素浪人、伏見を行くの噺 交通網【後編】 | 面白きコトも無き世を面白く…するのは自分の心意気
~繋がる道2~

幕末の動乱は京都で吹き荒れます。
その京都へは高瀬川を往来する高瀬舟が交通手段の一つでした。

京都の中心と伏見を結ぶために物流用に開削された高瀬川。
京都の中に数ヵ所荷下ろしする場所があったものの京都↔伏見を直結する交通機関です。

物流は勿論、人の往来、さらには手紙などでの情報の行き来も盛んでした。

幕末当時この高瀬川の材木運送を取り仕切っていた元締めが
材木屋 酢屋
でした。
他にも米・酒・醤油などの物流が盛んだったのはご存じかと思います。

そう言えば近江屋事件近江屋醤油屋さんとご紹介しましたよね。


これでやっと色々繋がる訳です。

当時、京都の商人の中には秘密裏に浪人たちをバックアップする者達も居ました。
これも前回紹介した○○派の様な思想を持つ豪商などがそれを実行する浪人たちのスポンサーとなり後援することも少なく無かったようです。

住む場所や匿う場所を提供したり、この幕末の大動脈である
大阪↔伏見↔京都
を繋ぐ船便でも何らかのバックアップがあったであろう事が容易に想像できます。

ちなみに坂本龍馬が滞在、拠点としていた
酢屋
には店前に直接高瀬舟が到着し荷下ろし出来る舟入りがあったそうです。

当時幕府から目をつけれていた坂本龍馬が伏見↔京都を行き来するリスクは格段に減ったであろう事がよくわかります。

このように、幕末の事件は繋がっていないようで繋がってきます。
それは交通網だけでなく、人の繋がりもそうなのですが、

それはまた次回。

あー、なんか調べ直したらどんどん深みにはまっていってるな、私が(笑)

もう着地点が見えなくなってきてますが( ̄▽ ̄;)引き続き気長にお付き合いくださいm(__)m