あくまでも
わたしたち
家族にとって の
お話ですが
週末に
旦那実家にいって
片付けをする生活を
何ヵ月?半年か?
一年にはなりませんが
してきたので
(無理せずこまめに
やってたので
長くかかりました)
家の解体開始を迎え
もう
通う必要がなくなり
週末に
旦那実家に
行かなくてよくなるラシイぞ?!と
まだ実感が
とんと湧きませんがw
そんなふうに感じています
晩年の
お二人の介護のために
週末通いをするようになり
数年
相次いで
亡くなってからは
(お義父さんの旅立ちは
お義母さんの後を追うようで
予想外に早すぎて
ショックだったのもあり
突然なくなった介護生活で
毎週末旦那実家に
買い物ついでに立ち寄って
お仏壇にお茶を供え
祈ることが
週末のルーティンに
なってました)
.
2年くらいかなぁ
やはり週末
来れるときは来てたので
旦那実家自体が
なくなってしまうことは
やはり大きな一区切りで
ひとつの時代の終焉と
新しい時代の始まりを
同時に感じます。
まだ実感は
あんまり
ないんだけど
よくやりきったね
マイペースで
精一杯がんはったねで
自分と主人に
おつかれさん~と
言いたい
昨日はお隣さんに
ご挨拶にうかがい
10日ばかり
お騒がせすることになるので
あらかじめお伝えし
ちゃんと
まわりのかたへの
ご配慮も
表現できたので
爽やかに
最後を迎えることができ
喜ばしき限りです。
一度は現場に
差し入れを
もっていくつもりでは
おりますが
(ガテン系なので
焼き肉弁当とたくさんの
ドリンク類にしようと
決めておりますw)
さわやかなお別れであり
大きな一区切り。
わたしたちの新しい時代の
始まりは
古き時代を
感謝をこめて壊し
更地(まっさら)にする
ところから
始まるのだなぁと
おもう朝なのでした。
携わってくださる
現場のかたに感謝し
古いものが消え
まっさらになる土地を
次のご縁のかたに
手渡していけるよう
神仏に祈り
ゆだねておきます
そして私たちの
新天地探しも
本格的に
始まるのでありましょう
また
南房総通いが
始まるかな
おつかれさん旅に
とりあえず
一泊しにいくかwと
話してます
春分の日を超え
そんな気持ちの
いまなのでした
さきほど拝見した記事。
インスピレーションとか
直感とか
一言にいっても
どの次元からのものか?を
識別しないと
古い神々側の
誘惑キャストに
ひっかかることにも
なりかねず
我が身を
ふりかえってみても
そういう誘惑は
興奮とか
(ワクワクとも言える)
歓喜!とか
感情的な高まりを伴いやすく
それゆえに
ハイになってしまい
好奇心があおられたりして
食いついて
しまうんだよなぁと(笑)
今となれば
人心掌握術の巧みさに
うなるばかりですが(笑)
(それがビジネスコンサルの
一環でもあるみたいだし)
ちょっとした識別のコツ
みたいなものが
わかりやすく書いてあり
人様の正解に
踊らされないために
参考のひとつになると
感じました。
古いボートでなく
神のボートに乗り換えようって
またあらためて
おもいました。
古いボートって
いろんな種類があって
結構パッと見華やかなので
表面的な感情で
ひかれてたりした
華やかな
結果をアピールなさってる
憧れちゃったりする
メッセンジャーさんに
ふらふらと
つい引き込まれ
食いついて
ご指導をあおいだり
してしまう
ことでもあり
神のボートって
めちゃ地味で普通でw
一人ひとりの内に
すでにあるものだから
華やかな目眩ましに
惑わされなくならんと
灯台もと暗しで
わからないのカモと
感じております
すべての経験は
無駄ではなく
比較の材料となり
経験コレクションが
適度にたまったら
自然に
起こる比較からの
消去法で
じぶんの答えが
わかってくるという
ギフトのための
材料だから
いいこぶらずに
素直に
やり尽くしてみることが
まず大切だったりも
するんですよね
(わたしなんか
まさにそうでしたw)
どなたかの
正解のコピーをしても
内なる神仏である
わが魂の答えではなく
別の次元の答えが
あったり
するものだから。
お付き合いを
ありがとうございました