2012/10/7

昨日、精力的に部屋のお掃除をしました。
近頃、体調が復活してから日々日々、ちょこっとづつ部屋を片付けてきました。
いらないものを捨てたり、新しいものを取り入れたり、配置を変えたりと、、、。
そして、最終のお掃除dayとして、一日を過ごしていました。

時間をかけた甲斐あって、納得のいく空間が出来上がりました。
別にすてきなわけではないけれど、
今のわたしの心にもカラダにもとても心地いい空間です。
出来合ったのは、意外にもカラーンとした空間です。
でも、そこが気に入っています。
そして、出来上がった部屋を眺めて、やっぱり「わたしはサッパリした人間なのね」と、
客観的に感じたりもしました。

なんで、こんなことを思ったんだろう?
あまりに自然な感情で不思議ですが、、、私の見解はこうです。
↓↓↓
部屋の状態に心の状態が表れていると、よく耳にします。
そして、その話の信憑性は実際に私自身が生活の中で体感済みです。
心身不良の数ヶ月の間、部屋は大荒れでした。
手をつける気力も体力もなく、掃除という行為よりはむしろ
「整理する」ということができなかったんと思います。
でも、健康になって心が一つ一つ整理されいくと、
自然と部屋の中をどうやって整理していけばいいか、わかるようになって、
一つ一つ選択(捨てる、取り入れる、変える)ができるようになりました。
今のわたしに、必要のないもの、必要なもの、変更が必要なもの、
それはやっぱり、心が(自分が)判断し、選択していくものです。
その選択の連続によって、結果、掃除はできていました!

心身不良のとき、わたしの心はこんがらがっていました。
自分の価値観が、ぐちゃんぐちゃんになっていたからです。
それまで、わたしを支えていてくれた『考え』が、突然無効になりました。
でもそれをけっして受け入れられないわたしは、『それ』を握りしめていました。
捨てることができない、なかなか手放すことができない、『考え』でした。
でもそれは、確かに望まぬとも『不要となったもの』です。
そして、哀しきかな、『不要なものは』積み重なれば、『不要さの肥大』でしかなくなります。
結局、わたしの心はゴミの山、わたしはそれを捨てる選択をしました。

そして、次にその中でも『残った考え』を、まるで家具の配置変更をするように
新しい視点を加えて、生まれかわらすように、一所懸命向き合いました。
結果、『それ』は新しく変わることができました。

そして、そうやってきた最後に『今必要な考え』を、取り入れていく選択をしています。


捨てる作業自体は簡単です。でも捨てるまでの選択は、とても困難です。
そして、変わる作業は、新しく変われるまでずっと継続的に闘いです。
最後の取り入れていく作業は、やっぱり新しさが楽しいわくわくとした活動です。

選択の連続です。
そしてどの選択にも、大切な要素があります。

このお話は、部屋の掃除ではなく、心のことですが、
作業過程は、お掃除と同じことです。
おもしろい!!!

わたしにとって、いろいろな感情と向き合った5ヶ月。
いつかいい経験になった、と言える日がくるんだろうかと多大な不安な日々も
あったけれど、

結局ね、ほんと結局ね、最後にね、
カラーンとしたすっきりとした部屋で心地よくいると、
なんか「やったねっ☆」っていう感覚になります。
きっと選択の連続の末たどり着いた「境地」が
自分に☆ぱっちりフィット☆しいたからだと思います。

「今」は、選択の連続の「結果」であり、「過程」であり、「スタート」です。

部屋(住処)も心も、これかも変わり続けるでしょう、生きてる限り!
実際、ぐちゃぐちゃの部屋のときも自分自身のときも、絶対しんどいけど、

お掃除上手にはなりたい、と強く思います。
『選択』上手になりたい、とも思ってます。
♪部屋の模様替え、心の模様替え、大成功でした♪

☆ぱっちりフィットで、心地いぃ~、毎日☆






















2012/10/3

今日は休日。
シフト制のわたしは、最近水曜休みなことが多い。
今日は、仕事のことは一切考えず、休みを満喫しました。

わたしの休日は、誰かと約束してどこかに出かけたりすることは非常に少なく、
家にいるときもあるし、ぶらり横浜まで出掛けたりと、とにかく自由気ままに過ごします。
今日も相変わらずな、家と横浜とふらりしてきました。
わたしは、歩きながら、外の空気に触れながら、自分の思考や経験を整理する癖があります。
大抵のことは、外の街を歩いているときに、問題定義し、自分なりの解決も見つけたりします。
これは、長年変わることのない、わたしの癖というより、習性だと思います。
そして、父譲りです。(父も歩きながらよく、いろいろ考えています)

