックとミュトスに対して
丁寧に臨場感に沿う感覚を取れるところもあります。
触れていくところでもありますが
自分が必要な機能に対して
その都度アクセスするというアプローチのほうが
そのロジックとミュトスに対して
丁寧に臨場感に沿う感覚を取れるところもあります。
抽象度を高めることで
ひたすら情報を包摂していくことが
問題解決を担保するのではなく
適切な視野を確保するための
抽象度を探るというほうが適切です。
ひたすら情報を包摂していくことが
問題解決を担保するのではなく
適切な視野を確保するための
抽象度を探るというほうが適切です。
例えば、顕微鏡で観察物をのぞき込むときでも
そのミクロとマクロの調整が合うことで
あなたが見たいものが見れるのかどうかが決まります。
そのミクロとマクロの調整が合うことで
あなたが見たいものが見れるのかどうかが決まります。
部分と全体は相照らす、という言葉にもあるように
その相互関係を適切に認識できることが出来ることで
はじめてそこで機能を果たしていくことに繋がります。
その相互関係を適切に認識できることが出来ることで
はじめてそこで機能を果たしていくことに繋がります。
同じものを見ていても
大きな視野でその仕組みに気がつくことが出来るのか。
細かな視点で、ちょっとした違いに気がつくことが出来るのか。
大きな視野でその仕組みに気がつくことが出来るのか。
細かな視点で、ちょっとした違いに気がつくことが出来るのか。
そこに抽象度エレベータの臨場感が
あるのかどうかによって
大きく変わってくるところがあります。
あるのかどうかによって
大きく変わってくるところがあります。
抽象度の上下運動があることで
その手触りを感じられる機会も増えていきます。
その手触りを感じられる機会も増えていきます。
その中から生きたゲシュタルトや知恵が
これからも生み出されていくことでしょう(^^)
これからも生み出されていくことでしょう(^^)