帰省の噺 | 面白きコトも無き世を面白く…するのは自分の心意気
~間もなく~

7月は長雨、8月に入って急激な猛暑、そして8月下旬に秋を感じる気温。
なんとも忙しい季節の移ろいを見せる今年の夏。
まだ急激に暑くなる日もあるんでしょうがこのまま段々涼しくなっていきそうですね(^-^)

そんな中、間もなく遅めの夏休みで帰省する私。
実家に帰り、祖父母やご先祖様にお盆の挨拶するため遅めの墓参りに行ってきます。

青森に帰省している期間、天気予報では雨になりそうなんですが、その墓参りを大義名分に雨天決行も視野に入れ、食べたいモノや行きたいトコ、調べたいことが結構あります(笑)

今年は長年分からなかった事が先日、ふとしたきっかけで分かったのでその報告もしたいと思っています。

私の祖父の兄は戦争で亡くなりました。
以前ご紹介したこともあるのですが、その祖父の兄に不思議と、会ったこともないのに、興味と言うか、関心と言うか、敬愛の気持ちがあります。
理由は色々あるんですが、今回は省きます(笑)

そこで数年前、私は青森の図書館で祖父の兄の戦中の足跡を調べたことがありました。

フインシ

戦死者を記載した名簿の祖父の兄の部分は戦死した場所の名前だけが載っていました。
結構調べたんですが、結局どこなのかわかりませんでした。
しかし、それは単純に私の勉強が足りなかっただけと最近分かりました。

終戦の日の近辺は太平洋戦争についての特集番組が多く、私は可能な限り見るようにしています。
なるべく起きた事を冷静に、感情に左右され過ぎないように気を付けて見ることにしています。
そんな中、二・二六事件についての番組を観た私は自分が日本が戦争に至るまでの経緯、そして戦中の戦火の拡大した範囲をほとんど知らない事に気が付きました。
そこで改めて時系列で戦争について自分なりにざっくりまとめてみようと思い、ネット検索などを使いながら書き出してみました。

破竹の勢いで勝利を続ける日本の戦況が一転するのが昭和17年(1942年)のミッドウェー海戦での大敗辺りからです。
翌年の昭和18年頃からは南洋諸島やパプワニューギニアなどでは戦争の被害に加え、餓え・伝染病などによる地獄のような戦況になります。

私の祖父の兄は東パプワニューギニアに行っていた。
そこまでは調べていましたが問題の『フインシ』が何処だか分かりません。
しかし、この何気ない戦争の経緯を調べる作業の中でついに見つけました。


フインシは略語でした。
正確には
フィンシュハーフェン

約7000人の日本兵が亡くなった、フィンシュハーフェンの戦いがあった場所です。

私の祖父の兄は恐らくその7000人の一人だったのでしょう。
この戦いを生き延びられていたとしても、この後の日本兵のたどる道は餓えと病と砲弾が飛び交う私の想像などが及ばない地獄絵図です。

青森のお墓参りは墓前に沢山の食べ物を供えます。
今年の墓参りでは私はいつもより水と食べ物を多目に持っていこうと思います。

『戦争』なんて言葉が軽々しく口から出ないよう、私はこれからも勉強を続けようと思います。

と言うわけで今年の帰省はいつもよりやりたい事や行きたい場所、調べたいことが沢山あります。
私の運転が必要になる機会もあるため、安全第一を最重要事項で挑戦したいと思います(^-^ゞ

一足遅い夏休み、怪我なく事故なく楽しみます♪

雨で涼しくなった最近ですが、体調崩さないように気を付けてもう一踏ん張り今週も元気にいきましょー(^o^)/