そして、本日もまたひとつ、近頃モヨモヨしていたカラダの中の不燃物が消火されました。
「女」っていう、自分を含めた生き物のことについてです。

なんというか、わたしはふわふわしていて、何をどうすることが「ちゃんと」かわわかっていなかったのだけど、ちょっとだけ「ちゃんとしたいんだ!」と感じている部分がありました。
女であるがための、いろんな感情に振り回されて、ちょっと疲労していたのだと思います。

そして、あるタイミングで立ち寄った本屋に「輝く女」というようなテーマで文庫本が並んでました。それらを数ページづつ、パラリパラリとめくっていたら、
ある瞬間
「めんどうだぁ、」ってよぎったのです。

なんか、恋愛してみたり、結婚もしてみたかったり、
そんな風に欲を言ってみたかと思えば、理想と現実は違うと、きっぱり割り切れてしまったり、
愛されたいけど、愛したい。
頼りたいけど、自立したい。
母であり、妻でもありたく、いい女でもいたい。
年を重ねようと、きれいでいたい。

こんな矛盾だらけの感情の中で生きていくのだから、
ややこしく、めんどうであるのは事実。
そして、それでも妥協しない女という生き物は、これら全てを求め続けて生きている。
すごい、エネルギーをもっている。
まさに、女は、強い。

そう、心の底から実感しました。

そして、わたしにも幸か不幸か、その欲と感情は備わっております。
でも、本日客観的に気が付けたから、たぶんこれからはきっと、ちょっと、楽です。
そして、存分に「女」を楽しんでいきたいと、決心しました。
清き、前進です!

☆強き女よ、明日に輝け☆




2012/10/3 

薬をしっかり飲んでいるので、風邪も悪化せづ過ごせている今日この頃。
今日は我が家のパワースポット「天使のいる場所」を写真でアップしてみます。

絵は、知り合いの天使画を描く画家さんの作品。
とても柔らかくて、パステルカラーがとってもきれいで、何より優しさに包まれる絵です。
彼女の展覧会に足を運ぶと、一つ一つの絵の前で涙が止まらなくなります。
心を包まれるような温かさが、わたしをそうさせるのだと、その時知りました。

人生で絵を購入すのは、彼女の作品が生まれて初めてのこと。
そのとき私は初めて、絵画の価値とういものを知りました。
現代でこそ、プレミアシリーズのように、ときに市場にはものすごい値段のついている
品物があったりします。(たとえば、1万円する駅弁当とか・・・)
もちろん素材にとことんこだわった商品であったり、値段に相応する「何か」があります。

それじゃ、絵画に対して、「それ」って何だろうか、と考えるとき
それは、「人生の経験」なんじゃないかな、って思いました。
少なくとも、わたしにとってはそうでした。
あるあらゆる感情、あらゆる出来事を通して学びえたこと、
それらを記憶する心がゆさぶられた絵画には、それなり、そのひとだけの価値ある。

毎日には、不甲斐ない出来事、どうすることもできないこと、受け止めて進んでいくこと、
ときに、怒りや憎しみの感情だって生まれてしまう。
それでも、この絵を見て美しいと思えると、
まだ、自分の心に柔らかい光が射していることを実感できて、安心できる。

人は自分の鏡だと、よく言われます。
目の前に広がる現実は、心の鏡でもあるように思います。

☆我が家のパワースポットで、日々のプチ心の浄化、しています☆
とってもとってもおすすめ。
どんなことも、自分なりやってみることが、一番良い方法な気がします。

☆プチ浄化で、新しい明日へ☆

天使のいる場所

2012/10/1

今日は、10月の初日とは思えない暑さでした。
そして、10月1日にはふさわしくなかろ、風邪をひきました。
とても、カラダが怠く、薬なしでは過ごせない状況です。
哀しい・・・。

そんな中でも、夜組のアルバイトのみんなと話しているとほんとに元気になる。
今日は、大学生の男子組が、
「秋はさみしいなぁ~、つらいです。」と言っていました。
そこで、31歳アラサーのぴろ子登場!

