2月23日 亡くなる8日前 | forget-me-not

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大腸癌末期の父→腹部大動脈周辺・肺転移→脳転移 残された時間は・・・
日々の症状や家族の思い、病院の対応等々綴りたいと思います。

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20日の夜に父の50年来の友人であるスミス氏に夫とメールを送りました。

毎年送り送られていたクリスマスカードでしたが、

去年11月に脳転移して12月には文字が書けないどころかペンも持てなくなってしまった父は

スミス氏に出せないことをとても気にしていましたが、

それでも病状が悪化したことを伝えて欲しいとは言いませんでした。

きっと放射線治療すれば治ると信じていたのでしょう。


きっと元気になってまた手紙を書こうと思っていたのだと思います。

大腸癌を患った翌年にその旨手紙を送った父に

スミス氏はアメリカからわざわざ父に会いに来てくれたのでした。

4年前のことです。

私が3歳の時にも我が家へ来てくれて私を肩に乗せたりして実に○十年ぶりの再会でした。

父は定年後に一度スミス氏の自宅へ遊びに行っているのですが、


それでももうかれこれ15年位前になります。

4年前に来てくれた時、それはちょうど桜が満開の時期でした。

今回、癌が再発しあまり余命がないことを告げたのですが、父への思いが綴ってありました。


「50年にも及ぶあなた(父)との友好関係を懐かしく、また嬉しく思います。

あなたの人生はとても輝かしい人生だった。

あなたの生き方をとても尊敬し、それをずっと私の目標にしてきた。

あなたに出会えて心より嬉しく思います。」


というような内容でした。


ベッドの父にスミス氏のメールを読んで聞かせると涙を流して喜びました。


そして英語で私と夫にお礼を言いました。


スミス氏に何か伝言があれば伝えるよと言った私達に


「まだ頑張って生きるから何も伝言はない」 と言ったのでした。


次から次へと出て来る英語に以前の元気な頃の父が蘇りました。


とても嬉しかったのを覚えています。


そして父から、お父さんの声を録音出来ないか?と提案がありました。


病に臥してもなお、そのような考えが及ぶとは驚きでした。


さすが我が父です。


ちょうどデジカメを持っていたので動画機能で取れると伝えるとスミス氏に送って欲しいと。


唯一残った父の肉声動画となりました。


それは力強く、張りのある声で、まだまだ生きることに前向きな父の姿でした。


「 Hi! Steve! 

 I still alive. How you doing?」