維新の道の噺 長州ファイブ | 面白きコトも無き世を面白く…するのは自分の心意気
~長州五傑~

幕末当時、日本から海外に渡航することは重く罰せられました。
さらに外国人を日本から追い出せ!!と言ういわゆる『攘夷(じょうい)』が声高に叫ばれていた文久三年(1863年)。

当時としてはかなり柔軟な考え方をお持ちだった長州藩藩主毛利敬親公の内命で西洋の軍事技術を学ぶため五人の男達が日本から遥か遠く、現在では火星に行くくらいの覚悟で行かねばならなかったであろう海外、イギリスのロンドンに向け極秘裏に出発します。

横浜➡上海➡ロンドン

の船旅。
移動費とロンドンでの滞在費を含め一人1000両。
現在の金額にすると一億円。つまり五人で五億円と言う大金を支払い、6月に日本を出発し、11月にロンドンに到着。

ロンドンに着いた一行は語学を学んだ後、西洋の進んだ文化や技術を学ぶために勉学に励んだそうだ。その勤勉さに当時のイギリスの人々が驚いたと今に伝わっています。

また、外国人を日本から追い出す『攘夷』の気持ちが強かった平均年齢25歳の若者達は、途中立ち寄った上海でたった数艘で日本を震え上がらせた蒸気船などが百艘以上ある景色に衝撃を受け、西洋との力の差を思い知らされたそうです。

ロンドンで撮られたとされるこちらの写真は見たことがあるだろうか?
上段から

左   遠藤謹助 (日本の造幣の父)
真ん中 野村弥吉  (日本の鉄道の父) 
右     伊藤俊輔 (初代内閣総理大臣)
下段
左   井上聞多 (明治政府で閣僚を歴任)
   山尾庸三 (日本の工業の父) 

彼らが長州五傑(長州ファイブ)と呼ばれている。

外国との接触から程なく、海を隔てた未開の地、自国より何歩も先を進んでいる文明の中に飛び込み、言葉も分からない彼らが死に物狂いで学び、掴んできたモノはやがて明治を迎えた日本で大きな役割を果たすことになります。

実はこの五人の事を描いた映画があるのをご存じだろうか?
監督である五十嵐匠監督が私と同郷だったと言う些細なきっかけからこの映画が公開された頃お会いしお話する機会を頂いた事がある。
私の文章よりも、実在した人物を丁寧に描く五十嵐監督の映画を観ていただいた方がより幕末を楽しく知ることが出来ると思い、その映画を折角なので紹介したいと思う。

今回の噺で興味を持たれましたら是非観てみて下さい(*≧∀≦*)