「さみしさなんて、忘れちまえ!!!」と一言。
「えぇ~」と大学生男子たち。
「わすれちゃだめですよぉ~」と付け加えてきた。

そこに、とどめを刺す!
「さみしさなんて抱えて生きてく暇まんて、ないんだよぉ~(オリャ~的な感じで)
前に進むんだぁ~」

「ぴろ子さん、今日おもしろいです」という男子学生たちからの締めの一言。

命を削った経験を、面白さ!として残していく。
うん、これはいいことだ!と一人自負しました。

思い出を抱えていきていくには、正直30歳過ぎると、いろいろ、ややこしい。
だけど、面白さ!として残していけば、
負担もないし、ややこしさもないし、過去の出来事にもならないし、
むしろ、リアルタイムな感覚で向き合える。
効率がいいじゃないか、と気が付きました。

過去を今に巻き込んで、今として楽しむ!
これこそ、命を削った経験の活かしどころ★ですね♪

削って、削って、擦り減らないように
心に磨きをかけてい生きましょう!

☆アカルイ、未来へ☆

2012/9/30

あっという間に9月もおわり、もうすぐ10月を迎える。
秋深まる季節、残暑の暑さもきっと消えていく。

ついつい10月を迎えようとすると、
早いなぁ~、1年を振り返る心持なってしまう。
そんな会話も周りの人とつい、してしまう。

時間は流れは、いつの時代も止められない。
哀しみが雨のように降り注ぐ日もあれば、
喜びが太陽のように輝く日もある。

後悔しないように、生きようなんて言葉が風のように吹くけれど、
実際は後悔のない生き方なんていうのは、わからず、答えもない。
ただ、わたしは自分の心に素直に毎日を過ごしていこうと、決めてる。
それが、平凡な毎日にピカリと光る、彩や輝きを添えてくれてるから。
そうなって、随分と日々は20代の頃と変わりはじめて、満ちる時間をすごせてる。

「素直な気持ちで」そう自分に問いかける習慣をもったら、
落ち着いた気持ちでいろいろなことと向き合っていけるようになってきました。
価値あるもの、大切なこと、定義するのは難しいから、
ピカリと光る毎日を引き続き実践していきたいと、思う今日この頃。

先日金曜日に、ある友人と会いました。
その人が「あなたの笑顔はすてきだね!」と言って下さった。
わたしは、丁重に「ありがとうございます」と御礼を述べました。
数ヶ月前の私だったら、きっと素直に受け止められなくて、
まして、「ありとうございます」なんて言えることはなかった。そんな勇気は持ってなかったから。

でも、この5ヶ月のいろんな経験から、「受け止める」ことが少し身についた。
自分では知りえない客観的な姿というのがあることを、
年を重ねれば重ねるほど逆に知ったことや、
「受け止める」ということは、実はすごく勇気が必要で勇敢な行動なんだ、とも知った。
ありのままの自分を知っていくことは、ことの良し悪しにかかわらず、幸なこと!
とにかく、「素直な心」っていうのを実践して、自分の中に育てていきたい。
そして、「笑顔がすてき」その言葉を受け止めたことで、新しいことにも気が付いた。

「笑顔がすてきだね!そう言ってくれた人の『想い』を信じられる私になりたい」
こんなことを思いました。
なぜだかわからないけど、確かにそう思っています。
また、ひとつ世界が広がっていくのかな、とわくわくしています。
まだまだ、知らない世界が日常にいっぱいあるんだろうな~。

輝け、未来!






