昨日、精力的に部屋のお掃除をしました。
近頃、体調が復活してから日々日々、ちょこっとづつ部屋を片付けてきました。
いらないものを捨てたり、新しいものを取り入れたり、配置を変えたりと、、、。
そして、最終のお掃除dayとして、一日を過ごしていました。
時間をかけた甲斐あって、納得のいく空間が出来上がりました。
別にすてきなわけではないけれど、
今のわたしの心にもカラダにもとても心地いい空間です。
出来合ったのは、意外にもカラーンとした空間です。
でも、そこが気に入っています。
そして、出来上がった部屋を眺めて、やっぱり「わたしはサッパリした人間なのね」と、
客観的に感じたりもしました。
なんで、こんなことを思ったんだろう?
あまりに自然な感情で不思議ですが、、、私の見解はこうです。
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部屋の状態に心の状態が表れていると、よく耳にします。
そして、その話の信憑性は実際に私自身が生活の中で体感済みです。
心身不良の数ヶ月の間、部屋は大荒れでした。
手をつける気力も体力もなく、掃除という行為よりはむしろ
「整理する」ということができなかったんと思います。
でも、健康になって心が一つ一つ整理されいくと、
自然と部屋の中をどうやって整理していけばいいか、わかるようになって、
一つ一つ選択(捨てる、取り入れる、変える)ができるようになりました。
今のわたしに、必要のないもの、必要なもの、変更が必要なもの、
それはやっぱり、心が(自分が)判断し、選択していくものです。
その選択の連続によって、結果、掃除はできていました!
心身不良のとき、わたしの心はこんがらがっていました。
自分の価値観が、ぐちゃんぐちゃんになっていたからです。
それまで、わたしを支えていてくれた『考え』が、突然無効になりました。
でもそれをけっして受け入れられないわたしは、『それ』を握りしめていました。
捨てることができない、なかなか手放すことができない、『考え』でした。
でもそれは、確かに望まぬとも『不要となったもの』です。
そして、哀しきかな、『不要なものは』積み重なれば、『不要さの肥大』でしかなくなります。
結局、わたしの心はゴミの山、わたしはそれを捨てる選択をしました。
そして、次にその中でも『残った考え』を、まるで家具の配置変更をするように
新しい視点を加えて、生まれかわらすように、一所懸命向き合いました。
結果、『それ』は新しく変わることができました。
そして、そうやってきた最後に『今必要な考え』を、取り入れていく選択をしています。
捨てる作業自体は簡単です。でも捨てるまでの選択は、とても困難です。
そして、変わる作業は、新しく変われるまでずっと継続的に闘いです。
最後の取り入れていく作業は、やっぱり新しさが楽しいわくわくとした活動です。
選択の連続です。
そしてどの選択にも、大切な要素があります。
このお話は、部屋の掃除ではなく、心のことですが、
作業過程は、お掃除と同じことです。
おもしろい!!!
わたしにとって、いろいろな感情と向き合った5ヶ月。
いつかいい経験になった、と言える日がくるんだろうかと多大な不安な日々も
あったけれど、
結局ね、ほんと結局ね、最後にね、
カラーンとしたすっきりとした部屋で心地よくいると、
なんか「やったねっ☆」っていう感覚になります。
きっと選択の連続の末たどり着いた「境地」が
自分に☆ぱっちりフィット☆しいたからだと思います。
「今」は、選択の連続の「結果」であり、「過程」であり、「スタート」です。
部屋(住処)も心も、これかも変わり続けるでしょう、生きてる限り!
実際、ぐちゃぐちゃの部屋のときも自分自身のときも、絶対しんどいけど、
お掃除上手にはなりたい、と強く思います。
『選択』上手になりたい、とも思ってます。
♪部屋の模様替え、心の模様替え、大成功でした♪
☆ぱっちりフィットで、心地いぃ~、毎日☆
