維新(日本維新の会)が言うように、自己犠牲はともかく熱血政治家が増えることは歓迎しますが、しかしやることが間違っていると最悪なものとなってしまいます。
会社経営でもそうですが、経営上何が一番困るのかというと、「やる気のある勘違い社員(無能社員)」なんです。足を引っ張ることこの上ない。下手をすると彼が原因で会社が窮地に陥ってしまいます。
維新と言うのはどうもそんな連中のようです。
税が財源、国債は借金、財政赤字は悪、日本は財政危機。
カネを使わずこれを克服するには「新自由主義的政策(グローバリズム:自由化、規制緩和)」。そして、自己犠牲を払えば、人は黙ってついてくる…勘違いのオンパレードです。
これらが誤っていることは、このブログでも散々取り上げましたので、改めての解説はしませんが結論だけ述べると次のようなことです。
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1. 国債は実質的に借金ではなく、その発行は日銀の信用創造を通じた貨幣の発行である。
2. 国債の償還は全額借換債で対応することが世界の常識。日本だけが「60年償還」という無用なルールを持ち、これが歳出を無意味に膨らませ、歳出削減や増税に正当性を与えている。
3. 税は財源として徴収するものではなく、政策目的を達成する手段であり、また自国通貨「円」の使用・流通を安定化させるものである。
4. 米ドルやユーロ、ポンドと同様、世界で通用する「ハードカレンシー」の地位を得ている「円」。その円建てでのみ発行されている日本国債には、債務不履行即ち財政破綻に陥る要素が 無い。なぜなら日本政府はいつでも必要な量の円を発行できるからである。したがって日本には財政危機は存在しない。
5. ただし、円のハードカレンシーとしての地位が危うくなれば話は別。それは上記から「財政の悪化」を理由とするのではなく、「経済力(供給力)の喪失」から生じる。これこそ国家の信用を失うことである。
即ち円が国際的に通用せず、外貨でしか資金調達できなくなり、それこそ借金まみれになって国家運営が窮地に立つ。つまり失われた30年のような、経済力を棄損し続ける事態こそが日本にとって一番危ういことなのである。これこそ真の意味での「将来への負担の先送り」である。
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おそらく維新の人たちにはこういう理解は全く無いということでしょう。
彼らにあるのは、「超歳出削減」により大阪府の財政を立て直したという成功体験のみです。確かに通貨発行のできない地方財政の立て直しは、できることが限られているのは事実です。
しかし役所の人員数や人件費の大幅削減を始め、医療、福祉、教育、公共事業、住民サービスその他ありとあらゆるものを大幅に切り捨てるなど、手加減無しでやったせいで、さまざまな「セーフティネット」が壊れ、行政活動も悪くなりました。
結果、白線の消えた危険な道路が増え、コロナ禍においては医療体制が崩壊寸前にまで至り、コロナ死が全国最悪という状況を生み出しました。
大阪府の場合バブルに踊り過ぎた反省や後始末は必要でしたが、だからといってすべての責を府民(府の職員も含めて)に追わせてよいはずはありません。まんま「府民の身だけを切る改革」じゃありませんか。
本来戦うべき相手は、弊害しか生まない緊縮財政を強要する財務省と彼らを盲信した政府です。勝ち取るべきは「積極財政への転換」と「地方交付税交付金の増額」でした。
そして行うべきは多数の犠牲を生み出す「改革」ではなく、粘り強い「改善」でした。府の財政の健全化は必要でしたが、犠牲をいとわず進めるまでの理由は無いはずでした。
実際、府の財政が改善したのも「改革」のお陰というよりは、リーマンショック以降の税収の自然回復や、安倍政権時の消費税増税による地方消費税増の恩恵との評もあり、なおさらです。
しかし維新には政府と財務省の失政など、全く頭になかったのでしょう。なにしろ「グローバリズム:新自由主義」政党ですので、「財政健全化」はどんな犠牲を払っても達成するべしと思っているからです。つまり財務省と同じ穴のなんとかなのです。
そして彼らの地方財政立て直しの成功体験は、通貨発行ができる国家財政には意味を成しませんし、むしろ下手にそれを振り回されると一層経済が悪化してしまいます。
その政党が高市自民と組んで与党となっている。これこそ問題です。
そもそも積極財政を志向する高市総理とグローバリストの維新とは根本の思想が違うのです。高市総理の積極財政が本物であるかどうかはこれからとはいえ、30年に渡る経済の閉塞感(投資不足、消費不足)を打開し、危険なレベルにまで脆弱化した安全保障を見直すとの強い意志は十分に感じられます。
そうした国民の期待を一身に背負う高市総理に対して維新は、当面は連立合意に基づいた動きをとるでしょうが、いずれ近いうちに総理の足を引っ張る存在になることは必定です。
日本の将来に向け、こんな勘違い政党を与党としてのさばらしてはいけないのです。
次回に続きます。