ずっと、ずっと、体調を崩していました。

2012年が明けてから、体調を崩す4月19日までずっーと、余裕なく仕事をしていたのか。。。

心とカラダの「STOP!!」メッセージを最後の最後まで後回しにしてしまって、

回復するまでに、1ヶ月以上時間を要してしまいました。

心とカラダを崩した原因はいろいろあるけど、とてもわかったことは、

今、わたしにはこの休暇「一時停止!!」「振り返り!!」「軌道修正!!」が必要だったんだ、ってこと。

体力も気力も失って、仕事ができる状態もなくなって、1日がやっと過ごせる、

そんな時間も体験して、自分の手のひらから、今までのものがスルスルと止めどなく

流れ落ちていくのを見つめているような時間でした。とても、辛かった!!!

でも、それだけ空っぽになった分、手のひらに拾い上げることができたものもあったな、って

今になってわかることがあります。

きっと、今までの私の生活ペースじゃ、気づく間がなかっただろうな、ってこと。

すごく、すごく大切な「気持ち」に気が付けたと思うし、これからは、その「気持ち」を大切に

どんな風に過ごしていこうかなって、近頃思っています。

今までにあった難所が、今回のことでなくなるわけではないけど、

心構えが変わったというか、心が入れ替わったので、

難所との向き合い方も変わるかな、って思ってる。

自分の心で改めて深く決心できたことは、器でっかい気持ちで向き合っていられる。

人それぞれ、生き方があるだ。

そーんな当たり前のことだけど、そのことをものすごく実感したこの1っヶ月半。

ゆえに、自分自身の生き方にも自信を持つことができたように、思います。

自分とは、ずっと付き合うんだし、仲良くしよ!って、今思っております。


よっし!運動しよっ★★★




「わたしの夢」

今から11年前、大学3年生のときに、わたしは漠然と
「みんなが集まる空間をもちたい」って思ったときがあった。
「夢」と言い切るほど強い気合いがあったわけではなかった。
ただ漠然と、でもとてもはっきりとした想いだった。
そこに集まってくる「人」たち、壁に掛かっている「絵」
その空間の「温度」のようなものも、はっきりとイメージできていた。
今思い返すと、このときの想いは、「夢」というか、「憧れ」に近かったのかもしれない。

それから、今日のこの日まで、11年前の「憧れ」をこんなにはっきりと思い出すことはなかった。

20代のわたしは、「自分の憧れ」と向き合う心の隙間が殆どなかったと、31歳の今振り返ると思う。
20代は本当に必死だった。必死に何かに取り組んだってわけでもなかったけど、
「何か」というより、「まともに生きよう」とすることに必死だったように思う。
心の中が、とにかく窮屈だった。暗い意味じゃなくてね、
大人になった気になって実は発展途上だった!そんな感じかな。
30歳になって、やっと「大人」のスタートラインに立てた、そんな感覚があった。

31歳で迎えた2012年、かつて「憧れ」だった想いが、「夢」としてわたしの心に現れた。
偶然じゃなくて、必然として!
2011年に経験した出来事は、私の生き方の価値観180度変えてしまった。
なんとうか、「人生」を捉える「視点」が大きく変化した。
胃をもぎ取られるような体験。
生まれて初めて、心かの想いを真正面からぶつけた体験。
経験したことのない、厳しさとあたたかさ。
「音・音楽」の素敵さを教えてくれた人との出会い。
その「音」から刺激を受けた、溢れだす感情…。
「人生はたった、たった一度っきり」だと、本気で知った一年だった。

だからこそ、きっとわたしの「夢」は、
「今」このタイミングで再び現れてきた、とさえ思う。

「この夢をを、わたしは叶えていいのかもしれない!」
とてもおかしな表現だけど、正直、今、たしかにこんな気持ち。

「わたしの夢が、動き出した」







2011年春頃、絵を書くのが趣味になった私は、
描くだけでは飽き足らず、こんなのを作ってみました。

心が止まらなくなって、すらすらいろんな絵が描けました。
描こうと思うとかけない、まさに、画家になったような日々でした。

絵のうまい下手は、ないんだわ~と、この日々に知りました。
どの絵も、たくさんに友人たちに笑われましたが、
私にとってはどれも完璧以外のなにものでもない作品ばかりです☆

いつか、展覧会でも開きたいものです(笑)

作品のテーマ:「生きてる、喜び!」
    解説:ひとりぼっち~みんな
       ひとりだったり、みんなといたり、
       そうい瞬間に感じる複雑な感情。あったかい感情。
       そういうのを、おおきく表現してみました。