~奥州仕置き~
北条家が滅んだ『小田原征伐』
それを契機に豊臣政権下に組み込まれた奥州では新たな改革が次々に行われた。
東北の大名を秀吉公の権力により再配置し、自分の力が行き届きやすくする。
豊臣秀吉の天下統一がいよいよ達成されようとしていた。
先だって小田原征伐に参陣をするよう命令をだし、
参陣した大名→降伏したとする
参陣しなかった大名→自分に逆らう敵
と区別をつけていた秀吉公は小田原征伐後に
参陣しなかった大名=敵の処罰を始める。
これが奥州仕置きである。
秀吉公に降伏した最上家、南部家などは所領安堵(無罪)
遅参し、※葛西大崎一揆の責任を問われ再仕置きを受けた伊達家は減封
大崎家や葛西家をはじめとした小田原に参陣しなかった他の大名達は身分と所領を剥奪する改易
つまり大崎家は取り潰しとなりました。
大崎家の代わりに葛西・大崎両氏の所領だった場所に入り領国経営を始めたのは木村吉清公。
大崎家の家臣団は新たな主君の下に配置されることになるのでした。
一難去ってまた一難。と言うよりはまさに戦国の荒波に翻弄される事となりました。
新たに領国経営をはじめた木村家の統治は葛西・大崎旧家臣団の強い反発を買うものであり新たな火種も生まれつつありました。
伊達家の仕置き内容紹介で※をつけた
葛西・大崎一揆。
次なる舞台は家臣団達による命がけの抵抗につながるのでした。
次回に続く(^-^ゞ