福知山寄り道噺② | 面白きコトも無き世を面白く…するのは自分の心意気
~壬生の狼~

私は幕末がもともと好きである。
坂本龍馬、高杉晋作、土方歳三、左幕、倒幕どちらも好きです。節操なくてすいません(笑)

そんな中、私の故郷である青森県の人間が幕末に関わっていなかったか調べた事があります。残念ながら幕末に京都で活躍する津軽藩の人間はいない・・・と思った時に見つけた方が

毛内有之助 (もうないありのすけ)

と言う人物でした。

津軽藩を脱藩した有之助は江戸で伊東甲子太郎(いとうかしたろう)らとともに

新撰組

に入隊します。

有之助は大変器用で『毛内の百人芸』と呼ばれるほどだったと言われています。
特に小太刀、弓術に秀でていたようです。

時代は混迷を極め、白黒はっきりしない各々の考えが入り乱れる幕末。

考えの違いから新撰組と袂を分かつと決めた伊東甲子太郎に従い毛内も新撰組を離れます。

新撰組と対峙する形となった伊東甲子太郎ら御陵衛士(ごりょうえし)。

七条、油小路で新撰組により伊東甲子太郎は暗殺され、それを追うよう毛内も命を散らします。
この油小路での事件では昔から近藤、土方らと行動していた藤堂平助も亡くなっており、新撰組を好きな人なら知っている事件かと思いますので経緯や詳細は省きます。
ただ、その藤堂と共に奮戦し亡くなったのが毛内と新撰組でもかなりの刀の使い手であった服部武雄(はっとりたけお)でした。

さて前置きが長くなりましたが、この伊東甲子太郎先生が暗殺された場所にもきちんと碑があります。






さて、ここまでは新撰組好きな皆さんは立ち寄っているかと思います。
しかし、この碑の裏、普段は閉じられている門をくぐった先にもう一つ碑があるのをご存じでしょうか?

私は福知山に向かう数日前にその事実を知り、運よくその場所に行く事が出来ました。
お墓では無いから写真撮影も良いとおっしゃってくださったのでこちらにその場所の写真を載せます。


この場所で伊東甲子太郎先生は力尽きたそうです。

偶然が重なり、たどり着く事が出来ました。
京都はこのような史跡が多いので礼節を忘れず伺う事を心掛けています。

こちらに足を運ぶにはこの史跡の目の前にある床屋さんが重要です。忙しい時間を避け、新撰組の話を熱く語ればあるいは門の扉がひらくかもしれません。

伺う際には是非その地で何があったのかを調べてから行く事をオススメします。

と言う訳で福知山に行く前にたっぷり個人的な旅をしてしまいましたが、いよいよ、次回より福知山入り致します♪

幕末話はこれにて終わりですが、寄り道はまだたぶん続きます(笑)